2009
11.25

林芙美子の文学(連載107)林芙美子の『浮雲』について(105)

林芙美子の文学, 林芙美子関係

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「喫茶 芙美子」 尾道にて(2009.11.14)
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林芙美子の文学(連載107)
林芙美子の『浮雲』について(105)

(初出「D文学通信」1311号・2009年11月25日)
清水正


富岡はゆき子に向かって「幸福そうだね?」と言う。
聞きようによってはこんなに意地悪で質の悪い言葉はない。
富岡に裏切られ、汚い物置小舎を精一杯こぎれいに装って、
言わば男相手の汚れた商売をしている女に向かって、こんな
言葉を発する富岡は箸にも棒にもかからない大馬鹿野郎と
いうことになる。


富岡はゆき子に向かって「幸福そうだね?」と言う。聞きようによって
はこんなに意地悪で質の悪い言葉はない。富岡に裏切られ、汚い物置小舎
を精一杯こぎれいに装って、言わば男相手の汚れた商売をしている女に向
かって、こんな言葉を発する富岡は箸にも棒にもかからない大馬鹿野郎と
いうことになる。が、今のゆき子はダラットの時のゆき子ではない。富岡
の皮肉で意地悪な言葉に対して「そう見える? ひぼしにならなかったと
云うだけね……」とさらりと応えることのできる女になっている。女が一
人、飢えずに暮らせるだけの金も用意できず、逃げ廻っているような男に、
いまさら何を言われても痛くも痒くもない。富岡の皮肉は、彼の小物ぶり
を露呈するだけである。
富岡はゆき子の返し言葉に〈釘を差し込まれた気〉がして黙り込み、そ
して今まで慣れ親しんだ女とはまったく違ったゆき子の顔を見つめる。富
岡はローソクの灯に照らされたゆき子の顔に、ダラットの愛人ニウの面影
を見る。〈女自身の個性の強さ〉〈何ものにも影響されない、独得な女の
生き方〉に富岡は〈羨望と嫉妬に似た感情〉を抱く。富岡がゆき子の〈変
貌した姿〉を見つめて感じた心理の描写は、林芙美子が並の女流作家では
なかったことを如実に示している。林芙美子は女性の心理心情ばかりでは
なく、男のそれにも深く踏み込み、端的に、鮮やかに描きだすことができ
た希有な作家である。
2009年11月22日(日曜)
再び、三たび、富岡がニウと長い接吻を交わした後、背後に聞いた昆虫
のような笑い声を想起しようではないか。ニウは確かに、富岡に弄ばれた
だけの女であるかも知れないが同時に逞しい生活力を備えた女でもあった。
ニウは富岡の子供を身ごもり、生み、育てる女である。日本が戦争に負け
た後、安南人のニウがどのような差別と偏見の眼差しに晒されながら富岡
の子供を育てていったのか。『浮雲』一篇の小説の底に、はかりしれない
ニウの物語が潜んでいることを忘れてはならないだろう。富岡は山林事務
官としてダラットの森については詳しい知識を持っていただろうが、女た
ちが織りなす野性の森林にどこまで踏み込めていたのかは疑問が残る。
富岡は邦子、ニウ、ゆき子といった女たちと深い関係を結んだが、その
〈深さ〉は性的繋がり以上の深淵を意味しない。背が高く、色が黒く、ダ
ンディなインテリ風の富岡は女に好かれる要素を備えていたと言えるが、
彼の内面世界のどこに魅力があったのかと改めて問えばきわめて曖昧であ
る。富岡は変貌したゆき子に嫉妬と羨望を覚え、女に天然に備わっている
〈生活力〉に圧倒される。
富岡は「絶対に二元性を持っている自由な女の生き方に、こんな道もあ
ったのかと思わないわけにはゆかない」。〈あれかこれか〉の二者択一を
迫られて、富岡は農林省を辞して材木を扱う商売に転じた。その結論に至
るまでの経緯を作者は詳細に描いていないので、富岡の内的葛藤を具体的
に知ることはできない。が、富岡が商売に失敗したのは、彼が目先の利益
獲得に走ったことに因ることは明らかである。富岡が山林事務官から材木
商に転じたことは、彼の性格から考えても失敗だったと言える。ところが、
ゆき子における〈あれかこれか〉の二者択一の一つが外人相手の〈娼婦稼
業〉となれば、富岡が〈こんな道〉もあったのかと驚くのも尤もなことで
ある。
ダラットでかなり自由に振る舞っていた富岡は、日本に引き揚げて来る
と〈富岡家〉を守るために、農林省を辞してまで儲け仕事に手を出したこ
ともあってあくせくと動き廻っている。妻と邦子の間に挟まれ、色恋沙汰
の心労もたえない。ゆき子の最低限の暮らしを保証する金も手渡すことが
できない。ゆき子の貧しい小舎は、富岡のさらなる貧しさをも代弁してい
る。つい先刻まで、ゆき子を〈荷厄介〉に考えていたのに、〈変貌した
女〉、自分から〈逃げていく魚〉にすさまじい〈食慾〉を感じてしまう。
富岡を魅惑し虜にするためには、愚痴をこぼしたり、激しい言葉で責めた
り、身悶えしても逆効果で、他の男の存在を示すだけで十分だったという
ことになる。上座に占める〈大きな白い枕〉と、ダンス曲を鳴らしている
〈ラジオ〉は、富岡のゆき子に対する冷えきっていた慾情に再び灯をつけ
ることに大いに役立ったということになる。

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