『城の崎にて』を読む(4)

清水正の志賀直哉論

自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ているところだったなど思う。青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷もそのままで。祖父や母の死骸が傍にある。それももうお互に何の交渉もなく、・・こんな事が想い浮ぶ。それは淋しいが、それ程に自分を恐怖させない考だった。何時かはそうなる。それが何時か?・・今まではそんな事を思って、その「何時か」を知らず知らず遠い先の事にしていた。然し今は、それが本統に何時か知れないような気がして来た。自分は死ぬ筈だったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分には仕なければならぬ仕事があるのだ、・・中学で習ったロード・クライヴという本に、クライヴがそう思う事によって激励される事が書いてあった。実は自分もそういう風に危うかった出来事を感じたかった。そんな気もした。然し妙に自分の心は静まって了った。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起っていた。(24~25)
 
彼が〈考える事〉は〈沈んだ事〉〈淋しい考〉〈怪我の事〉である。しかし彼はここで〈沈んだ事〉〈淋しい考〉について具体的に記すことはない。九死に一生を得た〈怪我の事〉が同時に〈沈んだ事〉〈淋しい考〉に繋がっているとも考えられるが、しかしそれだけではないようにも思える。彼は〈沈んだ事〉〈淋しい考〉について完璧に省略してしまったようにも思える。志賀直哉の読者は『濁った頭』『大津順吉』『和解』『或る男、其姉の死』『暗夜行路』などの作品において、父と息子の確執のドラマを知っている。父と息子はお互いの死さえ願っている者として描かれる。そういった確執に纏わることを、彼は〈沈んだ事〉〈淋しい考〉という言葉の内に封じ込んでいたかもしれない。
 彼がここで問題にしているのは〈怪我〉のことであり、自分の死に関してである。彼は書く「一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ているところだったなどと思う。青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷もそのままで」と。ここに書かれている〈青い冷たい堅い顔〉とは、父との確執を残したままの〈顔〉という風に解せる。「顔の傷も背中の傷もそのままで」とは、彼にとって〈死〉は死であって、キリスト教で言う〈復活〉とは無縁の単なる死を意味している。そこにはいかなる救いの概念も、祈りの感情もない。死は単なる生の終わりに過ぎない。生のドラマが終われば、生きた者との交渉はすべて終わる。死者は死者の傍らに葬られるだけである。しかも彼は、死者は死者と交わるという考えもない。「祖父や母の死骸が傍にある。それももうお互に何の交渉もなく」と彼は書いている。志賀直哉は十七歳から七年間も内村鑑三に師事してキリスト教の教えに接していた。が、彼の生死観にキリスト教の影響は微塵もない。死ねば死んだ死体があるのみ。肉体は滅びても魂は存在するという考えすらない。彼が生前愛していた実母、生前尊敬していた祖父も、死んだからといって魂の交流ができるわけではない。彼は死にいかなる希望も寄せていない。換言すれば、彼にとって生こそが唯一の舞台であり、来世を信ずる心は全くない。こういった信心のない男は、いざ自らの死に直面したときには大きな恐怖にとらわれるであろう。
 彼はまだ若い。彼を『城の崎にて』執筆時の志賀直哉と重ね合わせるなら、まだ三十歳半ばであり、電車に跳飛ばされ〈怪我〉を負ったとは言え、死を免れた存在である。彼は「自分の心には、何かしら死に対する親しみが起っていた」と書いているが、それは死の恐怖から遠ざかった者の言葉であり、心境の吐露である。

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