2009
09.10

「ZED」を観る(連載37)糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」を読む(その12)

「ZED」を観る

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糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」より。ジル・サンクロワさん
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「ZED」を観る(連載37)
(初出「D文学通信」1234号・2009年09月10日)
糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」を読む(その12)  
清水正

「シルク・ドゥ・ソレイユ」と
創始者の一人、ジル・サンクロワの秘密に迫る。(12)
「08. 建築と竹馬」を読むstrong>
ジルが選んだ道は〈竹馬〉(大道芸人)、
父親が息子に望んだ道は〈建築〉(まともな仕事)であった。


ここで小見出しの付けられた〈建築と竹馬〉ということに関しては、既
に書き尽くした感もあるが、しばし二人の会話に耳を傾けてみたい。
糸井はジルにとって父親の存在が大きいことに注目し「(父親は)あな
たの前の世代、前の時代の象徴ということもできますか?」と訊く。ジル
は次のように答える。
ジル まず、私がなにを好み。なにになりたいか、
というような価値観は、
紛れもなく父親からもらった価値観です。
それはとても重要なことだと思います。
私の父は非常に信仰の厚い宗教的な人でした。
そしていつも人々を助けようという
気持ちを持っていた人でした。
その父親の、姿を変えたのが、私です。
たしかに、私のやっていることは、
父の望んだこととは違うかもしれない。
けれども、やはり私の価値観は、
父の価値観に基づいているんです。
私のやり方が父のやり方とは違った、
ということではないかと思います。

ジルはここで〈非常に信仰の厚い宗教的な人〉であった父親の価値観を
きちんと受け継いでいることをきっぱりと語っている。ジルが選んだ道は
〈竹馬〉(大道芸人)、父親が息子に望んだ道は〈建築〉(まともな仕
事)であった。〈竹馬〉は日常生活からの逸脱であり、それは真面目な人
間が選ぶべきものではないという価値観が父親の側にはある。しかし、先
に指摘したように、ジルが選んだ〈竹馬〉は決して日常からの逸脱を意味
していない。ジルの〈竹馬〉は父親が望んだ真面目な仕事、すなわち日常
の延長線上にある仕事であり、その竹馬の足の長さは、いつ転んでも致命
傷に到ることのない高さに調節されていた。だからこそ、ジルの〈竹馬〉
はやがてショービジネスとして大成功を収めることになった。ジルが「私
の価値観は、父の価値観に基づいている」と言うことに間違いはない。
糸井とジルは〈建築〉に関して次のような発言をしている。
糸井 思えば、「建築」というのは
少しずつ積み上げて
高いところへ行くものだけど、
「竹馬」って、一瞬で一気に
高いところに登ってしまうものですね。
ジル ああ、そのとおりです。
私は「竹馬」を選んだんです。
糸井 でも、その「竹馬」があなたを救ったんだよね。
ジル ええ(笑)
糸井 そして、シルク・ドゥ・ソレイユを生み出した。

糸井はここで〈竹馬〉と〈建築〉の違いを指摘し、ジルもそのことに賛
同しているが、わたしはジルにおける〈竹馬〉と〈建築〉の共通点を指摘
してきた。確かに〈竹馬〉は一瞬で高いところに登ることができるが、わ
たしが問題にしたのはその〈高さ〉である。ジルが選んだ〈竹馬〉の高さ
は、眼が眩み、落下すれば命さえ奪うという〈高さ〉ではない。観客の眼
差しが好奇と興奮の眼差しで見上げる〈高さ〉があれば十分であり、ジル
はその〈高さ〉を維持して一歩、一歩確実に、バランスをとりながら水平
的に移動することのできる〈竹馬〉を選んだということである。
つまり、ジルは表面的(種目的)には〈建築〉を捨てて〈竹馬〉を選ん
だが、堅実さという点においては同じなのである。言い方を孵れば、ジル
は〈竹馬〉によって壮大な建築物(シルク・ドゥ・ソレイユ)を建設した
ということである。まさに、ジルは真面目で誠実な父親の指示通りに生き
てきたと言える。
ジルは父親のことを「いつも人々を助けようという気持ちを持っていた
人でした」と語っている。ジルはハッピーなヒッピーであったが、自分だ
けのハッピーに満足していたのではない。ジルは多くの人々がハッピーに
なることを望んだ。ジルがショービジネスに情熱を燃やすのは、自分の幸
福のためだけではない。劇場に集まる観客に〈夢と冒険〉のファンタジー
を贈り続けることで、多くの人々と幸福を分かち合おうという精神に満ち
ている。成功が自分だけの成功であるときには、その幸福をだれとも分か
ち合うことはできない。

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