2009
11.03

林芙美子の文学(連載85)林芙美子の『浮雲』について(83)

林芙美子の文学, 林芙美子関係

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林芙美子の文学(連載85)
林芙美子の『浮雲』について(83)

(初出「D文学通信」1289号・2009年11月03日)
清水正


邦子は〈白粉気のない〉女であり、ゆき子は〈とても派手な
化粧〉をした女である。
邦子はつつましやかな女、夫の両親にも従順に従い、夫に対
しても貞淑を守る女として登場している。
ゆき子は厚い化粧で〈素顔〉を徹底的に隠しきった女として登場
している。〈派手な化粧〉とは対他者に対する強烈なアピールで
あるが、同時にそれは自分の〈素顔〉を一度捨てたことを意味している。


2009年10月27日(火曜)
「お金でも、その商会でお借りになったンでございますの?」
白粉気のない邦子が不安そうに訊いた。
「昨夜、何時ごろだ」
「七時ごろでしょうか。買い物に参りましての帰りでしたわ。貴方が遅
くお帰りでしたので、つい、申し上げるの忘れていましたけれど、今朝、
ラジオの尋ね人で、ほていと言う名が出ましたので思い出しましたけど、
ほてい商会って、何のご商売なさるところなンですかしら……」
富岡は返事もしなかった。いつも朝の遅い食事だったので、父も母も
ほかの部屋にいた。邦子は新聞をたたみながら、
「私が、参りましてはいけないでしょうか?」と言った。
憑かれたように、富岡は邦子の細面の顔を見ていた。この秘密を妻に
何もかも打ちあけたい気がした。富岡は疲れてへとへとな気持ちだった。
妻に、自分の秘密を洞察して貰いたかった。この不安を長く続ける勇気も
ないくせに、ゆき子の問題には何一つ親身になってやろうとしない身勝手
さが、富岡には自分でよく判っていた。みんな自分のやったことなのだ。
日本へ戻ってからというもの、富岡はまるで人が変ったように、固い仮面
を被って、自分の感情をおもてに現わすことを好まなくなっていた。邦子
はそうした良人に対して、もどかしく水臭いものを感じて、あの派手な化
粧の女とのつながりが、無関係ではないように思え、不安で暗いものを直
感した。このごろの富岡は、眼には落ちつきがなく、邦子を愛撫し、抱擁
していても、突然その動作を打ち切って深く溜息をつくようになっていた。
昔のような強烈な力を使い果さないうちに、富岡はあきらめたように、冷
く邦子を突き放す時があった。
(232 ~233 〈十八〉)
邦子は単刀直入に〈派手な化粧の女〉と富岡がどんな関係にあるのかを
訊きたい。が、プライドが邪魔をして、その核心部に直に触れることがで
きず、遠回りの言い方しかできない。戦争中、富岡の両親と一緒に家を守
ってきたにも係わらず、帰国した富岡は前のように愛を傾けてくれない。
厭なタイプの女が、派手な化粧をして家の回りをうろつき、富岡の行方を
尋ねてくる。邦子にしてみれば、こんなに鬱とうしく、不快なことはない。
邦子は女の直感で、富岡と〈厭な女〉との間にすでに肉体関係があること
を察している。富岡はすべての秘密を邦子に打ち明けて楽になりたいとい
う気持ちにもなるが、邦子の心の衝撃を考えるとそれはどうしてもできな
い。
描かれた限りで見れば、邦子には何の罪科もない。悪いのは、富岡ただ
一人である。富岡のみがダラットで〈極楽〉の生活を送った。邦子を愛し
ていながら、慾情を押さえることができずに、ニウと関係し、ゆき子と関
係した富岡のみが悪いということになる。しかし、邦子の内にどのような
思いが渦巻いていたのか、それを読者は知らされていないのであるから、
富岡のみを悪人にすればいいという問題ではない。富岡が邦子以外の女に
性愛的欲求を感じたように、邦子もまた富岡以外の男に同様の欲求を感じ
なかったという保証はない。
男も女も、人間である限りは、ただ一人の相手だけにしか性愛的欲求を
感じないなどということはない。前にも指摘したように、男と女のドラマ
に倫理や道徳を持ち込むことほど野暮なことはない。ゆき子が捨て身で富
岡を追い回しているように、もし邦子が富岡を愛しているのであれば、邦
子もまたプライドなどかなぐり捨てて富岡を求めるほかはない。ゆき子を
〈厭な型の女〉〈派手な化粧の女〉と蔑み、非難しても、この女が富岡と
ダラットで悦楽の性愛的関係を結んでいた事実をどうすることもできない。
たとえ富岡がゆき子との事を〈過去の事〉として葬り去ろうとしても、ゆ
き子は執拗にその〈過去の事〉を富岡の眼前に突きつける事を止めない。
否、富岡の眼前ばかりではない、ゆき子は邦子の眼前にも自分の姿を晒す
ことで、〈富岡との過去〉をちらつかせるのである。
2009年10月28日(水曜)
邦子は〈白粉気のない〉女であり、ゆき子は〈とても派手な化粧〉をし
た女である。邦子はつつましやかな女、夫の両親にも従順に従い、夫に対
しても貞淑を守る女として登場している。ゆき子は厚い化粧で〈素顔〉を
徹底的に隠しきった女として登場している。〈派手な化粧〉とは対他者に
対する強烈なアピールであるが、同時にそれは自分の〈素顔〉を一度捨て
たことを意味している。
トーツキイに裏切られたことを知ったナスターシャが、それまでトーツ
キイが知っていたおとなしい女ではなく、まったく新しい、自分を強烈に
押し出す女としてペテルブルクに現れ出たように、ダラットから日本に引
き上げ、富岡から裏切られたことを知ったゆき子もまた、新しい女へと変
貌を遂げたのである。ただし、ゆき子は〈過去の自分〉から完全に脱皮す
ることはできない。〈派手な化粧〉は、自分の過去をそのままにして厚塗
りしたことを意味する。ゆき子は〈派手な化粧〉というかたちで過去を引
きずらずにはおれない。
邦子がゆき子のその〈派手な化粧〉に軽蔑の眼を向けずにおれないのは、
邦子自身も、実は〈過去〉、ないしは現在の状況からの〈脱皮〉を願って
いるからに他ならない。〈派手な化粧〉とは、既存の慣習の否定であり、
解放を意味している。表立った反抗ではないが、それは根深い反抗である。
ここでわたしたちは、ゆき子が静岡の実家に帰りたがらなかったことを思
い出してもいい。『浮雲』では陰に隠れた主題になっているが、ゆき子は
〈家〉、〈家族制度〉の否定者の貌を保持し続けている。
夫がダラットに軍属として派遣されていた数年間を、じっと我慢してひ
たすら〈家〉を守ってきた邦子は、〈家〉否定のゆき子にして見れば単な
るバカな女ということになる。何しろ、邦子が信じていた富岡は、極楽の
ダラットでニウとゆき子の二人の女と性愛的な関係を結びながら、三日に
一度は妻に手紙を書いていた男なのである。こんな欺瞞的な〈愛妻家〉の
夫のために、ひたすら辛抱を重ねて〈家〉を守って来た邦子の前に、とつ
ぜん〈派手な化粧〉をしたゆき子が現れたのである。
〈派手な化粧〉をした女(富岡の情人)と〈前歯に金〉を入れた女(富
岡の妻)がジッと見つめあっている場面は、想像するだに恐ろしい場面で
ある。
深層心理学的には、邦子がゆき子を「何だか、好意の持てない、私の厭
な型の女の人」と見ているのは、邦子の中にこの〈厭な女〉が潜んでいる
ということを意味している。戦争中、「富岡の両親のもとで、とぼしい生
活によく耐えて、良人を待っていた」〈良き嫁〉〈良き妻〉の内部に、
〈家〉を棄て、富岡を棄てて、今までとはまったく違った自由奔放な人生
を生きてみたいという欲求もまた潜んでいたということである。
邦子が人妻であったことを忘れてはならない。富岡は〈人妻〉邦子を奪
った。逆から言えば、富岡以上の男が現れて積極的にアプローチすれば、
〈人妻〉邦子はその男に奪われるということである。邦子が守っていた
〈家〉の壁を破り、富岡や富岡の両親の拘束力を蹴散らし、邦子を奪い去
る〈ヒーロー〉が現れれば、まさに邦子は囚われの〈妻〉から解放される
のである。
女とは怖いもので、ゆき子は「旦那さまに安心している奥さまって、清
潔で綺麗ね。善いひとを不幸にするのは怖いわ」などと言いながら、その
舌の根が乾かぬうちに再び邦子に接触して憚らない。〈清潔で綺麗〉な邦
子が前歯の金を光らせ、厭な笑い方をする。ゆき子はたった二度の接触で、
安心して清潔で綺麗な女を、不信と猜疑に塗れた不潔で薄汚い女へと一変
させてしまう。
ゆき子は邦子を間違いなく〈不幸〉にする自信があったからこそ〈怖い
わ〉などと口に出していたのである。こういったゆき子に対抗するために
は、邦子は貞淑な妻の仮面などかなぐり捨てて、その前歯の金で相手の腕
にでも噛みついてやる他はないのだが、邦子もまた〈まったく新しい女〉
へと脱皮、変貌することはできなかった。
富岡家に家族団欒はない。家族の中の〈父〉、家族の中の〈母〉、家族
の中の〈嫁〉がまったく描かれることはない。新しい仕事とゆき子の事で
へとへとに疲れている〈夫〉と、家の事と〈夫〉に対する不信と懐疑でへ
とへとに疲れている〈妻〉が、〈ひとり〉と〈ひとり〉で食卓についてい
る。二人の間に心の交流はない。富岡はゆき子との事を秘密にしたまま妻
に対している。不信と懐疑を吹き飛ばす、烈しい愛撫やセックスもない。
富岡家に嫁いだ邦子は再婚の身で、そうでなくても肩身が狭いのに、唯一
の頼りである夫の素っ気ない態度に不安と孤立感を深めていく。        

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