2010
01.17

林芙美子の文学(連載160)林芙美子の『浮雲』について(158)

林芙美子の文学, 林芙美子関係

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林芙美子の文学(連載160)
林芙美子の『浮雲』について(158)

(初出「D文学通信」1364号・2010年1月17日)
清水正


ゆき子は富岡に煙草がないかと聞き、ないと答えられると、
灰皿から吸殻をひろって、パイプに突きさして火をつける。こ
の行動が、ゆき子の逞しい生存の秘密を端的に表している。
男と女の関係の次元で、この行動を隠喩的に見れば、ゆき子
は新鮮な、誰も口にしたことのない〈煙草〉を吸ったことがない。


「ねえ、煙草、ない?」
「ないよ」
「何をそんなに、あなたは考え詰めているさア? 焦々してるのね。・
・いっそ、正月を、ここで暮して行きませんか? お金が足りなかったら、
私の外套を置いてもいいし、この時計を置いてもいいわ。みっともなかっ
たら、町へ出て、時計を売って来るつもりよ……」
ゆき子は、そう言って、灰皿から、吸い殻をひろって、短い吸い殻を
パイプに突きさして火をつけた。
富岡は、炬燵に腹這って、昨日の新聞をもう一度くり返して読んでい
たが、「おい……」と、思い詰めたように、畳に肩肘突いて、ゆき子の顔
を、下から見上げた。
「何よ?」
「うん、別に、何てこともないンだが、つくづく、世の中が厭になっち
ゃったなア……」
「どうして、どんなことなの?」
どんなことなのだと聞かれて、富岡は頬のしびれるような気がした。
乾いた眼を、白々と開いたなりで、ゆき子の化粧のはげた顔を見つめ、冷
たくつっぱなすように言った。
「生きているのも退屈だね……」
ゆき子は、何を意味する言葉なのか、ちょっと判らなかった。富岡は、
ゆき子の胸の釦のはずれそうなのを、指で引っぱりながら、
「僕たちは、どうにも仕方がないと言うことさ」
「仕方なくないじゃアないの……。あなたの心境って、妙に底をついて
来たのね……」
「ふうん、うまいことを言うね……。そうなンだよ。・・じゃア、君は、
底をついてないンだね。おもしろいだろうね。世の中がおもしろいだろう
ね……」
「何が、おもしろいのよ?」
「こんな時勢になったことがさ……」
ゆき子は、富岡の考えていることが少しずつ判りかけて来た。甘い涙
が、咽喉元まで、溢れそうな気持ちだった。
「私、あなたの思ってること、言ってみましょうか?」
「いや、言って貰わなくてもいい……」
「別れる話?」
「違うッ」
釦がぽろりとはずれた。はずれた釦を握ったまま、富岡はぬるい炬燵
に躯を縮めるようにして、横になった 。
(263 ~264 〈二十五〉)
ゆき子は富岡に煙草がないかと聞き、ないと答えられると、灰皿から吸
殻をひろって、パイプに突きさして火をつける。この行動が、ゆき子の逞
しい生存の秘密を端的に表している。男と女の関係の次元で、この行動を
隠喩的に見れば、ゆき子は新鮮な、誰も口にしたことのない〈煙草〉を吸
ったことがない。伊庭には妻がいたし、富岡には愛人のニウがいたし妻も
いた。それを承知でゆき子は関係を続けた。まさかジョオの最初の女がゆ
き子であったわけではないだろう。煙草がなければ、ゆき子は吸殻を拾っ
て吸える女である。富岡のように一人で考え詰めて焦々することもない。
金がなければ、外套でも、時計でも売り払えばいいと思っている。つまり、
ゆき子の気持ちはどん底にあっても生に向かっている。
ところが、富岡は炬燵に腹這って〈昨日の新聞〉をもう一度くり返して
読んでいる。富岡にとって生きて有る〈現在〉などは〈昨日の新聞〉の記
事に過ぎない。富岡は〈過去〉を繰り返しなぞっているような〈現在〉を
生きている。〈昨日の新聞〉を繰り返し読む富岡の姿勢は「炬燵に腹這っ
て」である。何もかも面倒で、退屈に感じている人生の敗残者の姿を、富
岡は臆面もなく晒している。理想も目標も失った男にとって、現在と未来
はない。〈昨日の新聞〉をもう一度繰り返し読まなければならない男の所
在無さ、生きながら死んでしまったような敗残者の虚無の裸形が晒されて
いる。
富岡は「世の中が厭になっちゃった」と言い、「生きているのも退屈だ
ね」と言う。敗戦、事業の失敗、家族の者たちの穴ごもり、ゆき子との腐
れ縁、確かにこれではどんな男でも世の中が厭になるだろう。しかも富岡
には何の希望もないのだ。富岡はゆき子を死の道づれにしようと、伊香保
までやって来るが、彼にとって死はもちろん希望ではない。厭世と退屈で、
はたしてひとは死ねるものなのかどうか。退屈の魔に襲われた人間にとっ
ては死すら退屈である。富岡は〈芝居がかりの死の舞台〉で主人公の役割
を果たすことはできない。熱くもなく、冷たくもない、生温き人間である
富岡には、心中を促すマグマがない。富岡にできることは〈昨日の新聞〉
を繰り返し読むという、言わば徒労の時を浪費することだけである。
富岡とゆき子の関係は、ゆき子の胸の釦のはずれそうなのを、富岡が指
で引っぱりながら「僕たちは、どうにも仕方がないと言うことさ」と口に
している場面に象徴的に表れている。富岡は、はずれそうな釦をはずすい
まいとしているのではない。はずれそうな釦を指で引っぱって取ろうとし
ているのが富岡である。いつはずれるか分からない、宙吊りにされたよう
な状態にいつまでも拘泥していることに富岡は嫌気がさしている。富岡は
一刻も早く決着をつけたいと思っている。ゆき子と別れることができない
のならば、ゆき子を道づれにして死ぬよりほかはないと考えるほどに、富
岡は衰弱している。ゆき子の「あなたの心境って、妙に底をついて来たの
ね」は辛辣に富岡の内部に響いたであろう。
男の内部世界が、女の眼差しに捕らえられた時、男の男としての魅力は
喪失する。そんな男は女にとって何ら魅力がない。金が底をついても立ち
直ることは可能だが、心の底がついた男には、どんな方向にも活路は見い
だせない。富岡はゆき子に「あなたの心境って、妙に底をついて来たの
ね」と言われて「そうなンだよ」とあっさり認める。相手の女に底をつい
た心境を指摘された男は、いったいどのように振る舞ったらいいのだろう。
底の知れた男など軽蔑の対象となるばかりで、そんな男と一緒にいたいと
思う女はいないだろう。ゆき子は例外中の例外で、林芙美子はそんなゆき
子を描きたかったのかも知れない。
『晩菊』のきんだったら、富岡の呼び出しの速達を無視しただろう、待
ち合わせの四谷見付に来ても雨のなか傘もささずに渋谷まで富岡の後ろを
ついて行くことはなかっただろう、伊香保行きを誘われても断っただろう、
伊香保に来ても翌日には富岡を置いて一人東京へと戻ったであろう……底
の知れた哀れな男、しかもこの男はダラットで悦楽の日々を共にした仲と
は言え、結婚の約束を守らなかった裏切り者なのである。〈こんな男〉と
関係の糸を切らずに、いつまでも一緒にいるのが不思議である。林芙美子
はその〈不思議〉の謎を最後の最後には解いてくれるのであろうか。

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