2009
09.12

「ZED」を観る(連載39)糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」を読む(その14)

「ZED」を観る

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糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」より。ジル・サンクロワさんと糸井重里さん
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「ZED」を観る(連載39)
(初出「D文学通信」1236号・2009年09月12日)
糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」を読む(その14)  
清水正

「シルク・ドゥ・ソレイユ」と
創始者の一人、ジル・サンクロワの秘密に迫る。(14)
「10. シルク・ドゥ・ソレイユという有機体。」を読む
ジルが三人の子どもたちに与えた〈小さな竹馬〉の運命を思う。
ミニチュアの玩具として飾り棚に並べられるのか。
父親のジルの意思を継いで、
水平的次元での〈大きな竹馬〉へと成長発展させるのか。
それとも垂直軸上の高度の技術を身につけ、
神の高みへと昇りつめる途を選ぶのか。


糸井は、シルク・ドゥ・ソレイユが短期間で世界的なグループに成長し
た理由の一つに、ジルの「怖がらず、信じたこと」をあげ、ジルは夢を実
現するためには自分の心をそこに持っていくことが大切だと語る。糸井は
シルク・ドゥ・ソレイユは「ひとりでできるすばらしさ」と「みんなでで
きるすばらしさ」のバランスが非常にうまくとれている組織だと指摘する。
ジルはその秘訣を、協力してくれる人やアーティストたちを〈取り込んで
いく組織〉にあったと端的に語っている。まさに、シルク・ドゥ・ソレイ
ユはジルのバランス感覚と他者に開かれた心が十分に生かされた組織と言
える。
ジルは「重要なことは、大勢の人々が、いっしょに働けるやり方で仕事
をしなきゃいけないということです」と語っている。〈たくさんのミーテ
ィング〉で、常に情報交換をしたりアイデアを出し合うことの大切さ、シ
ョーに係わるすべての人が重要で、そこには一切の階層があってはならな
いこと、シルク・ドゥ・ソレイユは〈有機的な組織〉であって「みんなと
楽しくやること」「やっていることに喜びがなければいけない」と説く。
ジルは、シルク・ドゥ・ソレイユという〈有機体〉においては〈独裁
者〉が生まれることもなく、人が人を力で動かすこともないと語り、糸井
はシルク・ドゥ・ソレイユにグローバルな企業にありがちな「パワーの文
化」をまったく感じなかったと語る。
ジル ここでは、ひとりがパワーを持ちません。
ショーがどうなるか、ひとりでは決めません。
しかし、ショーがどういうふうに
なり得るかということについては、
誰もが等しく影響を与えることができます。
そのショーをクリエイトする人たちすべてが
いっしょに働くことで、
経験を蓄え、影響を与え合っていきます。
それゆえ、ひとりがパワーを持たないのです。
糸井 関係性をとても重要視しているんですね。
ジル そのとおりです。
やはり、クリエイティビティというのは、
会社の壁の中に入っているわけじゃありません。
アイデアは、人から出てくるんです。
人と人が、真剣に、楽しく、1時間話すだけで、
すばらしいアイディアというのは出てくる。
重要なのは、その関係性なんです。

一人のカリスマ的な指導者が自らのヴィジョンをスタッフたちに徹底し
て浸透させることで、企業を発展させる場合がある。この場合、何よりも
問われるのはトップのヴィジョン、企画実行力である。あまりにも独善的
で、ひとの意見をまったく聞かないというのは困りものだが、どんな企業
でもトップに立つものに要求されているのは、発展性のあるヴィジョンと
実行力であろう。
ジルの場合も、ゼロの地点で〈関係性〉を重要視しているのではない。
ジルには一つの〈夢〉があった。その〈夢〉を実現するために、〈竹馬〉
で有名になり、政府から資金を引き出すことに成功している。まず〈夢〉
(ヴィジョン)がなければ話にならない。次にその〈夢〉を実現するため
に何をすべきかを考え、それを実行する行動力がなければならない。ジル
は自分の〈夢〉を実現するためにいろいろなひとに相談し、巻き込み、有
能な人材を取り込んできた。そして自分の〈夢〉を理解する有能なひとた
ちとミーテイングを繰り返し、ジル個人の〈夢〉をみんなの〈夢〉として
事業を拡大してきたのである。
逆のことを考えてみれば話はわかりやすい。トップにヴィジョンがなく、
発展的見通しがないにもかかわらず、権力の座に居つづけるために、有能
でないイエスマンだけを集めて事業を展開すれば、組織の中に自由な意見
の交換はなくなり、各自が自分の殻の中に閉じこもって、やがては自分の
職場であるにもかかわらず、やる気をなくし、最悪の場合は何事に関して
も無関心になってしまう。
ジルはシルク・ドゥ・ソレイユにおいてはすべての人間が同等の発言力
を持っており、トップ、クリエイター、アーティスト、スタッフすべてが
みんな一致協力してショービジネスに係わっている意識と情熱があるとい
う意味のことを語っているが、この開かれた企業センスとバランス感覚が、
彼の言う〈ヒッピー・サーカス〉の真髄をなしている。
みんなで作り上げていくんだというジルの企業理念は、すべてのトップ
が抱く理想であろう。この理念が浸透するためには、自分たちのしている
仕事の〈目的〉がはっきりしていなければならない。シルク・ドゥ・ソレ
イユの場合は、ショーという創造的な舞台をつくることで、多くのひとに
〈夢と冒険〉のフアンタジー世界を体験してもらうという大目的がはっき
りしている。その〈目的〉が第一であって、〈利益〉をあげることが第二
義的な位置におさまっていれば、シルク・ドゥ・ソレイユはますます発展
して行くに違いない。人々を幸せにするという〈夢〉と〈希望〉をなくし
た企業においては、そこで働く人間たちもまた夢と希望をなくすことにな
ろう。
ジルは企業のトップとして、その〈理想〉を実現し、維持しているが、
その成功の秘訣の一つとして、自分の〈理想〉に反する者を予め受け入れ
ないという、つまり入口に厳しい選抜の狭き門を設えていることがある。
例えば、シルク・ドゥ・ソレイユのサーカスショーの斬新さは動物を登場
させないことにあるが、絶対に動物を登場させるべきだという人がいた場
合、その人ははじめから入社を拒まれることになる。つまり、ジルの言う
〈関係性〉の重要視とは、同じ〈理想〉を抱いた人間たちにおける〈関係
性〉であり、〈意見交換〉だということである。
全く逆の方向を向いた者たちが、いくらミーティングを繰り返しても、
決していい結論を導くことはできない。むしろ両者の確執を深める場合が
大半である。一般企業においては、すべての従業員を一つの方向に向かわ
せること自体が困難を伴うし、意見や理想が違うといってすぐに解雇する
わけにもいかない。
企業において多数を占める者たちの〈理想〉や〈ヴィジョン〉がすばら
しいとは限らないし、その時々の権力になびくだけの自己保身者も多い。
意見交換が企業を発展させるのではなく、権力の座についている者に好都
合な、情報入手という役割しか果たさない場合もある。シルク・ドゥ・ソ
レイユという組織の強さは、目的がはっきりしており、その目的にそぐわ
ない者は消えてもらうしかないという冷徹な考えが根底に置かれているこ
とにあるのではなかろうか。
わたしはシルク・ドゥ・ソレイユの雇用制度の詳細を知らないが、一流
のアーティストが、二流、三流の演技しかできなくなれば、その人はもは
や舞台に登場することはできないだろう。アーティストのキャスティング
に微塵の妥協でもあれば、ショーは衰退の一途をたどることになる。クリ
エイターやアーティストが、いつも真剣勝負でショー作りに参加している
からこその、シルク・ドゥ・ソレイユの発展がある。しかし、そこにはご
まかしのきかない能力の査定があり、厳しい雇用と解雇がある。尤も、解
雇された者たちの生活保証制度を整備しているからこそ、世界一級のアス
リートたちをスカウトし、シルク・ドゥ・ソレイユに相応しいアーティス
トに仕立て上げることができるのであろう。
いずれにせよ、シルク・ドゥ・ソレイユのアーティストたちに、大道芸
人のその日暮らしのイメージは全くない。ジルが望んだ〈竹馬〉で〈生活
の糧〉を得るという理想は、見事に果たされた。〈生活の糧〉を得るため
に、利益を得るために〈竹馬〉に乗るのでなければ、シルク・ドゥ・ソレ
イユは世界中の人々に〈夢と冒険〉のすばらしいファンタジーを与え続け
ることになるだろう。
フェリーニの『道』に登場するジェルソミーナの存在そのものにまとわ
りついている哀愁、胸で鎖を断ち切るだけの芸に生きたザンパノのどうし
ようもない悲しみ、大道芸や大道芸人の原点はおそらくそこにある。街路、
広場、野原、そこに何人かの観客が集まれば、芸を披露して、わずかな投
げ銭をいただく。雨や雪が降れば、強風が吹けば商売あがったりの大道芸
に、芸の本源的なるものを感じてしまう。
シルク・ドゥ・ソレイユの「ZED」に、哀愁や悲しみが滲み出ている
わけではない。「ZED」のアーティストたちはオリンピックでメダルを
取るほどの世界有数のアスリートや、ロシアや中国のもともとサーカス芸
(アクロバット)に秀でた者たちが多数を占めている。彼らの演技は人間
技とは思えないほどの高度な技術を駆使して演じられる。第一に求められ
ているのは、人間の悲哀ではないし、命懸けの演技ではない。観客に落下
を期待させるようなハラハラドキドキの空中ブランコや空中綱渡りはない。
危険を感じさせない高度で華麗な芸術的な演技が何よりも求められている。
「ZED」の観客は、日常を忘れて、〈夢と冒険〉の魅惑的なファンタ
ジーに酔い痴れる。大道芸から出発したシルク・ドゥ・ソレイユは、大道
芸を感じさせないほどの華麗さと技術を獲得した。「初心忘るべからず」
を社訓にすることはできても、今更、大道芸に回帰することはできないだ
ろう。
ジルが三人の子どもたちに与えた〈小さな竹馬〉の運命を思う。ミニチ
ュアの玩具として飾り棚に並べられるのか。父親のジルの意思を継いで、
水平的次元での〈大きな竹馬〉へと成長発展させるのか。それとも垂直軸
上の高度の技術を身につけ、神の高みへと昇りつめる途を選ぶのか。第一
の途は、ジルの父親が望んだ〈真面目な職業〉につくことを意味し、第二
の途はジルの事業の後継者となることを意味し、第三の途はジルへの反逆
を意味する。この三つの途のバランスをとり、平均化することはできない。
〈小さな竹馬〉を与えたジルの内部にどのような風が吹いていたのか。
ここでも、ジルがインタビューに応じた部屋に飾られたクラウンの、その
余りにも生き生きした肖像画がリアルに浮上する。

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