2009
10.19

林芙美子の文学(連載70)林芙美子の『浮雲』について(68)

林芙美子の文学, 林芙美子関係

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林芙美子の文学(連載70)
林芙美子の『浮雲』について(68)

(初出「D文学通信」1274号・2009年10月19日)
清水正


ゆき子が求めているのは、妻の邦子などより
はるかにゆき子を愛している、必要としている、
という表明だけである。
つまり、ゆき子が富岡に求めているのは
〈嘘〉の愛の告白であって、
〈正直〉な別れの理由などではないのである。


性急に、ゆき子は首を振り、両の耳を手でおおうた。きらきらと光る
眼で、富岡の唇もとを睨みつけながら。・・富岡は静かに蒲団を片寄せて、
ゆき子の膝に両手をかけてうめくように、
「別れてしまうより方法はない」と云った。
「厭! それでは、貴方たちだけが幸福になる為に私の事はどうでもい
いの? こんなお金なンかいらないッ。私は、お金を貴方から貰って幸福
だとは思わないわ。私は、貴方の都合のいいようにおとなしくはしていら
れないわ。私にだって、云いたい事を伝える権利があるなら、奥さんも私
も同じだって事だわ。奥さんを幸福にする為に、私なンかどうにでもなる
と思ってるンでしょう……。何故、初めに、私はが尋ねて行った時、玄関
で、そう云わなかったの?」
ゆき子は一時に酔いが発して来た。何を云っているのか、自分でもよ
くは判らなかったが、富岡の勝手な云い分が気に食わなかった。

(224 〈十六〉)
ゆき子は首を振り、両手で耳を塞いでしまう。富岡の言い分など聞く耳
を持っていないという激しい身体的な反応である。この場のゆき子に限ら
ず、女に理屈や論理は通用しない。富岡がゆき子の仕掛ける浅瀬のどろ沼
から抜け出せないのは、通用しない正直な弁明など口にするからである。
ゆき子が求めているのは、妻の邦子などよりはるかにゆき子を愛している、
必要としている、という表明だけである。つまり、ゆき子が富岡に求めて
いるのは〈嘘〉の愛の告白であって、〈正直〉な別れの理由などではない
のである。
富岡が愚かなのは、実行できない結婚の約束、すなわち平気で嘘をつい
ておきながら、別れの理由だけは正直に語っていることである。しかも、
富岡はゆき子が求めていた次元の〈正直な告白〉などいっさい口にしてい
ない。ダラットで死んでいてくれればよかった、というゆき子に対する怖
ろしい思いに関して、富岡はひた隠しに隠して、いつまでも自分を〈いい
男〉に見せたがっている。これは富岡の〈虚勢〉であって、もしこの〈虚
勢〉を喪失してしまえば、富岡のダンディズムは一挙に崩れる。
ゆき子は、中身の空っぽな、インテリ風を装ったダンディな富岡に惚れ
た。ゆき子の執拗な追っ掛けで露呈したのは、富岡のその空虚さであるが、
ゆき子はその空虚に惹かれたのであるから、富岡がその卑劣度をどんなに
高くしても、それによって別れることはできない。
富岡は、普通に見れば、極楽のダラットで浮気気分でゆき子と係わって
いただけであるから、千円の手切れ金を用意しただけでも、その〈誠実
さ〉は証明されている。しかし、この〈誠実〉は、ゆき子には通用しない。
ゆき子は富岡にどんな〈誠実〉を示されても、それが二人の別離に繋がる
ものである以上は、絶対に受け入れない。
「私は、貴方の都合のいいようにおとなしくはしていられない」という
ゆき子のセリフは、富岡にとっては脅し以上の力を持っている。なにしろ、
富岡はゆき子と別れて、家族〈みんな〉と仲良くやっていきたいと表明し
たばかりだが、ゆき子の〈セリフ〉は、富岡が大事にしている〈みんな〉
を地獄の底へ突き落とすぞ、ということを意味している。ゆき子は、自分
を棄てれば、富岡が大事にしている〈みんな〉も破滅に陥れるぞ、という
ことを言っているわけだから、富岡にしてみれば、もうお手上げ状態で、
どうすることもできない。
ゆき子は富岡の弁明を〈勝手な云い分〉と思っているが、富岡にしてみ
ればゆき子もまた自分勝手な思いを爆発させている過ぎない。理屈抜きで
性愛的関係を結びつづけた男と女が、別れの場面においてすっきりと別れ
られるはずもない。お互いに相手に飽いて、違ったひとを好きになってい
れば、あっさりと別れは成立しようが、ゆき子のように相手が冷めている
のに、自分の方はいっこうに冷めていない場合が最も面倒な修羅場を招く
ことになる。殺す、殺されるというやくざ映画の修羅場ではない。極端な
行為(犯罪)を予めはずされた修羅場、浅瀬のどろ沼を這いずりまわるよ
うな修羅場であるが故に、最も面倒な修羅場なのである。

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