2010
01.12

林芙美子の文学(連載155)林芙美子の『浮雲』について(153)

林芙美子の文学, 林芙美子関係

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 尾道にて(2009.11.14)
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林芙美子の文学(連載155)
林芙美子の『浮雲』について(153)

(初出「D文学通信」1359号・2010年1月12日)
清水正


描かれた限りの富岡は、きわめて想像力のない男である。
自分が殺人の妄想に耽っている時に、相手のゆき子が何を
考え、何を思っているのか。がらんどうの家に一人残された
妻の邦子が、夫が不在の時をどのように過ごしているのか。
そういったことに思いが至らないということは、富岡が今、精
神的に余裕がもてない状況に追い詰められているからとも言
えるが、同時に彼が根本的に思いやりのない人間であるとい
うことも証している。


富岡の現実は、家を売って半金を貰い、来年登記して、一月末には家を
明け渡すということである。当然、彼が背負っていかなければならない両
親や妻がいる。一時の気晴らしにゆき子と伊香保まで来たというのなら、
まだ現実の延長線上にあるが、ゆき子と心中するというのでは、余りにも
飛躍し過ぎである。過酷な現実から逃げて、ゆき子を巻き添えにして死ん
でしまおうなどという考えは、卑劣の極であるが、しかしそれは実現不可
能な妄想の域にとどまることで、卑劣にもならない。
もし、伊香保温泉での、富岡とゆき子にリアリティを与えようとするな
ら、今までわたしが書いてきたようなことを、ゆき子の口を通して富岡に
直にぶつけてみたらいいのである。「あんたみたいに卑怯で、だらしのな
いひとは、何もかも嫌になって、私を巻き添えにして死んでしまおうなん
て了見で、伊香保にまでやって来たんじゃないの?」もしゆき子がストレ
ートに、こういった言葉を富岡に向けて発したらどうだったろうか。「考
えていることを、分けてちょうだい!」などと言う前に、富岡の考えてい
ることを直観のままに言い当ててしまった方が、二人のためには良かった
のではないかと思う。
富岡も思ったままを口にしてしまえばいい。「おまえの顔は平べったく
て、平凡だな。どうしておまえのような女と深く係わってしまったんだろ
う? 実は俺は、おまえを殺して死ぬつもりでいるんだよ」酒の勢いを借
りて、こう言ってしまえば、ゆき子は怒るよりは、腹をかかえて笑いだし
たかも知れない。富岡の心中妄想などに、真面目に付き合っていられるほ
どゆき子はうぶではない。烈しい感情に突き上げられて一時の狂態を演じ
ることはあっても、ゆき子は現実に両足を踏まえたリアリストである。描
かれた限りで見れば、富岡はロマンチストというよりは、変種の妄想家に
過ぎない。富岡が自らの妄想を、きちんと客観的に認識できる視点を持っ
ていて、その妄想自体を笑えることができれば、そこで初めて食欲旺盛な
リアリストのゆき子と対等のテーブルについて酒宴を張れるであろう。
富岡を描かれた限りで分析すれば、彼はかなり狡い男と言える。まず、
富岡は自分自身を巧みに騙すことのできる特殊な能力を持っている。富岡
は、自分がゆき子を殺せる男、殺したあとで自殺できる男と踏んでいる。
わたしの眼には、富岡は人を殺すことも、自分を殺すこともできない男に
見えるが、富岡は自分自身の妄想を、実現不可能な妄想と見ていない。自
分で自分を巧みに騙しながら、そのことに気づかない人間は愚かではある
が、同時にこんなおめでたい、幸せな人間はいないということになる。
描かれた限りの富岡は、きわめて想像力のない男である。自分が殺人の
妄想に耽っている時に、相手のゆき子が何を考え、何を思っているのか。
がらんどうの家に一人残された妻の邦子が、夫が不在の時をどのように過
ごしているのか。そういったことに思いが至らないということは、富岡が
今、精神的に余裕がもてない状況に追い詰められているからとも言えるが、
同時に彼が根本的に思いやりのない人間であるということも証している。
ゆき子には、どこかしら林芙美子の辛い人生が反映されているが、富岡に
はそれがない。富岡がどのように育ってきたのか、作者は何一つ報告して
いないので、読者が勝手に推測するしかないが、おそらく富岡は何不自由
のない家庭に育ったお坊ちゃまだったのであろう。
富岡は、ゆき子のような女によって徹底的に糾弾され、内心の欺瞞を暴
かれる必要がある。ゆき子は一度『晩菊』の女主人公の冷徹なリアリスト
の眼差しで富岡を裁断した上で、〈腐れ縁〉のドラマに参入した方がいい
と思うのだが、ここでは、富岡を〈こんな男〉と見なしただけで、愛想を
尽かすところまでは行っていない。理想を失い、事業に失敗し、夫として
の責任も果たせず、〈色めきたつ思い〉もない女と心中して、この世から
さっさとおさらばしてしまおうなどという、どうしようもない妄想にから
れている男のどこに魅力があるのだろうか。ゆき子が〈こんな男〉に、そ
れでも係わっていくというのであるなら、それなりの根拠を示してもらい
たいとも思うのだが、腐った魚が好きだという以上の根拠は示されない。

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