2010
01.19

林芙美子の文学(連載162)林芙美子の『浮雲』について(160)

林芙美子の文学, 林芙美子関係

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林芙美子の文学(連載162)
林芙美子の『浮雲』について(160)

(初出「D文学通信」1366号・2010年1月19日)
清水正


とうの昔に別れていなければならない二人が、別れの時機
を逸して腐れ縁の泥沼で足掻いている。富岡の子供染みた
決着の仕方は〈心中〉であるから、何の現実的な解決とはな
らない。


「私、時計を売って来ていい? ・・ねえ、お正月をここで過したいわ
……」
窓硝子に、白い雨がにじんで来た。ついッ、ついッと、小鳥が廂をよ
ぎっている。ゆき子は立って、硝子戸を開けた。眼の前の山も空も乳色に
煙っている。仏印の山々の、雨に煙っている景色に似ている。富岡は貝釦
を手でまさぐりながら、畳の上に置いて、子供のおはじきのように、小指
や、人差し指ではじいていた。
「お正月は雨だわね……」
硝子を閉めて、また、ゆき子は炬燵に這入った。戸は、むっくり起き
あがって、炬燵の上に貝釦を置くと、ゆき子へともつかず、自分へともつ
かず、つぶやくように、
「死にたくなった……」と言った。
何気なく聞き流して、ゆき子は、釦を取って、ちょっと胸にあててみ
たが、釦のとれたあとの糸屑を疳性に引っぱりながら、
「私だって、死にたいわよ」と、ぽつんと言った。
(264 〈二十四〉)
時計を売って滞在費のたしにしようというゆき子は現実に足を据えてい
る。心中の妄想に耽っている富岡にはすでにそんなことはどうでもいい気
分になっている。ゆき子は富岡と二人で伊香保で正月を過ごしたいと思っ
ている。何日か一緒に過ごせば、再び東京での小舎暮らしが待っている。
ゆき子にしてみれば、伊香保はダラットで過ごした悦楽の日々を現実に蘇
らせてくれるはずのものであった。しかし、描かれた限りで見れば、富岡
とゆき子の伊香保での二日間に悦楽の〈え〉も感じることはできない。
とうの昔に別れていなければならない二人が、別れの時機を逸して腐れ
縁の泥沼で足掻いている。富岡の子供染みた決着の仕方は〈心中〉である
から、何の現実的な解決とはならない。富岡はゆき子の胸から取った貝釦
をおはじきのように指ではじいているが、この行為は、彼の貧乏揺すりと
同じで、決断を先延ばしして、いつまでもうじうじぐずぐずしている、優
柔不断な男の特質性を端的に表している。
富岡が「死にたくなった」と言い、ゆき子が「私だって、死にたいわ
よ」と言ったのであるから、発せられた言葉の次元にとどまれば二人はこ
こで同じ気分に溶け合ったことになる。しかし、富岡の言葉とゆき子の言
葉がぴったり重なり、溶け合っていないことは、どんな鈍感な読者にも明
らかである。ゆき子は硝子を閉めて、炬燵に入る。富岡はゆっくり起き上
がって、おはじき代わりにしていた貝釦を炬燵の上に置く。それから誰に
ともなく「死にたくなった」と呟く。ゆき子は、この決定的な言葉を何気
なく聞き流して、貝釦を手にとって胸にあててみる。林芙美子の描き方は
見事であって、貝釦ひとつで富岡とゆき子の関係性を端的に表現している。
ゆき子の胸の釦は〈はずれそう〉であった。富岡はその〈はずれそう〉
な釦を指で引っぱりながら「僕たちは、どうにも仕方がないと言うこと
さ」と言った。ゆき子の胸のはずれそうな釦とは、富岡とゆき子の関係の
破綻を暗示して余りある。ゆき子はジョオと関係を結びながらも、深夜の
湯殿で一緒になった若い女たちのように〈日本の男〉を捨てきって〈ゲラ
ゲラ笑い〉できるまでには踏み越えていない。若い女の一人は外人の〈
彼〉に「真紅なスーツで、金釦をつけて貰ったンだよ」と自慢げに話して
いた。戦勝国の外国人に身も心も売った若い二人の女は〈匂いのいい石け
ん〉を使い、〈プラスチックの、大きな櫛〉で髪を梳き、〈ハイカラな大
瓶に這入った水クリーム〉や〈大判のタオル〉をゆき子に見せびらかして
いた。
ゆき子が初めてジョオに声を掛けられた時の場面を想起すればいい。作
者は次のように書いていた「二人はいつの間にか腕を組んで歩いていた。
おかしくもないのに、ゆき子は声をたてて酔ったように笑ってばかりい
た」「ゆき子は外国人と腕を組んで新宿駅に行き、珍しい外人専用車の省
線の電車に乗せて貰った。ゆき子は晴れがましい気持ちで、小さくなって、
自分の道づれに寄り添っていた」と。外国人の若い男に〈淋しい砂漠の
街〉で声を掛けられ、〈晴れがましい気持ち〉で一緒に腕を組んで歩いた
ゆき子は、若い二人の女の気持ちが痛いほど分かる。が、ゆき子は今、
〈大きな真白な枕〉や〈ラジオ〉をプレゼントしてくれた〈大陸的な豊穣
さ〉を持ったジョオではなく、薄汚れて卑しい〈汚い手拭い〉のような富
岡と〈道づれ〉になっている。
ゆき子は今、富岡の誘いに乗って伊香保の旅館の一室に身を置いている
が、彼女の内部で〈ジョオ〉か〈富岡〉かで、微妙な揺れ現象があったこ
とを否定することはできないだろう。〈はずれそうな貝釦〉は、その心理
的な揺れの隠喩である。〈ジョオ〉を選べば、〈貝釦〉はいつでも〈金
釦〉に変えることができるし、汚い手拭いで肌を洗うこともない。初めて
訪れたゆき子の小舎で、大きな枕やラジオの存在を眼にしている富岡が、
ゆき子の内部の劇を察せられないはずはない。富岡のプライドと虚栄が、
〈大きな白い枕〉に無関心を装い続けたように、ここでも〈はずれそうな
貝釦〉の意味するところを心理分析して言葉にしないだけである。

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