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林芙美子の文学(連載75)
林芙美子の『浮雲』について(73)
(初出「D文学通信」1279号・2009年10月24日)
清水正
林芙美子は料理好きな女性作家に相応しく、
出された汁粉に関しても実に丁寧な描写をして、
まるで眼前に出されたようなリアルな存在感がある。
2009年10月18日(日曜)
ゆき子は一本唇に咥えて、伊庭にマッチをつけて貰った。伊庭はうるさ
い程、いろいろな事を尋ねた。やがて、ズルチン入りのどろりとした汁粉
が運ばれた。椀の蓋を取ると、蓋に汗をかいてはいるが、汁粉の色が飴色
をしていた。団子の小さい塊りが二つ浮いている。
「お前、勝手にうちの荷をほどいたンだってね?」
伊庭が、うつむいて、汁粉の団子を箸でつまんで口に入れながら、家
の者が密告したのに違いないと思った。
「家へ行って、荷物を調べれば判るンだが、どうして、そんな勝手な真
似をするンだね。金がいるなら、そのように云ってくれれば何とかするン
だよ。それよりも、東京へ戻って、静岡へ知らさないと云うのはおかしい
ね……。或る人から手紙で知らせて来たンだが、大分売り飛ばしてるって
本当かね?」
伊庭は、消えかけた煙草に火をつけて、すぱすぱと力いっぱい煙草を
吸いながら云った。ゆき子はいまは、伊庭に対して何の感情もなかった。
(226 〈十七〉)
林芙美子はここでも、伊庭がゆき子に尋ねた、うるさい程の〈いろいろ
な事〉のすべてを省略した。おそらく、ダラットでの三年間のことであっ
たろうとは推測出来るが、ゆき子が富岡や加野との事を伊庭に話すことは
なかったであろう。それに、読者がすでに知っていることを、ここで繰り
返す必要はない。作者の〈省略〉は小説構成上、妥当な処置であったと言
える。
林芙美子は料理好きな女性作家に相応しく、出された汁粉に関しても実
に丁寧な描写をして、まるで眼前に出されたようなリアルな存在感がある。
汁粉はズルチン入りで〈どろり〉としている、椀の蓋にかいている汗は一
粒一粒が鮮明に浮き上がって見える、汁粉の色は飴色で、小さい塊りの団
子が二つどろりとした汁に浮いている。まさに、この汁粉は、寒い蕎麦屋
の片隅に足を浮かせて腰掛けていたゆき子の眼差しがとらえた、実に暖か
で美味しそうな汁粉であり、この汁粉の存在感は四年振りに逢った伊庭よ
りもはるかに大きいのである。
伊庭は、ゆき子が無断で自分の荷物をほどき、金目の物を売り払ったこ
とを不快に思っている。ゆき子の行為は、間違いなく窃盗であり、犯罪で
ある。伊庭は三年間のゆき子との内密の関係があるので、表沙汰にしない
までのことで、ゆき子の〈勝手な真似〉に腹をたてていることに違いはな
い。ゆき子がなぜ、そんな〈勝手な真似〉をしたかと言えば、まず第一の
理由は、引き揚げてきたばかりで金がなかったということになるが、しか
し、そんな理由は伊庭には何ら説得力がない。とうぜん、伊庭は「金がい
るなら、そのように云ってくれれば何とかするンだよ」と言い、さらに
「東京へ戻って、静岡へ知らさないと云うのはおかしいね」とも言う。
ゆき子が静岡に帰らない理由は、『浮雲』の中で明確に説明されること
はなかった。伊庭の疑問は読者の疑問でもあるので、ここでゆき子にきち
んと説明してもらいたかったが、ゆき子の言葉に説得力はない。親宛に手
紙を二通書いていたが、それを出し忘れていたというのでは、ゆき子にと
って静岡の両親はもともと居ないのも同然である。敗戦後の日本に漸く引
き揚げてきたゆき子が、まず何よりもその報告をしなければならないのは
両親なのではないか。それを東京、しかも愛人関係にあった伊庭の家にと
どまって、故郷に帰らないというのは、どう考えても理不尽である。
ゆき子は、両親よりも、富岡の方が大事であった。富岡との関係をはっ
きりさせないうちに静岡へ帰ることはできない。一度、静岡へ帰ってしま
えば、富岡との関係もそれきりになってしまうのではないかという不安が
あった。だからこそ、伊庭が不在の伊庭の家に厄介になってまでも東京に
とどまった。伊庭は「大分売り飛ばしてるって本当かね?」と言いながら
すぱすぱと力一杯煙草を吸う。伊庭はかなり立腹しているのだが、林芙美
子は「ゆき子はいまは、伊庭に対して何の感情もなかった」と書いている。
開き直った女は強い。ダラットへ行く前のゆき子と今のゆき子とはまっ
たく違うのである。言葉を変えれば、ゆき子は伊庭をなめきっている。伊
庭の〈秘密〉の当事者であるゆき子が、なんで今さら伊庭を恐れることが
あろうか。ゆき子にしてみれば、伊庭の荷物を売り払った代金など、慰謝
料代わりみたいなもので、まだ足りないくらいに思っていたのであろう。
「あんまり、寒かったンで、お義兄さんとこの荷をほどいて、二三枚拝
借したのよ」
「ふうん。売ったのかい?」
「ええ、まアね、悪いと思ったけど、焼けた人もあるンだから、その位
はいいと思って、義兄さん許してくれると思って、この外套を、そのお金
で買ったの」
「どうして、まっさきに静岡へ戻らないンだ?」
「帰りたくなかったのよ。それに、一緒に戻って来た友達もあったし、
これから働く場所も早く探したかったから、落ちついてから帰るつもりだ
ったの……」
そう云って、ゆき子は、手提げから、故郷へ着いた手紙を二通出して
みせた。もう、四五日前に書いたまま、出し忘れていた手紙だった。 (22
7 〈十七〉)
「義兄さん許してくれると思って」という言葉の中に、ゆき子の伊庭に
対する思いが端的に反映している。三年間も妻に内緒でゆき子の軆を自由
にしてきた伊庭が、荷物を売り払ったからといって許さないはずがない。
というより、伊庭は妻や世間体の手前、ゆき子の行為を表沙汰にはできな
い。ダラットで男と女の修羅場をくぐって来たゆき子が、伊庭ごときでび
くつくこともない。ゆき子が静岡に帰らない理由も簡単である。つまりゆ
き子は「帰りたくなかった」のである。おそらく仕方なく書いた言い訳の
手紙も、出すことを忘れるくらい、言わばどうでもよかったのである。
「何と何を売ったンだ?」
「絽縮緬二枚と、反物が少しあったから売っちゃった」
「お前、そんな乱暴な事をしていいのかね? あっちへ行って、人柄が
変ったね」
ゆき子は黙っていた。 (227 〈十七〉)
ゆき子は人柄が変わった。伊庭に対しては受動的であったゆき子が、富
岡との関係においては積極的に振る舞った。日本に戻ってからは富岡の家
にまで押しかけ、妻の邦子とまで会ってきた女である。伊庭の眼にゆき子
は新たな女として登場している。一週間目に無理やり軆を奪われたゆき子
にしてみれば、伊庭に「そんな乱暴な事をしていいのかね?」などと非難
される筋合いはない。伊庭にゆき子の沈黙を解析する感受性があれば、口
が裂けてもこんなバカなセリフは発しなかったであろう。
「銀行をやめて、ずっと田舎で百姓をしていたンだが、やっぱり都会で
暮らしたものは、田舎には住みつけない。それで、この暮にはみんなで出
て来るつもりで、荷物を送っておいたンだよ。お前、外套は田舎にあずけ
てある筈じゃないか?」
「ええ、だから、あっちの方を売って下すってもいいわ。私のもの、み
んな売って貰ってもかまわないわ。私ね、結婚するつもりで、今度、それ
で先へ東京へ来たンです」
「ほう。何時結婚するンだ?」
「ううん、それがうまくゆかなかったの。そっちには奥さんも親もある
ンで、日本へ帰ったら、みんな駄目になっちゃったのよ」
「何をする男だ?」
「やっぱり農林省の人で、あっちでは一緒に働いてた人なの。こっちへ
戻って、いまは、材木の方をやってるって云ったわ」
「いくつだい?」
「義兄さんよりはずっと若いわ」
「欺されたンだな……」
「いいえ、欺されたわけじゃないけど、別れるようになっちゃったのよ
……」
伊庭は、無口でおとなしい娘だったゆき子が、すっかり人柄が変って
しまっている事が珍しかった。すっかり大人らしくなって、云う事もはき
はきしていた。寒いので、ゆき子は紫の風呂敷で頬かぶりしていたが、地
肌が白いので、その紫が顔に影をつくってよく似合っていた。
(227 ~228 〈十七〉)
二人の会話は、まるで久しぶりにあった夫婦のような自然性を感じさせ
る。三年間の〈性生活〉で培われた自然性とでも言おうか。愛も恋も、肉
体を伴わない関係は、危うい一過性と人工性を免れないが、日常と化した
〈不倫の肉体関係〉を三年も続けてきた伊庭とゆき子の間には、隠しよう
のない自然性が備わっている。ゆき子と富岡の関係などより、はるかに安
定した男と女の関係地盤がそこにはある。もし、ゆき子が伊庭との関係に
充足するような女であれば、彼女の〈不幸〉は回避できはずだが、そうは
いかないところにゆき子という女の性がある。