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林芙美子の文学(連載83)林芙美子の『浮雲』について(81)

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林芙美子の文学(連載83)
林芙美子の『浮雲』について(81)

(初出「D文学通信」1287号・2009年11月01日)
清水正


ゆき子は、持てるすべての技を駆使して、一目惚れしたダンディな
男をゲットし、結婚の約束までとりつけたのである。ゆき子の計算
は緻密で、これはと思った獲物を決して逃さない情熱(執着)と
積極的な行動力が備わっている。


人間の心理とは面白いもので、もしダラットに加野がいなければ、富岡
はゆき子にそれほど惹かれることもなかったに違いない。久しぶりに山か
ら降りてきた加野、すなわち性的欲求を抑圧してきた加野は、ダラットで
は珍しい日本の若い女に接してのぼせ上がってしまった。加野は一途な、
思い込みの激しい男で、自分がゆき子を好きなのだから、ゆき子も自分を
好きに違いない、といった、大人の感覚すれば余りに幼稚な心理でゆき子
を求めた。
ゆき子は、富岡を落とすために、この純情な男を最大限に利用した。ゆ
き子が、富岡を刺そうとした加野の刃物に傷つけられたのも、言わば自業
自得なのである。ゆき子は富岡に向かって「あなたは、人間の一生懸命な
気持ちって、狂人みたいに思ってるンじゃありませんか?」とホテイホテ
ルの一室で責めたてたが、ゆき子自身も加野の〈一生懸命な気持ち〉をそ
れと知っていながら弄んだ張本人である。
女と男の間に倫理、道徳を持ち込んだ者が、その〈格闘技〉における敗
者なのである。三日に一度、日本の妻に手紙を書き送っている愛妻家であ
ることを知っていながら、ゆき子は富岡に積極的に近づいた。ダラットの
森で、ゆき子を抱きしめ長い接吻を交わしたのは富岡だが、いったい誰が
誘惑したのかと問えば、まさか富岡だけを一方的に攻めるわけにはいかな
い。
ゆき子は二十歳を過ぎたばかりの女だが、東京では伊庭と三年間の不倫
の関係を、妻の真佐子に知られずに続けることのできたしたたかな女で
ある。ゆき子は、持てるすべての技を駆使して、一目惚れしたダンディな
男をゲットし、結婚の約束までとりつけたのである。ゆき子の計算は緻密
で、これはと思った獲物を決して逃さない情熱(執着)と積極的な行動力
が備わっている。
一方、ゆき子よりひとまわり以上も年配の富岡は、ダラットで極楽惚け
していたとしか思えないほど幼稚な次元にとどまっている。「あの時は無
造作に二人は結婚できると考えていたし、また二人はそれだけの心の準備
をしたつもりだった」今更こんな思いを吐露されると、富岡の現実認識の
甘さに呆然とする。「旅空での、男の無責任さが反省されもした」こんな
セリフを耳にすると、富岡は加野以上に初な男にも見えてくる。ダンディ
な男に〈約束〉や〈反省〉は似合わない。〈約束〉や〈反省〉などで心煩
わされる男の〈虚無〉などたかが知れたものである。
しかし、改めて考えてみれば、ニコライ・スタヴローギンの虚無すらた
かが知れていた。〈善悪観念の磨滅〉などと言いながら、ニコライは〈告
白〉を書かずにはいられなかった。ニコライの〈告白〉は、富岡の〈反
省〉よりは深刻だし、オフザケの深度も深い。何しろ、ニコライの〈告
白〉には裁きと赦しの〈神〉の存在が深く係わっているが、富岡の〈反
省〉には、彼のゆき子に対する〈すまなさ〉の感情しか係わっていない。
富岡が恰好よさを保とうとすれば、それは〈家〉(両親・妻・家族・親
戚・世間)などに微塵の未練も執着も見せないこと、ゆき子との約束など
平気で反故にしていっさい反省などしないことである。農林省を辞めた富
岡がなんの仕事にもつかず、丸一日を酒を飲んだり、本を読んだりしてい
ても、どこかしら男として魅力があるのであれば、それこそ富岡のダンデ
ィズムが本物であったということになる。ゆき子が本来望んでいたのは、
こういった無為な男を庇護し続ける女になることだったのではなかろうか。
『悪霊』で言えば、息子ニコライの家庭教師として招いたステパン先生を
あらゆる面で保護し援助したワルワーラ夫人のような女である。

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