2010
04.07

『浮雲』論余話

林芙美子の文学, 林芙美子関係

清水正ブログ
平成22年4月6日(火曜)
『浮雲』論余話
 去年の四月から『浮雲』論を書き続けている。昨日、「『浮雲』と『罪と罰』について」も一段落した。この批評は二度も災難にあった。一回目はポメラの操作ミスで五十枚ほど書いた原稿を消去してしまった。二回目は二日ほどで三十枚ほど書いたのを、今度は愛用していたワープロ機の文書ラムカードの故障で失った。二回も続けて書いた原稿を失うとさすがショックだが、がっくりばかりもしていられないので、三度目にとりかかり、ようやく書き終えた。一度目のものはなくなってしまったので、比較しようもないが、興に乗って書いたところもあり悔しい思いは拭いきれない。しかし、二回も三回も、テキストの同じ箇所を引用しているうちに、今まで気づかなかったことを発見することもある。そんなときは、これを発見させるために二度も原稿を消去させられたのだろうかとも思った。
 『浮雲』を読んでいて、何度も思ったことに、富岡兼吾が実によく描けているな、ということがあった。林芙美子はもちろん女の小説家であるが、よく富岡兼吾という男のことが分かっているな、と思って感心してしまう。やはりこれは、林芙美子が若い頃から男で苦労したことの成果なのであろうか。初恋のひとと伝えられる岡野軍一とは、東京で同棲していたが、岡野は明治大学の商科を卒業すると故郷の因島へ帰り、家族の反対もあって芙美子との結婚の約束を反故にしてしまう。この失恋体験が芙美子に相当のショックを与えたことは疑い得ない。芙美子は東京に戻って短期間のうちに男と同棲、別離を繰り返すが、詩人の野村吉哉などは、芙美子に良い意味でも悪い意味でも深い痕跡を残している。野心を持った詩人同士が同棲して健やかな生活などできるはずもない。嫉妬や憎悪、殺意さえ抱くようになるのが関の山である。芙美子は岡野や野村など、深く関わった男たちに裏ぎられ、疎まれる体験を通して、男の狡さ、卑怯、虚栄、嫉妬などを躯に刻むように理解したのであろう。富岡兼吾の心理描写などは、林芙美子という女流作家が書いているというよりは、富岡という実在する男の手記のようなリアリティを備えている。富岡の狡さ、臆病、そして誠実さを描く芙美子の手に、わたしなどは菩薩の慈愛を感じたほどである。

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森光子主演『放浪記』第五幕 晩年・落合の家(平成21年5月)©東宝演劇部
 笑ってもらって結構なのだが、わたしは『浮雲』論を書き終えて、闘い続けた林芙美子の孤独な姿に一枚の毛布をそっとかけて、その労をいたわってやりたいという気持ちがある。かつて阿部定の供述書について書いたときも、定を抱きしめてやりたいという気持ちがあった。そんな気持ちで書き進め、結局たどりついたのは、これ以上、絶対に近づくことのできない、深い溝の前であった。定の姿は向こう岸にあったが、彼女のその姿に触れることはできなかった。誰も渡ることのできない深淵を挟んで、わたしは自分自身の孤独と向き合うほかはなかった。定の孤独を抱きしめてやりたいという気持ちは、批評の傲慢でしかなかった。今回の林芙美子に対する気持ちも、おそらくそれは批評の傲慢ということになるだろうが、行き着くところまで徹底して突き進めば、傲慢も傲慢でなくなる瞬間がある。
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昨年、二千回公演を越えた森光子の『放浪記』を観て、わたしは寒気のする感動を味わった。執筆に疲れ、文机に突っ伏すようにして寝入る林芙美子を演じた森光子の演技は、もはや演技などという領域を超えていた。確かに、舞台上で森光子は死んだ。林芙美子は執筆に疲れて寝入ったのではない。闘い続けた林芙美子の死こそが、森光子によって体現されたのだ。林芙美子の〈死〉を体現してしまった森光子の〈死〉の顕現にわたしは背筋を冷たくして感動した。言葉を失う感動とはこういうことを言うのだろう。わたしは森光子の舞台手を観て「森光子は生きながらにして復活した」と思った。ふつう、死ななければ復活もないが、森光子は生きながらにして復活するという、その奇蹟を舞台上に現出させてしまった。凄い、筆舌に尽くしがたいことを、森光子は『放浪記』の舞台で実現してしまっている。わたしはこの〈奇蹟〉を、森光子が大勢の観客の眼差しにさらされながら起こしている〈奇蹟〉を伝え、残しておかなければならないと思った。
 『浮雲』を書き終えて二ヶ月後に、林芙美子は四十七歳の生涯を閉じた。森光子は八十九歳で芙美子の〈死〉を体現した。一人の小説家と一人の舞台女優が〈死〉を通して融合した、その〈奇蹟〉に立ち会った者として、今、わたしはこれを書いている。今年の五月、森光子は『放浪記』の舞台に立つことを楽しみにしていたが、医師たちの判断で公演は延期されることになった。わたしは一人の批評家として、森光子の〈奇蹟〉に立ち会えたことに無上の喜びを感じている。
  ノアや、ロトの審判が、雨のなかに、轟々と、押し寄せて来るようで、ゆき子は、その響きの洞穴の向うに、誰にも愛されなかった一人の女のむなしさが、こだまになって戻って来る、淋しい姿を見た。失格した自分は、もうここでは何一つ取り戻しようがない。あの頃の自分は、どうしてしまったのだろう・・・。仏印での様々な思い出が、いまは、思い出すだにものうく、ゆき子はぬるぬるした血をううっと咽喉のなかへ押し戻しながら、生埋めにされる人間のように、ああ生きたいとうめいていた。ゆき子は、死にたくはなかった。頭の中は氷のように冷くさえざえとしながら、躯は自由にならなかったのだ。〈六十五〉
 わたしが今、問題にしたいのは〈ノアや、ロトの審判〉ではない。ゆき子にとって、雨の音のなかに、轟々と、押し寄せて来る〈審判〉の響きよりは、その響きの〈洞穴の向う〉の、〈誰にも愛されなかった一人の女のむなしさ〉と、そのむなしさが〈こだまになって戻って来る、淋しい姿〉そのものが問題なのだ。換言すれば、ゆき子は〈審判〉など畏れていない。ゆき子にとって、〈審判者〉は大日向教で金儲けしている教祖や伊庭とさしたる違いはない。「ゆき子は、死にたくはなかった」と書いた林芙美子が、どれほど自分の死を意識していたか。それを思うとわたしの心は疼く。林芙美子は、自分の血肉を分けたようなゆき子を殺し、ろくでなしの富岡兼吾を生かした。その設定にわたしの心は千千に乱れ、林芙美子の〈偉さ〉に撃たれる。わたしの理想とする〈偉大なる母性〉、全身血にまみれ、我が子をはてしなくき包み込む大いなるマトリョーシカを感じる。
 林芙美子は一人の小説家として、ゆき子を最後の最後まで女として描いた。ゆき子は、富岡にうざったく思われようが、嫌われようが、執拗にまとわりついた。まさにゆき子はストーカーであることを全うした。エゴイスティックに、愛するものを執拗に追い求め、決してあきらめることのなかった、その力に感動さえ覚える。ゆき子は死んで、さらなる霊力をもって富岡を追いかけるであろう。富岡兼吾はゆき子の死によってさえ解放されない。浮雲はいつともなく消えてしまうが、ゆき子の霊は永遠に死なないのである。ゆき子が生きている間は、おせいの幻影に悩まされた富岡だが、ゆき子が死ねばおせいをはるかに超えたゆき子の幻影につきまとわれることになるのである。
 富岡兼吾は『浮雲』に登場する一人物にとどまるものではない。敗戦後の日本を生きるすべての日本人の〈吾〉を兼ねた人物なのである。嘘つき、卑劣、卑怯、狡猾、臆病、見栄坊・・・これが敗戦後六十数年たっても、依然として変わらぬ日本男子の赤裸々な姿である。

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