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林芙美子の文学(連載55)林芙美子の『浮雲』について(53)

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林芙美子の文学(連載55)
林芙美子の『浮雲』について(53)

(初出「D文学通信」1259号・2009年10月04日)
清水正


富岡は、ダラットでのゆき子との悦楽の日々を
〈過去の事〉としてすでに葬り去っていた。
ゆき子は、墓堀人夫の如き存在として
富岡の前に現れた〈亡霊〉でしかないが、
富岡はこの〈亡霊〉から逃げきることができなかった。


2009年9月26日(土曜)
富岡は、二三日はゆき子のことを考えていたが、ゆき子を落ちつかせ
るべき家のことも、金をつくることもいつか忘れて、このままで、ゆき子
との交渉は途切れてしまいたい気持ちでいた。窒息しそうなほど、ゆき子
との邂逅は息苦しく、ゆき子がこのまま自由に自分の方向へ進んで行って
くれることを祈った。
(217 〈十六〉)
富岡の本音が端的に語られている。林芙美子は女性であるが、実に男の
気持ちを的確に掴んでいる。富岡は、ダラットでのゆき子との悦楽の日々
を〈過去の事〉としてすでに葬り去っていた。ゆき子は、墓堀人夫の如き
存在として富岡の前に現れた〈亡霊〉でしかないが、富岡はこの〈亡霊〉
から逃げきることができなかった。富岡の望んでいることは、ダラットの
森の中で最初にゆき子に長い接吻をした後で〈野性の白い孔雀〉が突然飛
び去っていったように、二度と再び自分の前に姿を現してほしくはなかっ
たのである。卑怯と言えば卑怯、狡いと言えば狡いが、男は所詮こんなも
のだと思っていれば間違いはない。
富岡は官吏生活に嫌気がさして農林省を辞め、知人と共同で材木を商う
仕事を始めた。富岡は日本に引き上げてきて、自分の人生の変えてみたい
と考えていた。ゆき子と池袋の安ホテルで逢ってから、二三日たったある
日の事を、作者は次のように書いている。
今日も、知人の材木商の田所に、電話してみたが、資金があと、四五
日は日数がかゝると聞いて、がっかりして戻って来た。帰るなり、妻の邦
子が、女のひとが尋ねて来ましたと報告した。明日、池袋のほてい商会ま
で、お出で願いたいと、言いおいて戻ったと聞いて、ゆき子だなと思った。
ほてい商会というのは、池袋で泊ったホテイ・ホテルの事だった。邦
子は、何も知らない様子で、
「あの女のひと、私のことを、奥様でいらっしゃいますかって聞きます
のよ。何ですの? 田所さんのところに何か御関係のある方ですか?」と、
聞いた。
「いや、田所とは別に何の関係もない。此の頃、やっぱり事業の方で知
りあったホテイ商会の細君じゃないのかね……」
「そうですか。それにしても、あまり感じのいゝ女の方じゃございませ
んのね。終戦以来、色々な人が出来たのですね。何だか、好意のもてない、
私の厭な型の女の人でしたわ。・・何処へいらしたンだろうとか、何時頃、
お帰りでしょうとか、不作法な程、とても馴々しいンですのよ」
女の直感というものは、すぐ反射しあうものがあるのに違いないと、
富岡は心中ひそかに恐れをなした。
邦子はゆき子に対して、直感で、一種の膚触りが感じられたのだろう。
富岡は、辛い気がした。いまのうちに、ゆき子の事を告白してしまってお
いた方がいゝのではないかとも考えられたが、モンペの膝に、縫物をひろ
げて、冬の布団の手入れをしている妻に対して、外地での色恋沙汰を報告
するには、あまりにも気の毒な気がした。罪もない邦子にそうした告白を
して、深い傷口をつくる事は、富岡にはとうてい忍びないのである。邦子
は、富岡の両親のもとで、とぼしい生活によく耐えて、良人を待っていた
のだ。
(217 ~218 〈十六〉)
2009年9月27日(日曜)
この場面で、ゆき子が再び富岡家を訪ね、初めて邦子と会ったことが分
かる。ゆき子がホテルで「私は明日奥さんのところへ話しに行ってよ。い
い?」という言葉は単なる脅しではなかったことになる。邦子の報告から
すれば、ゆき子が富岡との関係を暴露しなかったことは確かだが、それに
してもゆき子の行動は大胆で破廉恥である。もともと、富岡とゆき子の関
係自体が破廉恥と言えば破廉恥であったわけで、帰るところも行くところ
もないゆき子にとって、富岡と連絡がつかなければ直接、富岡の家を訪ね
て来るほかはなかったということになる。
それにしても、ゆき子は怖いもの知らずで、深層で、否、意識的に富岡
と邦子の関係が破綻することを誰よりも願っている。ゆき子が、富岡との
関係を邦子に言わなかったことが、彼女にとっては〈武士の情け〉であっ
たかも知れない。
富岡は、いっそのことゆき子との関係を邦子に話してしまおうとも思う
が、邦子が戦争中、どれほど苦労したかを考えて、そんな残酷なことはで
きないと思い止まる。と言うより、富岡はゆき子ときっぱり別れることが
できなかったように、邦子とも別れることなどできないのである。富岡は
ゆき子を〈ほてい商会の細君〉にして事をすまそうとするが、邦子の直感
は鋭く夫とゆき子との間に何かあることを嗅ぎ取っている。邦子にとって
ゆき子は、感じのよくない、好意の持てない〈厭な型の女〉であり、〈不
作法〉で〈馴々しい〉女である。
わたしは、『浮雲』において邦子の姿は完璧に隠しておいた方がいいと
思う。すべての人物を対等に描くことができないのであれば、富岡の妻邦
子は神秘のヴェールに包んだままの方が、不在の女神的存在として、その
魅力を存分に発揮したように思うのだが、ここで作者は邦子の姿を読者の
前に晒した。
描かれた限りで見れば、邦子の肖像は明らかにゆき子とは正反対である。
どちらかと言えば、邦子は安南人の女中ニウと似ている。不平や不満があ
っても、洗濯物を執拗に片づけていたりしたニウの姿は、戦争中、夫のい
ない富岡家に仕えていた邦子の姿を彷彿とさせる。もし、ニウが日本語を
巧みに使えたら、ここで邦子がゆき子を〈厭な型の女〉とはっきり口に出
して言ったと同じセリフを富岡に向けて発していただろう。
作者はここで、ゆき子が同性の女からどのような印象を受けるのかをは
っきりと描いている。ゆき子は妻のある男と関係して、その男を奪いかね
ない女であるから、妻はもとより、同性の女から好感をもたれるような女
ではない。

2009年9月28日(月曜)

富岡は邦子にゆき子のことを告白できない。戦争中、姑に仕えて家を守
ってきた邦子の苦労を思えば、ダラットでの色恋沙汰などとうてい口には
出せない。とつぜん訪ねて来たゆき子を〈厭な型の女〉と思っても、その
ことで富岡を責めることもない。富岡はそんな邦子を〈気の毒〉に思い
〈辛い気〉がする。〈罪もない邦子〉に告白して〈深い傷口〉をつくるこ
とを〈忍びない〉と感じている。
ここに日本男子富岡の内面が端的に表現されている。富岡は、ニウやゆ
き子と関係に〈罪の意識〉を覚えて苦しむことはない。富岡が恐れている
のは、邦子にゆき子との関係を知られることである。邦子がそれを知れば、
とうぜん苦しむだろう、そのことを〈気の毒〉に思うのであって、自分の
行為自体を倫理に反することだとか、或る絶対的な存在に厳しく罰せられ
る〈罪〉だと思っているわけではない。
富岡には家庭は家庭、外での色恋沙汰は色恋沙汰という分別がある。心
の底に復讐を抱いているゆき子は、富岡のその分別を破壊したいという思
いがあるので、富岡の家にまでやって来て、邦子に不作法な口をきいたり
する。富岡が最も恐れているのは、自分に都合のいい〈分別〉が壊される
ことである。
〈色恋沙汰〉が度を越せば、とうぜん〈分別〉の領域が犯される。〈分
別〉を頑に守り通せば〈色恋沙汰〉の入り込む余地はない。故国から遠く
離れて、妻の邦子のことだけを想って健全な生活を送れというのも、人間
の生理に即せば無理な話である。これは日本にあって、遠い戦地に夫を送
りだした妻の側にも当てはまるであろう。林芙美子は『 』で、夫が戦
争で留守の間、義父と関係を持った妻の姿を冷徹に描いている。
きれいごとではすまされないのが男と女の色恋沙汰であり、だからこそ
の分別なのである。もし富岡に、家庭を守るという意識がなければ、はた
してゆき子が富岡に惚れ込んだかどうかすら怪しくなる。ゆき子は、結婚
しようと思えばすぐにも可能な加野久次郎よりは、妻もあり愛人もある富
岡のような男にどうしようもなく惹かれてしまう女なのである。自分に備
わっていない美貌、品性、教養などを備えた妻を持った富岡に惹かれ、そ
の妻に嫉妬を覚えながら、執拗に追いかけ廻さずにはおれないのがゆき子
である。

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