『城の崎にて』を読む(9)

清水正の志賀直哉論

彼は死骸が蘇生するなどということははなから信じていない。「外界にそれを動かす次の変化が起るまでは死骸は凝然と其処にしているだろう」と彼は続ける。彼が言う〈外界にそれを動かす変化〉とは超越的な神的存在を意味しない。それはあくまでも自然の気象条件であったり、蜂の死骸を餌にする蟻の働きであったりする。彼は、時のただ中に起きるすべての事象を自然の摂理と見ており、そこに奇跡が介入することはない。〈死〉は〈死〉として自然の摂理の中に組み込まれた必然であり、〈死〉が再び〈生〉を獲得したりする奇跡は認められない。人間には復活を望む気持ちがある。しかし志賀直哉か苦しんだのは〈姦淫の罪〉であり、それは〈殺人の罪〉に値するというキリスト教の教えであった。
もし死後、人間が肉體を伴って復活するようなことがあれば、人間は再び〈姦淫の罪〉を犯さざるを得ないであろう。そんな復活は一向に救いにはならないと考えたのが志賀直哉である。彼は蜂の死骸が復活の曙光に輝くことなく、雨に流され、泥にまみれ、やがては蟻の餌になるか、朽ち果ててしまうであろう、そういった自然の流れの中で〈死〉を全うするしかないと考える。その考えを淋しく思うが、同時に彼はそれは如何にも静かであると感じている。〈静か〉とは、運命愛と言ってもよい。ニーチェの声高なそう病的な運命愛の宣言ではなく、志賀直哉は静かに、この世に誕生してきたもののすべてが等しく受け入れなければならない〈死〉を受け入れている。この心境は、運命と合致することを受け入れる心境であり、その静かさのうちに〈神〉に対する反逆の牙を潜めてはいない。志賀直哉は父との確執のただ中に生きながら、しかし自らの運命とはいち早く和解を達成したかのように見える。否、この『城の崎にて』(発表は大正六年五月)を書いていた頃にはすでに父との和解の境地に達していたのかもしれない。因みに『和解』の発表は大正六年の十月である。
「泥にまみれて何処かで凝然としている」蜂の〈死骸〉は、先に描かれた小さな潭になった所に「石のように凝然としている」〈足に毛の生えた大きな川蟹〉を想起させる。蜂の死骸も川蟹も〈凝然としている〉ことで同一のイメージを起こさせるわけだが、しかし前者はすでに死んでおり後者は未だ生きている、この点が両者の決定的な相違点である。
すでに指摘したように、彼は凝然としている蜂の〈死骸〉が、或る神秘的な働きによって蘇生するなどとは考えない。彼の推測はあくまでも物理的な考え方に則っている。「死んだ蜂は雨樋を伝って地面へ流し出された」のであって、それ以下でもそれ以上でもない。そこには〈死骸〉の復活を願う神秘的な思い入れもなければ、絶望もない。淡々として自然のあるがままの姿を受け入れている。
 しかし、にもかかわらずわたしの脳裏に、彼が心の奥底に押さえ込んだ何かが過る。その何かとは〈キリスト〉幻想である。わたしは志賀直哉が十七歳から七年もの間、内村鑑三の弟子であったことはかなり大きな拭いがたい影響を彼に刻印していると思う。多感な青春期を内村鑑三に師事したことの意味を軽んじることはできない。わたしは志賀直哉が
「足は縮めたまま、触角は顔へこびりついたまま、多分泥にまみれて何処かで凝然としている事だろう」と書いた〈蜂の死骸〉が、まさに十字架から下ろされたばかりのキリストの死体に重なって見えるのである。
 ドストエフスキーは『白痴』の中でイッポリートという余命二週間を宣告された少年を登場させている。この少年はハンス・ホルバイン作『死せるキリスト』に関して「これは十字架にのぼるまでにも、限りない苦しみをなめ、傷や拷問や番人の鞭を受け、十字架を負って歩き、十字架にもとに倒れたときには愚民どもの笞を耐えしのんだあげく、最後には六時間におよぶ(少なくとも、ぼくの計算ではそれくらいになる)十字架の苦しみに耐えた、一個の人間の赤裸々な死体である。(略)その顔はすこしの容赦もなく描かれてある。そこにはただ自然があるばかりである。(略)この絵の顔は笞の打擲でおそろしく打ちくだかれ、ものすごい血みどろな青痣でふくれあがり、眼を見開いたままで、瞳はやぶにらみになっている。その大きく開かれた白眼はなんだか死人らしい、ガラス玉のような光を放っていた」と書いている。イッポリートは「こんな死体を眼の前にしながら、どうしてこの受難者が復活するなどと、信じることができたろうか?」という疑問にとらわれる。イッポリートはこの絵を見ながら〈自然〉が〈何かじつに巨大な、情け容赦もないもの言わぬ獣〉の如くに感じられる。イエスの弟子たちですら、この〈死体〉を前にしては彼の復活を信じることはできなかっただろう、というこの思いのリアリティは動かしがたい。ドストエフスキー自身はデカブリストの妻フォンヴィージナ宛の書簡で「かりにだれかが、キリストは真理の外にあることをわたしに証明し、またキリストが真理の外にあることが実際であったとしても、わたしとしては真理とともにあるよりもキリストとともにとどまるほうが望ましいでしょう」と書いている。この言葉をそのまま読めばドストエフスキーは熱狂的なキリスト者と言える。が、この書簡でこの言葉によって完結してはいない。ドストエフスキーは「しかし同時にわたしは不信と懐疑の時代の子です」と続ける。ドストエフスキーの懐疑は深く、単純にキリストを信じきれない。ここにドストエフスキーの慟哭があり、解決を求めながらより深く懐疑の坩堝へのめり込んでいかざるを得なかった魂の悲劇的ディオニュソス性がある。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。