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林芙美子の文学(連載69)林芙美子の『浮雲』について(67)

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林芙美子の文学(連載69)
林芙美子の『浮雲』について(67)

(初出「D文学通信」1273号・2009年10月18日)
清水正


二人の関係を浅瀬のどろ沼にとどめて、
破滅の深みへと突き落とさないのが
林芙美子のやり方である。


2009年10月13日(火曜)
「炬燵ね。私も、こっちから足を入れていい?」
ゆき子は酔っていた。
「働くって、何をするつもりだ?」
もう、三四杯目の酒をひっかけて、富岡が聞いた。ゆき子は一寸真面
目に顔になって、
「ダンサアになりたいンだけど、いけないかしら……」
と、眼の底から光るようななまめかしい表情で云った。富岡はそれも
いいだろうと思ったが、それに就いてはいいとも悪いとも云わなかった。
(223 〈十六〉)
二人の関係を浅瀬のどろ沼にとどめて、破滅の深みへと突き落とさない
のが林芙美子のやり方である。ゆき子が邦子の欠点をずけずけと指摘し、
もしそれに富岡がまともに反応していれば、この場の空気は険悪さを増し
て、それこそ殺傷沙汰に発展しかねないが、先に指摘した通り、富岡は生
ぬるき人間であるから、自己破綻に直結するような危険な淵に自ら飛び込
むようなことはしない。富岡は、読者の眼から見れば優柔不断なろくでも
ない男であるが、実に抑制力のきいたダンディな男として振る舞い、なか
なかぼろを出さない。
〈汚れてべとついた冷い蒲団〉を〈炬燵〉に見立ててゆき子は反対側か
ら足を入れる。作者は特に何も書いていないが、酒に酔ったゆき子の足先
が富岡のそれに絡みついているのが見える。富岡の問いに「ダンサアにな
りいンだけど」と答えるゆき子は「眼の底から光るようななまめかしい表
情」をしている。富岡はこの〈表情〉をどのように受け止めたのか。林芙
美子は一行を空白にして二人の間に〈情交〉があったのかどうかを読者の
想像にまかせる。
やがて、十時近くになり、富岡は、
「さて、帰るかな……」
と、つぶやくように云って、外套の内ポケットから、まるめたような
札束を出して、そのままゆき子の膝へ置いた。
「千円ある。これのあるうちに、働く処を何処でもみつけなさい。部屋
は、みつけ次第知らせる。明日の晩、一寸、信州へ発つので、十日位は逢
えないが、それまで、その家へいくらか金を出して、置いて貰いなさい…
…」と、こんな事を云った。
ゆき子は、千円を金を手にして、そのままつっ放されたような気がし
た。
(223 〈十六〉)
富岡は昼過ぎにホテルに着いているから、すでに十時間の時が過ぎてい
る。〈十時近く〉になるまで富岡は、別れるつもりのゆき子の相手をして
いたことになる。富岡が外套の内ポケットから出した〈千円の札束〉は、
空手形ではない〈別離のカード〉である。富岡はこの時点では、はっきり
と別離を口にせず、曖昧な物言いをしているが、擁するにこの札束をゆき
子が受け取れば〈別れ〉は成立する。ゆき子が千円の金を手にして〈つっ
放されたような気〉がしたのは当然である。さて、ゆき子はどのような態
度をとるのか。
「私、お金いらないわ。それより、泊って行けない? このまま別れる
の淋しい。厭だわ。信州へ十日も行くなンて、逃げて行くのよ。そうだわ、
きっと、そうだわ。正直に・・気持ちを云って……」
(223 〈十六〉)
ゆき子は富岡と別れるつもりはないので、金の受け取りを拒否する。ゆ
き子は再び「泊って行けない?」と訊く。このゆき子の未練たっぷりのし
つこさには、読者の方も辟易するが、もちろん一番いらついているのは富
岡である。富岡はゆき子と一緒にいるのが厭で厭でたまらないというわけ
ではないが、一緒にいても何も楽しくないし、何のときめきもない。ゆき
子が口にした「逃げて行く」が正解であり、これ以上の富岡の正直な気持
ちはない。いったい、ゆき子はこれ以上の何を富岡に期待しているのだろ
うか。
残りの酒をぐっと飲んで、富岡は、また思い出したように、膝小僧を
苛々と貧乏ゆすりしながら、
「いや、そうじゃない。気味に申し訳ないンだ。ね、正直に云えば、僕
達は、あんな美しい土地に住んでから夢を見ていたのさ。そんな事を云う
と、君に叱られそうだが、日本へ戻って来て、まるきり違う世界を見ては、
家の者達をこれ以上苦しめるのは酷だと思ったンだ。みんなひどい苦しみ
方をして来たのに、そうしたなかに、とにかく耐えて来ていたンだ。僕を
待っていてくれた人達に、ひどい別れ方は出来なくなってしまったンだよ。
約束を破ったようになったが、君が、倖せになるまで、僕はどうにでもす
る。真心こめて考える……。君は好きなンだよ。それでいて、どうにも一
緒になれないのは、僕の弱いところなンだ。今夜も、泊れない事はないが、
もう、君を偽っては悪い気がして、僕はさっきから早く帰るべきだと、自
分に云いきかしていた。信州へ行くのは本当なンだ。旅から戻って、君に
この気持ちを話そうと考えていたが、急に、いま、ぶちまけたくなった。
本当に別れるとなると、僕は、きっと君が不憫になるにきまっている。そ
のくせ、現在の家から、自分一人だけ抜けて出る事は不可能なンだよ。み
んなが、僕一人を便りにして生きているンだからね……」
(223 ~224
〈十六〉)
富岡の〈貧乏ゆすり〉がすべてを語っている。富岡の気持ちの中でもは
やゆき子は邪魔者でしかない。邪魔者はきれいさっぱり消えてなくなって
くれればこんなにいい事はない。富岡がゆき子の不在に思ったことは、ゆ
き子がダラットで死んでくれればよかったということであった。富岡は自
らの手を使ってのゆき子殺害ではなく、ゆき子の自然死(病死、事故死)
を願っている。富岡は自分の手を汚すことは厭なのである。もしゆき子が、
家まで押しかけてこなければ、富岡は一銭の金も出さずにゆき子と別れて
しまう腹づもりでいたのであろう。富岡は、ゆき子との別れ話を金で解決
しようとしたが、それを拒まれて苛立ち、仕方なく自分の胸のうちを〈正
直〉に語り始める。
富岡の弁明は、女と別れようとする男の弁明であるから、同性の男には
説得力をもつ弁明となっているが、別れるつもりのない女の耳には何の説
得力も持たない。「君は好きなンだよ。それでいて、どうにも一緒になれ
ないのは、僕の弱いところなンだ」この〈正直〉な弁明がゆき子に説得力
を持たないのは、要するに富岡がゆき子ではなく邦子を選んだということ、
その一点にある。ゆき子は、富岡に倫理も、道徳も、社会的規範も求めて
いない。ゆき子自身が、富岡に妻があることを知って彼を誘惑し、性愛の
関係を続けた女である。ゆき子が富岡を許せないのは、自分ではなく、妻
の邦子を選んで、家に帰ろうとしていることである。
富岡はもともと一人を選ぶことのできない〈弱い〉男で、妻の邦子はも
とより、ニウやゆき子にたいしても、いざ別れるとなれば〈不憫〉の感情
を抱く男なのである。尤も、ニウの場合は手切れ金をもらってそのまま富
岡の前から姿を消したので、ときたま感傷的に〈不憫〉と思えばいいよう
なものだが、ゆき子のように手切れ金を拒んで執拗に迫ってくる女にたい
しては〈不憫〉よりは〈苛立ち〉を覚えている。
富岡の正直な弁明は、ゆき子の耳には紛れもなく〈騙り〉として聞こえ
ている。富岡は自分の〈語り〉(言い訳)を〈騙り〉と自覚できないほど、
巧妙に、正直に自己弁明している。「みんなが、僕一人を頼りにして生き
ている」ので、「現在の家から、自分一人だけ抜けて出る事は不可能なン
だ」と富岡は説明する。これはまったくその通りで、富岡は正直に語って
いる。だが、この正直な弁明にゆき子はまったく納得しない。富岡が言う
〈みんな〉は富岡家の人々を指しており、そこからゆき子ただ一人だけが
すっぽり抜け落ちている。否、ニウも抜け落ちている。富岡を頼りにして、
一人孤独に去って行ったのはニウである。ニウは富岡の子供を孕んでいた
にもかかわらず、金で決着をつけられてしまった。
富岡はゆき子にたいしても金で解決をはかろうとした。もし、ゆき子が
千円という札束を受け取って、富岡の別れ話を素直に承諾していれば、富
岡の欺瞞性はそれほど明確に浮上しなかったかもしれない。なにしろ、富
岡の欺瞞は、彼本人にも自覚できないほどに巧妙に隠されており、それを
明晰に認識することは容易ではない。『悪霊』においては、ニコライ・ス
タヴローギンの欺瞞を直観的に見破ったのは狂気の妻マリヤ・レビャート
キナであったが、『浮雲』でその役割を果たしているのはゆき子である。
が、ゆき子もまた自分自身の欺瞞を〈秘中の秘〉としているので、富岡の
欺瞞を鋭く突くことはできない。ゆき子は、富岡の欺瞞を突いて、反省を
促したり、厳しく罰したりすることはできない。

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