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林芙美子の文学(連載64)林芙美子の『浮雲』について(62)

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「江古田文学」71号より
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林芙美子の文学(連載64)
林芙美子の『浮雲』について(62)

(初出「D文学通信」1268号・2009年10月13日)
清水正


富岡は本当にくだらない男である。
感動するのは、林芙美子が自ら描き出す
どうしようもなくくだらない男を最後の最後まで見捨てない、
その大いなる愛の力である


2009年10月9日(金曜)
富岡は人妻だった邦子をさらって、自分の妻とした当時のことを思い
出していた。悪い事を重ねては、新しい罪をまた重ねてゆく自分の勝手な
心の移りかたが、いまでは宿命のようにさえ感じられた。ダラットに残し
て来た女中のニウは、富岡の子供をみごもって田舎へ戻って行った。まと
まった金を与えただけで、一切済んだ気でいた気持ちが、妙に痛んで、時
々、ニウの夢を見る時があった。もう、ニウはすでに赤ん坊を産んだに違
いないのだ。混血児を生んで、肩身の狭い思いをしているだろうと、富岡
はなつかしい仏印での生活を思い浮かべていた。
(221 〈十六〉)
この場面において富岡の〈身勝手さ〉が強調されているが、富岡にさら
われた人妻邦子や、富岡の子供をみごもって田舎へと戻っていったニウは、
その〈身勝手さ〉とはいっさい無縁の存在だったのであろうか。作者は邦
子やニウに自己独白のチャンスを与えずにいるから、彼女たちの内心のド
ロドロが読者の眼差しに映ってこないだけのことで、実は彼女たちは彼女
たちなりの心理心情の〈闇〉を抱え持っていたと見るほうが自然であろう。
〈善き半身〉〈悪しき半身〉などという形容は、邦子とゆき子の間ですら
反転可能である。富岡は邦子の〈おだやかな容子〉を思い浮かべているが、
この〈おだやかさ〉がどれほど深い闇に支えられていたかについては思い
を致すことがなかった。
富岡は〈人妻だった邦子をさらって、自分の妻とした当時のこと〉を思
い出しているが、林芙美子は読者にその具体を何ら語ることはなかった。
邦子が最初に結婚した男にいたってはその名前すら明かされていない。邦
子にとって富岡の魅力は何であったのか。富岡は人妻をさらったことを
〈悪いこと〉と自覚しているように描かれているが、邦子はどう思ってい
たのか。富岡が〈勝手な心の移りかた〉をして来たのだとすれば、最初の
夫から富岡へと移ってきた邦子も同じであろう。つまり、富岡に限らず、
人間はすべて〈勝手な心の移りかた〉をするものなのである。ゆき子や富
岡に注いだと同じ眼差しで邦子やニウを描けば、彼女たちの内面世界もま
たはてしのない様相を見せるということを忘れてはならないだろう。作者
が描かないのであれば、読者が想像力の限りを尽くして彼女たちの内面世
界に降りていくほかはない。
富岡は一足先に日本へ帰るにあたってゆき子には結婚の約束をしてきた
が、女中のニウはそのままダラットに残して来た。富岡とニウの間にどん
なやりとりがあったのか、想像するだけで胸が痛む。富岡がニウに渡した
〈まとまった金〉がどれほどのものかは具体的に記されていないが、いず
れにしてもその金をもらってニウは「富岡の子供をみごもって田舎へ戻っ
て行った」のである。富岡はニウを思って気持ちを傷めるが、ただそれだ
けのことである。今更、ダラットに戻ってニウと生活を共にすることもで
きないし、子供に会おうという気持ちもさらさらない。
富岡は本当にくだらない男である。感動するのは、林芙美子が自ら描き
出すどうしようもなくくだらない男を最後の最後まで見捨てない、その大
いなる愛の力である。否、これは愛ではない。ゆき子は富岡を愛のテント
で覆うことはできない。富岡は誰の愛によっても、その虚無を覆われるこ
とはない。ニウによっても、ゆき子によっても、そして邦子によってでも
である。
そんな富岡の内面の世界を描くことができるとすれば、林芙美子の虚無
を誰が覆うことができるだろうか。今、わたしの関心はゆき子ではなく、
富岡でもなく、彼らを描いている林芙美子の虚無に向いてしまうのだが、
それは作者に対する礼を失した行為となるのだろうか。
富岡が、自分の子供を身籠もって田舎へ帰って行ったニウのことを思っ
ているその時、カストリを買いに外へと出たゆき子がどんな思いで街を歩
いていたのかということ、そのことを想わなければいけないのだというこ
と、さらに言えば、家にいる邦子がどんな気持ちで夫の帰りを待っていた
のかということ、それやこれやを思えば、今、富岡が置かれている場所は
限りなく重い。こんな重さに堪えられるのは、富岡が作者のペンによって
支えられているからだと言うほかはない。
ゆき子と、富岡と、対話を展開するよりは、彼らを描きだした林芙美子
と話がしたいという衝動に駆られる。が、もはや彼女はいない。残ってい
るのは『浮雲』の中の富岡でありゆき子である。

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