2009
12.07

五十嵐綾野さんの寺山修司論(連載37)

寺山修司・関係

t23.jpg


寺山修司と俳句
五十嵐 綾野

寺山修司の俳句を初めて読んだ時、その暗さに驚いた。寺山の俳句のほとんどは、高校生の時に作られたものである。そこには10代とは思えない陰気くささがある。
寺山を読みだした頃、短歌を好んでいたために俳句は後になってから手にとった。寺山の短歌は俳句から出発したものが多い。乱暴に言ってしまえば、短歌をバラバラにしたものが俳句である。
その類似点についてよく問題視されるが、改めてみると、よくこれほど上手く切り張り出来たものだと逆に感心する。消して、書き変えて、貼りつけるという作業は今日におけるコンピューターと全く同じはたらきである。
さて、どの辺りが陰気くさいのかというと、ページをめくると次々に出てくる「死」に関する単語である。
影墜ちて雲雀はあがる詩人の死
桃うかぶ暗き桶水父は亡し
わが死後を書けばかならず春怒涛
その他にも「墓」「癌」「溺死」など間接的に思い浮かべるものも含めると、圧倒的に負のイメージである。1975年に刊行された第一句集である『花粉航海』の自註に「15歳から18歳までの3年間、私は俳句少年であり、他のどんな文学形式よりも17音の俳句に熱中していた」と述懐している。
俳句という17音の型に漠然とした「死」を閉じ込めてしまいたかったのかもしれない。それは寺山にとって、若き日々に最も影響を与えたものである。その拘束力ははかり知れない。このような俳句たちは「死」をひたすら定着させようと、訓練したあかしのようにも見える。
定着させるためには、繰り返しの作業も必要になってくる。中でも死者の命日に関するものが目を引く。
チェホフ忌頬髭おしつけ籠桃抱き
便所より青空見えて啄木忌
他郷にてのびし髭剃る桜桃忌
この他にもバリエーションは数多くあり、そのたびにはっとするが、次第にそのしつこさに飽きが来る。しかし、思い返してみればこのイメージの連続性・持続性に目を向けさせるきっかけになる。
「暗さ」と「隠された暗さ」は全く違うものである。なぜ寺山の作品に惹かれるかと言えば、その「暗さ」を見せてくれるからである。都市においては「暗さ」は全て隠されている。人工照明があてられ、景観重視のためにきっちりと整備されている街並み。そこにはかつては身近にあった死という存在が隠されてしまっている。
このような空間では生すらあやふやになっている状態であろう。生と死は隣り合わせで、交換し合うものだということをすっかり忘れてしまっている。明るいように見えて実は絶望的に「暗い」ということを気付かせる。死の影に覆われた寺山の作品は近代化が進む世の中で忘れ去られていくものを定着させようとしている。
寺山の俳句の中の死はとてつもなくリアリティがある「暗い」ものだ。しかし、売り出した田んぼに、母の真っ赤な櫛を埋めに行く心理と、家族が揃いながらも全員がゲーム機に夢中になっていることとは、どちらが本当に「暗い」のだろうか。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。