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林芙美子の文学(連載127)林芙美子の『浮雲』について(125)

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「喫茶 芙美子」 尾道にて(2009.11.14)
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林芙美子の文学(連載127)
林芙美子の『浮雲』について(125)

(初出「D文学通信」1331号・2009年12月15日)
清水正


敗戦の屈辱恥辱を骨の髄まで味わって日本の男たち
は落ちぶれ卑しくなってしまったのか。それとも、たまた
まゆき子と係わった男たちがそうであったのか。それとも
人間自体が、本来卑しい存在で、その卑しさが敗戦
でごまかしようもなく露呈してしまったのか。


2009年12月12日(土曜)
ゆき子は、黙っていた。娘時代を、こんな男の自由になっていたこと
が哀しくさえあった。自分の周りの男は、どうして、こんなに落ちぶれて
卑しくなってしまっているのかと、不思議な気持ちだった。
(250 〈二十
一〉)
敗戦の屈辱恥辱を骨の髄まで味わって日本の男たちは落ちぶれ卑しくな
ってしまったのか。それとも、たまたまゆき子と係わった男たちがそうで
あったのか。それとも人間自体が、本来卑しい存在で、その卑しさが敗戦
でごまかしようもなく露呈してしまったのか。冷静に考えてみれば、伊庭
は結婚している身でありながら、彼を頼って上京してきたばかりの十九歳
のゆき子を無理やり犯して、三年もの間、不倫の関係を続けるような男で
あり、富岡も日本に妻がありながらダラットでニウやゆき子と関係を結ぶ
ような男であるから、戦争や敗戦などに関係なく、彼らは〈卑しい〉男た
ちであったことになる。さらに言えば、〈卑しい〉のは伊庭や富岡に限っ
たわけではない。三年もの間、伊庭と関係を続け、ダラットに派遣されれ
ばそこで妻のある富岡と関係を結ぶゆき子も同様に〈卑しい〉女だったと
いうことになる。
ゆき子は伊庭に〈パンパン〉とまで口に出され、さらに「蒲団がなけれ
ば稼げないのかい?」と厭味を言われる。こんな伊庭を見てゆき子は「自
分の周りの男は、どうして、こんなに落ちぶれて卑しくなってしまってい
るのか」と不思議に思う。が、伊庭に言わせれば、実家に帰りもせず、妻
のある男に夢中になったあげく、ひとのものを勝手に盗み出して〈パンパ
ン〉になったゆき子こそがひとでなしということになろう。客観的に見れ
ば、伊庭もゆき子もどっちもどっちで、両人とも人前で自分の正当性を主
張できるわけではない。
  「何か、いい手蔓はないかね。煙草とか、衣類とか、出ないのかい?」
「何を言ってるのよッ。早く蒲団を持って行ってちょうだいッ。何もい
らないわ……」 ゆき子は見栄もなく涙が溢れた。辛くて、そこに伊庭
の顔を見るのも不愉快であった。伊庭は手をのばして、ラジオの小箱を引
き寄せてスイッチをひねった。三味線の音色が、爽かに流れだした。
「ほう、こりゃア電池で鳴るンだね。便利なものだなア……」
小箱の裏側の蓋を開けると、小さい玩具のような真空管がいくつも並
んでいた。ゆき子は立ったなりそれを見降していたが、思いついたように、
蒲団から、炬燵櫓を引っパリ出して、さっさと風を切るような音をたてて
蒲団をたたみだした。
「まア、そんな、急に片づけることはないやね……」
昨日から、この小さいラジオがばかにたたっているようで、ゆき子は、
その三味線の音色に侘しくなっている。
「ところで、芋干しを七八貫持って来たンだが、どこか売り口を知らな
いかね?」
ラジオの蓋を閉めながら言った。芋干しの売れ口なぞ、ゆき子は知る
ものかと、返事もしなかった。
「このラジオは、高価なものだろうなア」
「私のじゃないのよッ」
「日本でも、こいつの真似をして、新案登録できないものかな……。流
石に、うまいものができてるもンだね……」
伊庭は感心して、ラジオを手に吊りさげ、耳をかたむけて、三味線の
音を聴いている。
(24 〈二十一〉)
富岡は農林省を辞めて〈材木〉関係の仕事に乗り出し、その事業に失敗
して惨めな姿をゆき子の前に晒していたが、伊庭もまた敗戦後のどさくさ
の中で一儲けをしようと画策している。ラジオを手にすれば、それを真似
して〈新案登録〉できないものかと考えたり、持参した芋干しの売り口を
知らないかとゆき子に相談したりしている。成瀬巳喜男の映画で伊庭役を
担当した 山形勲 は渋い脇役として知られているが、この映画でも押しの強
い、図々しくも、逞しい生活力を持った伊庭を見事に演じていた。
三年間も肉体関係を続けた伊庭とゆき子の間柄であるから、二人の関係
をここで取り交わされた〈言葉〉の次元だけで捕らえると、とんでもない
誤解の穴に落ちてしまうかも知れない。男と女の間にあったことは当時者
にしか分からない領域があって、第三者はそこに立ち入ることはできない。
小説では一頁にも満たない量でしか描かれなかった伊庭とゆき子の三年間
の〈関係〉を想像力の限りを尽くして再構築した後で、「娘時代を、こん
な男の自由になっていたことが哀しくさえあった」というゆき子の内心の
言葉を聴かなければならない。
富岡もまたラジオに興味を示したが、それ以上に彼が〈大きな白い枕〉
を意識していたことは確かである。伊庭は〈枕〉に特別な感心を示すこと
はない。蒲団や枕は〈パンパン〉の商売道具ぐらいの意識しかない。伊庭
はゆき子の小舎にラジオがあるのを見て「景気がよさそうだ」と思い、
「うまい仕事に乗るようなことはないかね」と本気で商売っ気を起こす。
ゆき子はそんな伊庭の顔を見るのも不愉快であったが、伊庭はゆき子の思
いなどまったく斟酌せずに、ラジオのスイッチをひねる。ラジオからは爽
やかな三味線の音色が流れてくる。伊庭は小箱の裏側の蓋を開け、どんな
仕組みになっているかに関心を寄せる。ゆき子は三味線の音色に侘しさを
感じるが、伊庭は芋干しの売れ口はないかなどと、商売のことばかりを考
えている。
〈二十一〉の最後の場面は「伊庭は感心して、ラジオを手に吊りさげ、
耳をかたむけて、三味線の音を聴いている」となっている。この光景を眼
にしているのは作者ばかりではない。ゆき子もまたこの光景を凝視してい
る。ゆき子が腹立たしい思いを抱きながら伊庭を見ていたことは容易に察
せられる。が、この〈二十一〉最終場面から大きく立ち上がってくるのは
ラジオを手に吊りさげた〈伊庭の姿〉や、それを見ているゆき子の〈腹だ
たしい思い〉以上に、ラジオから流れてくる〈三味線の音〉である。この
〈三味線の音〉は、薄暗く、狭い小舎の中で展開された伊庭とゆき子の露
骨な烈しい言葉のやりとりや、彼らの怒りや嘆きや哀しみを晒した、哀れ
で醜悪な姿を、覆い、包み込む〈音色〉となって響いてくる。〈三味線の
音〉は、日本人が忘れていた原郷からの響きであり、その〈音色〉は荒く
れだった男と女の心を束の間鎮める役目を果たしたかも知れない。
伊庭とゆき子の関係は、ゆき子が盗んだ蒲団の事で幕を降ろすような関
係ではないという予感を感じさせる〈二十一〉最終場面ではある。

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