追悼:野沢尚

野沢尚氏の講演記録(13)

学生:野沢さんはテレビの脚本も映画の脚本も両方書いていると思うんですけれども、テレビと映画との脚本の作り方の最大の違いは何ですか。
野沢:最大の違いは作り方というよりも、まず映画というのはやっぱり監督のものですよね。なぜかというと、現実問題として映画というのは、非常に時間がかかるわけですよね。ですから監督が非常に時間をかけるわけ。準備期間に。それで希望を出す時間もたくさんあって、監督の希望が押し寄せてきて、それを何とか処理しなくちゃいけないという。でも、テレビドラマだとそんなに余裕がないから、後はプロデューサーに任せるという、テレビは割と作家を立ててくれるというか、作家の自由に任せる部分があるんですよね。時間がないっていうこともあるんだけど。
 
それからもうひとつの大きな違いは、映画というのはやっぱり映像で見せるものなんですよね。例えば映画の仕事でたくさんセリフを書くと、うるさいって言われるわけ。打ち合わせで。何でこんなに喋るんだと。映画っていうのは観るものなんだから、無言でいいじゃないかと。つまり映画というのはロングショットで見せるもので、テレビというのはクローズアップで見せるもの。クローズアップで主人公の喋っている顔をアップで見せるというのが、ドラマの仕事と言ってもいいと思うんですね。ドラマではセリフの力が要求されるから、作家がたくさん書かなければならない。だから作家の力が非常に重要視される。映画の場合は、空間づくりみたいなもの、ロングショットの作り方というのは、やはり監督の領域だから。僕にとっての作業工程みたいなものは、あまりどちらも関係ないし、小説もそういう風に作っているんだけれども、現実問題で言うと、ロングショットとクローズアップの違いとか、セリフが長いとか短いとか、まあそういう違いかな。一番簡単に言えば。
学生:僕は舞台をやっていて、脚本を自分で書いているんですけれども、何本か脚本を書いていると、全部同じ文章みたいになってしまうような気分になることがあるんですけれども、野沢さんはそういう風な気分になることはありますか。
野沢:色んな人のセリフを書いていて、同じになっちゃうっていうことだよね。それは第一稿を書き上げて打ち合わせをするときに、セリフの喋り方が違うとか、そういう指摘をよく受けるんですよね。
 それを何とかするには、最初からきちんとキャラクターを立てるにはどうしたらいいかというと、さっきもちょっと言ったけど、連続ドラマみたいな仕事になると、登場人物の生い立ちを作るわけね。生年月日もそうだし、どこで生まれたか、何歳が初恋だったのか、それがどういう風に終わったのか、最初の男性体験はいつだったのか、どういうところに就職して、どういう傷つき方をしたのか、どういう恋人ができて、どういう状況なのか。アパートはどういう間取りで、洗濯物はどこに干してあるのか、窓からはどういう景色が見えて、その景色を見たときどんな気分になるのか、何が不満なのかというようなことを、優秀な監督がいると一緒に雑談をして、キャラクターを作り上げていくんだけれども、そういうのをやればやるほど、主人公の喋り方が分かるんだよね。どういうセリフを喋るのか言葉使いをするのか、方言というのもそうだし、こういう環境に育ったから、こういう言葉を使うというのが、言葉の吟味をしていくうちに分かってくるわけ。
 だからちょっと迷ったときには、自分の最初に書いた生い立ち表というかプロットを読み返すという作業をやるよね。だからその前段階として、熱く主人公のキャラクターを作っているかどうかが勝負なんじゃないかなと思います。
学生:先ほどト書きが削られてしまうという話をされたんですけれども、やっぱり特にご自身が書かれたものをシナリオにする際に、特に小説だと、これだけ小説に書いて削りたくないと思っても、映像化にする際にいろんな制約があって削らなければいけないということもあると思うんですけれども、その辺でご自分とどう折り合いをつけていらっしゃるのかお聞きしたいんですが。
野沢:ええっとですね…これはちょっと話すと長くなってしまうと思うんですけれども、僕は自分の小説は絶対に他のライターには任せないんだよね。
 なぜかというと、誰一人として他の脚本家を信用してないから。自分以外に自分の小説をうまくできる人はいないと思ってる。だから自分一人でやるんだけれども、これまで僕は多分六十本くらい映画やドラマの脚本をやっていて、その三分の一くらいが他人の小説の脚色だったんだよね。中にはすごくうるさい原作者がいて、何でこういう表現をするのかとか、僕の書いたコピー台本に、作文みたいに添削を入れてきたりとか、それは森瑤子さんだったんだけれども、こんな表現をする脚色をされたらかなわないみたいに言われて傷ついたりとか、そういう時に思ったんだけど、原作を料理するときによくやるのは、否定してかかるんだよね。原作者に対して失礼なんだけれども、普通にはやっぱり何か削っていかなければいけないし、脚色の仕事っていうのはひとことで言うと、肉を削って骨を剥きだしにする作業なんだよね。いかに贅肉を切り落としていって、真っ白い骨っていう確信部分を伝えていくのが脚色っていう仕事で、ズバズバ容赦なく切っていくのが脚本家の本質なんだけれども。自分の原作小説をするときも、実はあんまり変わらないんだよね。非常に否定してかかるときがあって、それは書き上げてからだいぶ時間が経ってるってこともあるんだけど、映像化するために何を削らなければいけないか。
 今ちょうど『深紅』っていう、二年前に書いた小説を映画化しようとしてるんで、その構成を立てようとしているところなんだけど、それも二年経っているからかも知れないんだけど、かなり大胆な脚色の仕方ができるよね。脚色の仕方が、やっぱり二重人格になっているよね。原作者としては守りたい部分確かにはあるけれども、これはできないと。何でこんなセリフなんだと。これは小説の中の読み言葉じゃないかと。お前、声に出して喋ってみろと。脚本家は原作者に言うわけね。自分の中で。で、やっぱり読んでみると、それはやっぱり小説の喋り言葉で、映画の中で俳優が喋る言葉ではない。例えば「いわゆる」とかって、喋り言葉ではあまり言わないじゃない。
 原作者をどこかの時点で切り離して、脚本家という非常にわがままな存在になるんだよね。それは結構器用にやっているのかも知れないけれども、それは自分の小説をやるにしてもスタンスはあまり変わらなくて、とにかく穴を見つけるというか、隙間を見つけるというか、それをやっていますね。
学生:文芸学科の大原と申します。テレビドラマの視聴率が取れなくなったり、視聴者が離れているということに対して、野沢さんの危機感とか、打開案とか問題意識とか、そういうものがあったらお聞きしたいんですが。
野沢:最初にちょっと質問するけど、例えばあなたは自分が気に入ったドラマを観たときに、新聞やテレビジョンとかに視聴率が出ていますよね。そういうのを気にして観る人ですか? 気にしない方ですか?
例えば自分の目で選んで、そういうものを気にしないで観るタイプですか? 
 そういう人が多くなってほしいと思うですけれども、まあ確かに去年一年そうだったし、今もあんまり良くないかな。まあ僕の数字も悪かったですけれども、二年前は9.11があったんで、あのテロがあったんで、そっちの事件性に引っ張られたっていうこともあるし、もう十時になったらニュースステーションに行くみたいな、そういう現象なんだという風にテレビ関係者は言ってますが、僕は本数が多いと思います。どう考えても。ワンクール十六本、年にしたら六十本以上の新作が出るわけで、六十本がみんなこれまで見たことのないようなテレビドラマなんてできるわけはなくて、やっぱり六十本作るだけの役者がいないし、「お前、まだ主人公をやるには五年早いだろう」という俳優が主役をやってるし、やっぱり作家がいないよね。さっき「層が薄い」と言ったのもあるけれども。
 今の若い作家のデビューの仕方って、フジのコンクールである程度引っかかって、ファームがあるわけね。まあ、ちゃんとあるわけではないんだけれども。ファームクラスの作家予備軍がたくさんいて、ある日、連続ドラマを書いてる作家が途中でこけるわけね。僕も『おいしい関係』っていうテレビドラマをやったときに、途中で色々あって降りたんだけど、そこで何をしたかというと、若い作家に次の第六回か七回の脚本を、三人か四人に書かせるわけ。コンペなんだけど。要するにその中で面白いものを書いてきた人間をピックアップして書かせるみたいな、そういう予備軍がたくさんいて、ある日誰かが降りたとか病気になったとか、それをきっかけにして出てくるみたいな。それはよくプロ野球とか、サッカーの世界でもあるんだけれども、そういう形で出てくる予備軍はたくさんいるんだけれども、やっぱり顔が一緒だから、どうしてこの人がこれを書いてるのかなとか、何が言いたいのかなとか、スタイルは分かるんだけれども、何と抵抗してるのかなとか…。例えば松嶋菜々子と福山雅治がいると。視聴率取れると、テレビ局の話で、松嶋菜々子と喧嘩しながら恋愛になっていくと。そういう線があったとしても、第一回でそのキャラクターを全部出さなきゃいけないとか、登場人物の紹介を全部やらなきゃいけないとか、面白いエンディングをつけなきゃいけないとか、色んな制約を満たした上で、なにか一言、その作家らしいセリフがあればいいと思うんですよね。「これが書きたい」みたいなセリフがひとつあればいいんだけれども、例えばそういうものがなかったりするわけですよ。いま言った『美女か野獣』は、劣った作品だということはないんだけれども。あれはあれで面白い話だと思うし。話はちょっとずれたけれども、やっぱり人間が足りないよね。本数が多いし、でも作り続けなきゃいけないみたいなところで、首を絞めてると思ってます。
学生:文芸学科の生徒としてお聞きしたいんですけれども、野沢さんがものを作っていく上で、影響を受けた文学者は誰ですか。
野沢:僕は世界文学に非常に疎い作家で、小さなころからミステリーとかエンターテイメント系ばかり読んでいたんですけれども、例えばスティーブン・キングですね。何が好きかというと、最近の作品は一切読んでいないんですけれども、病的なほどの描写力ですね。人間のキャラクターをここまで描かなくても、というくらい書いてしまわないと気が済まないみたいな、やっぱりちょっとパラノイア的な傾向のある作家だと思うんだけれども、描写の厚みみたいなものにすごく影響を受けています。
 それと似た意味であれば三島由紀夫ですね。美文調というか、ひとつひとつの文章が芸術品になっているというところに。ただこれを真似しても、全く現代では通用しないということがある時期分かりましたけど。そのふたりがパッと出てきます。
 あと、恋愛小説を書こうとするときに目標とするものは、宮本輝さんの『錦繍』は、男と女が手紙を出し合うっていう書簡集文体の非常に短い恋愛小説ですけれども、非常に感銘を受けて、「これを越えるものを書きたい」といつも思っていますね。そんな感じですね。
清水:それでは残念ですけれども時間が来ましたので。それでは最後に拍手で。
野沢:またこういうチャンスがあれば。こういう風に喋ると自分も元気になるみたいな。要するにいつも密室の中にこもって、考えながら書いてる人間なんで、たまにこういう場に出てくるとね。今日はたくさん質問してもらったんで、嬉しかったです。
清水:どうもありがとうございました。

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