2010
01.24

林芙美子の文学(連載167)林芙美子の『浮雲』について(165)

林芙美子の文学, 林芙美子関係

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林芙美子の文学(連載167)
林芙美子の『浮雲』について(165)

(初出「D文学通信」1371号・2010年1月24日)
清水正


富岡はゆき子から〈怖い夢〉の話を聞かされても、
表面上、何の関心も示さず、炬燵に足をのばし、ゆ
き子は「今日はお正月ね」と言う。〈怖い夢〉のことな
ど、分析家にまかせておけばいいといった、無頓着
さで、固く沈黙を守っている。


面白いことだが、林芙美子はゆき子の〈夢〉に関して何も触れない。先
に引用した〈夢〉の続きを林芙美子は次のように書いている。
富岡は炬燵のなかへ足をのばした。ほかほかと埋火が暖い。ゆき子は、
スタンドの燈火をまぶしそうに眺めながら、「今日はお正月ね……」と言
った。
長い間、こうして、二人は、この宿で暮しているような気がしている。
たった三晩しか泊っていないのだが、昔からこうして、二人は暮している
ようだった。
(266 〈二十六〉)
富岡はゆき子から〈怖い夢〉の話を聞かされても、表面上、何の関心も
示さず、炬燵に足をのばし、ゆき子は「今日はお正月ね」と言う。〈怖い
夢〉のことなど、分析家にまかせておけばいいといった、無頓着さで、固
く沈黙を守っている。富岡はもし今度の戦争がなければ、ゆき子と逢うこ
ともなく、今頃は実直な官吏として役人生活を送っているだろうとか、戦
争は日本人に〈多彩な世界〉を見学させたものだとか思う。また煤けた天
井を眺めながら、地図のような汚点を見つけて、ふっと、ユヱの街を思い
出したりする。
富岡は敗戦後の自分の惨めな生活を受け入れることができない。日本は
戦争に負け、そして富岡は自分の人生に敗北した。心中の妄想にかられて
伊香保まで来たはいいが、煤けた天井の汚点を地図になぞらえて、仏印で
の極楽の日々の光景を懐かしく思い出すこと位しかできない。現実を受け
入れられない者は過去に逃げ込むか、未来を閉ざすしかない。富岡は命を
絶つことで未来を閉ざす道を選択しながら、それを実行できずに旅館の一
室で無為な時を浪費している。ゆき子は「ねえ、あなた、覚えている?」
と声を掛けて、富岡を〈記憶のさすらい〉から引き戻し、「加野さんと、
私と、あなたと、三人でヘイホの町へ行ったことがあったわね。三日くら
いの旅だったかしら、加野さんは焦々して、ずっと、私たちを看視してた
じゃない? その看視の眼をくぐって、二人で、真夜中に逢っていたわね。
二人とも狂人みたいだったわ」と話す。
〈二十七〉に入って、ヘイホの町についての説明があり、ゆき子のこの
町に関する感慨が語られたあと、叙述は次のように続く。
ゆき子は腹這いになって、枕もとの小机から時計を取って見た。四時
を少しまわっていた。ゆき子は、昨夜、あれほど、二人で死について語り
あっていながら、いまは、死について何も考えることはなかった。こんな
ところで死ぬのはばかばかしい気がした。富岡の言っていることも、本気
ではないように思え、今日はこの時計を手放して、池袋の家へ戻りたいと
思った。二人の間に、仏印の記憶が、二人の心を呼ぶきずなになっている
だけで、ここに寝ている二人にとっては、案外、別な方向を夢見ているに
しか過ぎないのかもしれない。

(269 〈二十七〉)
ここでのゆき子の思いはリアリティがある。富岡の心中妄想など、ゆき
子はもちろん、富岡自身ですら本当には信じていなかった。ようやく富岡
とゆき子は現実の世界に戻って、地に足のついた会話ができるようになっ
た。
宿の払いに追い立てられていることが気がかりで、いつまで伊香保に
いても、少しもロマンチックな気にはなれないのだ。ゆき子は、その気持
ちをうまく富岡へ表現したかったが、富岡は、心が屈している様子で、こ
の宿を去る説には、なかなかふれて来そうもない。
「今日は、お正月ね?」
「うん」
「今日、帰る?」
「三四日いたいと、君は言ってたじゃないか。気が変ったのかい?」
「気が変ったわけじゃないけど、何だか、仏印の話も言い尽したような
気がするし、あなた、私に飽きちゃっていると思ってさ……」
「君が飽きたンだろう?」
「ばか言ってるわ……」
私は飽きないと言うところを見せるために、大きい声で、ばか言って
ると言ってみたものの、ゆき子は、池袋がなつかしかったのはたしかであ
る。浮気でうつり気なのかなと、ゆき子は、自分の心の中を手さぐりでさ
わってみている感じだった。山峡の水の流れが深々と耳に響いた。
「もっと、苦しまなくちゃ、僕たちは、この生活から前進はできないん
だよ。君にとってはどうでもいいことだろうがね……。二人で逢って昔の
ことをなつかしがってみたところで、もう、月日は過ぎたんだし、そんな
話をすることは、悪い習慣だよ。そんな昔話で、君と僕の間が、昔どおり
のあの激しさに戻るもんでもないしさ……。そのくせ、俺は、細君にだっ
て、昔どおりの愛情は持つっちゃいないんだよ。戦争は、僕たちに、ひど
い夢をみせてくれたようなものさ……。どうにもならん、魂のない人間が
できちゃったものさ……。ねえ、どっちつかずの人間に凡化しちゃったん
だよ。時がたてば、昔話だって色あせて来るしね。人生って、そんなもの
だ。渇望する思いだけが、ばかに強くなって、この現実には、なるべく体
当りしないようなずるさになって来てるしね。浦島太郎のはんらん時代な
んだよ。現実は、いっこうにぴんと来ないとなれば、どこにも行き場がな
い。妙な大旅行はしないほうがよかったのさ……」
「そうね、判るわ。でも、生きてる限りは、浦島太郎で尻もちついてな
んかいられないでしょう? やっぱり、何とか、煙の立ってしまった箱の
蓋でも閉めて、そこから歩き始めなくちゃ、誰も食わしちゃくれないし…
…。でも、二人とも、別れて、二三日逢わないと、ふっと逢いたくなるの
は変だと思わない? 私、きまって、あなたのこと考えてるのよ。憎かっ
たり、可愛かったり……。人間って、どうにもやりきれないもんだわ。も
う少し、時がたてば、この気持ちだって、楽々する時が来るんだとは思う
ンだけど……」
二人は、また、うとうとしはじめた。どうにかなるように任せて、時
間のたつのをやり過すより仕方がないのかも判らない。

(269 ~270 〈二
十七〉)
ここでの富岡とゆき子の会話はリアリティがある。富岡が心中妄想を実
行に移せないことは始めから分かっていたし、ゆき子もそんなことは十分
に体感的に分かっていたうえで、富岡と死について話を合わせていたに過
ぎない。ゆき子の「何だか、仏印の話も言い尽したような気がするし、あ
なた、私に飽きちゃってるとおもってさ」は、まさに図星の言葉で、要す
るにこういう言葉が発せられた以上は、二人の関係に幕が下ろされたこと
を意味している。ゆき子は池袋の小舎に、富岡はがらんどうの家に待つ邦
子のところへ帰っていけばいい。ゆき子は逞しく、小舎暮らしを続けてい
くことになろうし、富岡は富岡なりの暮らしをしていくことだろう。が、
作者林芙美子だけが、この別れることが当然な富岡とゆき子の関係の糸を
切り離そうとしない。富岡がこの糸を断ち切ろうとすると、作者が糸の張
りを緩めてしまう。ゆき子が切ろうとすると、糸を眼前から消してしまう。
「でも、二人とも、別れて、二三日逢わないと、ふっと逢いたくなるのは
変だと思わない?」ゆき子は富岡をどうしても関心の外に追いやることが
できない。〈魂のない人間〉〈どっちつかずの人間〉〈浦島太郎〉が富岡
兼吾である。この富岡は妻の邦子を、ダラットで悦楽の日々を共にしたゆ
き子を激しく愛することもできないし、一緒に死ぬこともできない。富岡
は、ゆき子の口の中で唾液いっぱいに噛み砕かれたスルメイカのようなも
ので、ゆき子の口から吐きだされて、七輪の火に炙られ、厭な匂いを発散
して焼き尽くされなければならない存在である。
富岡とゆき子は、いつどこで別れてもいいように描かれていながら、し
かし、その関係を閉じることはなかった。

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