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林芙美子の文学(連載53)林芙美子の『浮雲』について(51)

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林芙美子の文学(連載53)
林芙美子の『浮雲』について(51)

(初出「D文学通信」1257号・2009年10月02日)
清水正


ゆき子の眼差しは、汽車の客席の内部の設備や置物、
食器の一つ一つを舐めるように見ている。
春子の衣装や化粧にたいしても
何一つ見逃さない注意深さで見ている。
富岡は邦子、ニウ、ゆき子、おせいの眼差しを
通して描かれる必要がある。
林芙美子は、
富岡をさまざまな女の眼差しに晒して描くことを嫌って、
もっぱらゆき子のものにしておきたかったのではないか
とさえ感じる。


2009年9月22日(火曜)
『浮雲』を注意深く読んでいくと、食事や服装(化粧)に関して実にき
め細かく描写していることが分かる。たとえば、サイゴン行きの汽車の中
で、ゆき子が春子とふたり切りになった場面を林芙美子は次のように書い
ている。
二等車は案外、贅沢な設備がしてあった。ソファや、小卓があり、小さ
い扇風機も始終気忙わしく車室をかきまわしている。部屋の隣りには、シ
ャワーの設備もあって、自動車の旅よりはずっと快よかった。コオヒイを
注文すると、まるで花壺のような、深い茶碗に、安南人のボーイが持って
来てくれる。こゝで、初めて、ゆき子は篠井春子と二人きりの部屋におさ
まる事が出来たのだ。汽車は動揺が激しく、コオヒイ茶碗の花壺のような
しかけも、この動揺の為なのだと判った。自動車の旅と少しも変らない程、
砂塵が何処からか吹き込んで来るのには、二人とも閉口だった。どんな贅
沢な設備も、黄ろい砂塵の吹き込む列車は不潔である。春子は何時の間に
どうした手段で求めたのか、絹靴下をはき、洒落れたラバソールをつっか
けていた。そして、汽車に乗る時から気にかけてはいたのだけれども、春
子は、匂いの甘い香水をつけていた。ゆき子は自分が惨めに敗けてしまっ
た気で、学校時代のサージの制服を仕立てなおした洋袴に、爪先きのふく
らんだ、汚れた黒靴をはいている事に、いまいましいものを感じている。
長い旅路で、紺の洋袴はかなり汚れて来ている。春子の化粧の濃くなった
のを妬まし気に眺めながらゆき子は、
「篠井さんは、サイゴンに落ちつくなんて幸福だわね」と言った。
「あら、いゝところなのか、悪いところなのかは、行ってみなくちゃ判
らないわ。幸田さんこそ、パスツールの規邦園なンて、とてもハイカラじ
ゃないの? 貴女は勉強家だから、すぐ、仏蘭西語も、安南語も覚えちゃ
うでしょう。とても、第一級のところじゃないの? 私、そう思うわ。涼
しくて、いゝ処なンですってね……」
ゆき子は、春子が心のゆとりを持って、慰めてくれている事は、よく
判っていた。
(178 〈四〉)
ゆき子の眼差しは、汽車の客席の内部の設備や置物、食器の一つ一つを
舐めるように見ている。春子の衣装や化粧にたいしても何一つ見逃さない
注意深さで見ている。春子の〈絹靴下〉〈洒落たラバソール〉〈匂いの甘
い香水〉にたいし、ゆき子の〈サージの制服を仕立てなおした洋袴〉〈汚
れた黒靴〉、この惨めな対照をしっかりと認識した上で、ゆき子は春子に
妬ましい感情を抱いて平静を装っている。
春子にサイゴンへの派遣が決定した時も、作者はゆき子の妬み心に寄り
添いながら「自分もそんな美しい街へポストを持ちたかった。きまってし
まったものは仕方がないけれども、そうした命令が、女にとっては、顔か
たちの美醜にある事も、ゆき子はよく知っている」と書いた。決定権を持
った男たちが、応募してくる女たちの知性や適正ばかりではなく、その容
貌を考慮することは、今も昔も変わらない。ゆき子が春子に嫉妬の感情を
持つのは、ゆき子が容貌において春子に負けていることを自ら認めている
証である。
ゆき子は、男たちが女の価値を計るに際してその美醜に重きを置いてい
ることを非難しているのではない。ゆき子は、単に自分が春子より醜く、
春子と同じような高価な衣装や化粧で身を飾れないことが不満なのである。
ゆき子はゆき子で、男たちの眼差しを自分に向けさせる努力を惜しむこと
はない。
サイゴンの食堂でゆき子は、色の青黒く、髪の毛の房々とした、面長の
顔だちをした男の姿を見て心惹かれる。未だこの時は、男の名前も知らず、
一方的に一目惚れしただけであったが、二人はダラットの山林事務所で再
び顔を合わせることになる。富岡は食堂に入ってくるなり、ゆき子の顔を
見て、一寸驚いた風で、軽く目で挨拶するとすぐに廊下へ出て行ってしま
う。ゆき子はあかくなって挨拶を返すが、富岡がなかなか戻ってこないこ
とに苛々する。その直後の場面を林芙美子は次のように書いている。
いままで死んだようにぐったりしていた気持ちのなかに、急に火を吹き
つけられたような切ないものを感じた。あわてて、しのび足で部屋へ戻り、
ゆき子は洋服箪笥の鏡の中をのぞいて、濃く口紅をつけた。髪をくしけず
り、粉白粉もつけて、また、急いで食堂へ戻ったが、網戸を叩く白い蛾の
気忙わしい羽音だけで、広い食堂は森閑としている。暫くして、女中がコ
オヒイを持って来たが、すぐ、女中はコオヒイを置いて去って行った。い
くら待っても、男はついに食堂へは出て来なかった。
(183 〈六〉)
ゆき子は伊庭杉夫の妻と張り合い、篠井春子と張り合い、ここでは未だ、
富岡との深い仲を知らない女中と張り合っている(林芙美子は、ここでコ
オヒイを運んできた女中が富岡の愛人ニウであったのかどうかをはっきり
と記していないが、ニウである可能性は高い)。読者は富岡とニウの関係
を知っているが、はたしてゆき子は二人の関係をどこまで知っていたのだ
ろうか。関係がばれない以上、富岡がゆき子にニウのことを打ち明けるは
ずはない。もしかしたら、富岡はニウに関しては、最後の最後までゆき子
に隠し通したのかもしれない。
ゆき子が心惹かれた富岡は、妻のある、愛人のある男ではなかった。ゆ
き子の主観のなかで理想化された男が富岡であり、作者もまたゆき子が作
り上げた〈富岡像〉を根底から覆すような描き方はしていない。否、富岡
の〈ろくでなし〉っぷりは十二分に描かれていると言えるが、この〈ろく
でなし〉に魅力を感じているのはゆき子ばかりではなく、作者林芙美子も
またそうであったところに、富岡に対する〈甘さ〉も感じる。
男と女の関係に絞ってみても、富岡は邦子、ニウ、ゆき子、おせいの眼
差しを通して描かれる必要がある。林芙美子は、富岡をさまざまな女の眼
差しに晒して描くことを嫌って、もっぱらゆき子のものにしておきたかっ
たのではないかとさえ感じる。林芙美子は、富岡という〈ろくでなし〉を
客観的に描くのではなく、ゆき子にとっての〈ろくでなし〉富岡と、その
〈ろくでなし〉をひたすら独り占めしようとしてはたせなかった〈愚かな
女〉ゆき子の、そのどろどろの性愛の究極の関係性を描きたかったのでは
なかろうか。

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