2009
12.11

林芙美子の文学(連載123)林芙美子の『浮雲』について(121)

林芙美子の文学, 林芙美子関係

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「喫茶 芙美子」 尾道にて(2009.11.14)
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林芙美子の文学(連載123)
林芙美子の『浮雲』について(121)

(初出「D文学通信」1327号・2009年12月11日)
清水正


富岡は泊らずに帰って行く。ゆき子は富岡に怒りをぶつけ、
するめを七輪に投げつけても、そうすることが富岡への拒み
ではなく、逆に烈しい求愛であるところに、性愛の厄介さがある。


その夜遅く、富岡は泊らないで帰って行った。まるで喧嘩別れのよう
な帰り方であった。ゆき子は、じいっと息を殺して、富岡の足の遠ざかる
のを聞いていたが、急に切なくなり、ゆき子は扉を押して外へ出て行った。
星屑が空いちめんに拡がり、霜冷えする寒い道であった。ゆき子は暗くな
ったマアケットの裏を通って、駅のほうへ走って行ってみた。富岡の姿は
見えなかった。
(246 〈二十〉)
富岡は泊らずに帰って行く。ゆき子は富岡に怒りをぶつけ、するめを七
輪に投げつけても、そうすることが富岡への拒みではなく、逆に烈しい求
愛であるところに、性愛の厄介さがある。ゆき子の妥協を知らない責めに、
富岡も辟易して〈刹那〉を求める衝動も萎えてしまったのだろう。ゆき子
は富岡の遠ざかる足音に耳をすましている。何とも言えない淋しさである。
ふと、長谷川泰子に「出て行け」と怒鳴られて、そのまま下駄を突っかけ
て家を出てしまった小林秀雄のことを想い出した。小林秀雄は二度と泰子
のもとへ戻ってこなかったが、富岡の場合は、そんな決着をつけられる男
でないことはすでに明白である。
ゆき子は、急にせつなくなり、扉を押して、空いちめんに星屑が広がっ
た、霜冷えする寒い道に出る。廃墟と化した東京の街に夜空を遮る建築物
はない。ゆき子は駅の方へ走って行く。が、富岡の姿はすでにない。ゆき
子は十日振りに会った、埃臭い、事業に失敗して家まで売り払ってしまっ
た哀れな男を軽蔑し、罵りながらも、その男がいざ去ってしまうと、未練
たっぷりに夜の暗い街を追いかけずにはおれない。どこまでも、どこまで
も追い、すがり、泣きつく女がゆき子である。
急に涙が溢れ、行き場のないやりきれなさで、ゆき子は泣きながら小
舎へ戻った。三本目のローソクは誰もいない部屋でゆらめきゆらめき小さ
くなっていた。乱暴なことを言ったのが後悔された。あとからあとからほ
とばしって出て来る言葉のトゲは、けっして、富岡一人を責めたてている
言葉ではないのだったが、富岡は、「もう、君に、それほどまでやっつけ
られては、泊る気もしないよ」と言って、ゆっくりくつ下をはき、立ちあ
がったのだ。ゆき子ははっとして、富岡の顔を見上げたけれども、口をつ
いて出る言葉は、あとへ引けなかった。ゆき子は泊ってほしい気持ちだっ
た。泊って貰って、淋しさを分けあいたい思いだった。
ゆき子はローソクの灯を吹き消した。そのまま炬燵にもぐり込んで、
獣のように身を揉んで泣いた。
(246 〈二十〉)
求める愛のせつなさ、淋しさ、悔しさ、苛立ち、呻きが渾然一体となっ
てゆき子の身を焦がす。泣きながら小舎に戻ったゆき子を待っていたのは
三本目のローソクの灯である。この三本目のローソクは時計がわりに富岡
とゆき子の逢瀬の時間を示すと同時に、ゆき子の余りにも孤独な姿をゆら
めく炎で照らしだす。誰が、このゆき子の孤独な姿を凝視できようか。今、
富岡に去られたゆき子の心にジョオの影が忍び寄って来る気配は微塵もな
い。ゆき子は身も心も富岡にやられてしまっている。
富岡は〈刹那〉の燃える火を消して小舎を出た。林芙美子は小舎から出
て去って行った富岡の後を追うことはしない。富岡は加野と違って振り向
くことをしない男である。ゆき子は必ず自分を追ってくるに違いないと確
信しながらも、富岡は立ち止まることも振り返ることもせずに立ち去った。
ゆき子は炬燵にもぐり込んで、獣のよう身を揉んで泣き続ける。ゆき子の
せつなさ、悲しさ、淋しさは身体全体で表現される。頭でっかちの、自意
識過剰のそれではなく、魂が身体を通して慟哭しているのである。こんな
にまで惚れられた富岡は、いったいどうしたらいいのだろう。〈二十一〉
に入って、林芙美子は富岡の姿を捕らえる。

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