『城の崎にて』を読む(6)

清水正の志賀直哉論

志賀直哉は『大津順吉』の中で順吉が石膏の女にたびたび接吻していたことを記しているが、直哉は生身の女以上に〈もの〉に感応する傾向があった。石膏の女は美しい〈もの〉である。それは生身の女よりはるかに美しい、理想美の典型である。志賀直哉は美しい〈もの〉に憧れ、それを自分のものにしたいという切ない願望にとらわれる。石膏の女が生身の女(貴族主義の混血娘お絹)の代用であった可能性もあるが、しかし同時にこの美しい〈もの〉が生身の女をはるかに超えた存在であったことも確かなのである。
 
死に対して何の幻想も抱かないこと、これはこれで一つの潔い生のあり方である。しかし生が謎に満ちており、生の神秘を解きあかすことのできない人間が、来世や復活を信ぜず、単に死を〈死骸〉の次元で把握して充足することができるのだろうか。志賀直哉は最初の本『留女』を祖母に捧げ、『大津順吉』を故母に捧げている。死んで墓場に葬られている母に著書を捧げるその心境を探ってみれば、畢竟直哉もまた死者の霊の存在を信じていたということになるのではないか。もしそうでないというのであれば、故母に捧げる好意は自己満足に堕する。死んでも生きている或る〈何か〉を感じるからこそ、志賀直哉は自らの著作を故母に捧げたのではないか。何も質面倒な理屈はいらない。先日、高田馬場の古本屋街を歩いたおり、近代文学研究書の専門店「平野書店」に立ち寄り志賀直哉関係の本を探した。棚から手にした『   』(     )に「   母に捧げる」という文字を見たとき、素朴に胸が熱くなった。志賀直哉は祖母留女に育てられ、彼女に対する愛は疑いようもないが、しかし生みの母銀をそれ以上に愛していたことも確かであろう。
十三歳で母を亡くした直哉の悲しみは想像を絶するものがある。直哉は祖母や義母の手前、母銀に対するその悲しみを深く押さえ込んでしまったのではないかとさえ思う。小説家にとって最も大事なのは自分の作品である。その最初の作品集を祖母に捧げ、二番目の作品集を母銀に捧げているのも、直哉の律儀と誠実を感じる。
  自分の部屋は二階で、隣のない、割に静かな座敷だった。読み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た。脇が玄関の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になっている。その羽目の中に蜂の巣があるらしい。虎斑の大きな肥った蜂が天気さえよければ、朝から暮近くまで毎日忙しそうに働いていた。蜂は羽目のあわいから摩抜けて出ると、一ト先ず玄関の屋根に下りた。其処で羽根や触覚を前足や後足で叮嚀に調えると、少し歩きまわる奴もあるが、直ぐ細長い羽根を両方へしっかりと張ってぶーんと飛び立つ。飛立つと急に早くなって飛んで行く。植込みの八つ手の花が丁度咲きかけで蜂はそれに群っていた。自分は退屈すると、よく欄干から蜂の出入りを眺めていた。(25)
 彼は隣のない静かな座敷で、読み書きだけの静かな時を送っている。大袈裟な言い方をすれば、彼は時と一体化した時を過ごしている。こういった静謐な時間のただ中に居て、彼の眼差しは〈時〉(時の諸相)を見る。〈玄関の屋根〉〈羽目〉〈蜂の巣〉〈虎斑の大きな肥った蜂〉〈蜂の出入り〉・・すべては時のただ中の事象であり出来事である。彼は眼差し(カメラ)と化して時の諸相を写し取っている。彼はここで生物の〈蜂〉だけをとらえているのではない。〈縁の椅子〉や〈玄関の屋根〉といったものも、〈蜂〉や〈八つ手の花〉と共に、優劣なくとらえられている。彼の眼差しは物質も生物も等価なものとして写し取っている。あたかも彼は白い無垢なキャンバスにでもなったかのようである。

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