2009
09.08

「ZED」を観る(連載35)糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」を読む(その10)

「ZED」を観る

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糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」より。
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「ZED」を観る(連載35)
(初出「D文学通信」1232号・2009年09月08日)
糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」を読む(その10)  
清水正

「シルク・ドゥ・ソレイユ」と
創始者の一人、ジル・サンクロワの秘密に迫る。(10)
「07. 愚かだけど、ハッピーだった」を読む(2)
ジルの内部世界には反対者と敵対せずに、
敵をも包み込む壮大なテントが用意されている。
ジルが建築学科に学び、建築事務所に勤めた経験を
持つことは、彼の事業をスムースに展開させる上で
大いに役立ったはずである。


再び二人の会話に耳を傾けたい。
ジル 竹馬に乗ってケベックを目指したとき、
私には3人の子どもがいました。
糸井 あ、そう! 3人?
それは、思いも寄らなかった(笑い)
ジル 子どもたちからは、
「(竹馬から)下りろ、下りろ」
って言われましたよ。
糸井 子どものころはお父さんから
「下りろ」と言われ、
オトナになってからは子どもたちから
「下りろ」と言われ(笑)。
ジル そうなんです(笑)
そのころ、父はもう亡くなってましたが、
もしも生きていたら、
彼は私の竹馬をカットしたことでしょう。
糸井 はははははは。
ジル 母親はまだ生きていて、やはり、
私が竹馬に乗ることにひどく反対しました。
子どもがいるのに何をやっているんだ、
もっと真面目になりなさいと言われました。
けれども、私は、ハッピーだったんです。
私は愚かだけど、ハッピーだった。
糸井 いいなぁ(笑)。
ジル そして、無事に
ケベックまで竹馬で歩き終えたあと、
私は子どもたちのために
小さな竹馬をつくってあげました。

いかなる運動もある一定の時期が過ぎると衰退し、その姿を消してしま
う。日本においても、学生運動から発達した革命運動は連合赤軍事件とい
う、醜悪な内ゲバ事件が発覚したことで衰微の一途をたどった。革命幻想
はその根底から崩れさった。宗教幻想もまたオウム真理教のサリン事件に
よって消え去った。革命も、宗教も、人間の新たな生き方を指示すること
ができないまま、今日のいわば平成の無風時代を迎えている。
様々な芸術運動も二十世紀においてすべて実験し尽くされた感がある。
過激なもの、既成の秩序を破壊し、新たなものを作り上げるということそ
のこと自体が虚しい〈幻想〉のようなものとして映っている。過激な革命
運動の壊滅の後、大学は平穏を取戻し、学生たちのあいだにはシラケの空
気が蔓延した。大学は〈遊園地〉と化し、キャンパスではフレスービーや
キャッチポールに興ずる学生すらいた。が、シラケ世代は未だ、体制に対
する〈反抗〉の様相を隠しきれてはいなかったが、それに続く世代はまさ
に〈空白〉の時代を漫然と過ごしているかのようであった。
ヒッピーは解放を求めて移動する。狭い国土しか持たない日本で移動し
ようとすれば、海外へと飛び出していくほかはない。しかし、日本を捨て
て海外へと移動したからといって、真の解放が得られるわけではない。そ
こで一部の青年たちは一か所にとどまりながらも、新の解放へと至る途を
真剣に求めはじめた。地上世界を空間的に移動するのではなく、精神世界
においてどこへでも自在に魂を解放する途である。
ヨーロッパから日本に来て、公園や広場で座禅の真似事をしているよう
なヒッピーも珍しくはなかった。しかし、彼らの姿もいつの間にか消えた。
ヒッピーに影響されたのか、定職にもつかず、髭を延ばし、髪を延ばして
自由気儘にふるまっている若者たちをマスコミはフーテンと名付けた。自
由を求め、既存の社会や制度から解放されようとして、バンドを組んで音
楽活動に熱中する若者も多くいた。当時、ビートルズの世界的熱狂に巻き
込まれなかった青年はごく稀である。
しかし、プロのアーティストとして〈音楽活動〉を生活の糧に出来る者
はごく限られている。大半の若者たちは、やがて既存の社会組織の中へと
組み込まれていった。そのことに失敗した者は、自由を求めて、結局は社
会の敗残者となるほかはなかった。日雇い肉体労働者、わずかな原稿料で
三流週刊誌に雑文を書きまくるフリーライター、スナックやバーの雇われ
バンド……。酒と薬物に身を落としていく若者も少なくなかった。
当時の若者で自由と解放を求め、革命運動や文学や芸術に情熱を注いで、
未だにその活動を続けている者は極めて少ない。それに比べ、学生時代は
過激な革命戦士、卒業すれば企業戦士に変身した者の数ははるかに多い。
一途に信念を貫く者は少なく、変わり身の早い、処世に長けた者は、いつ
の時代も多数を占める。
否、いつの時代も大多数を占めるのは無関心派である。連日繰り返され
たデモとシュプレヒコール、機動隊へ向けての投石や火炎瓶攻撃……あの
熱い熱い政治的季節にあっても、いっさいの政治的活動に参加しなかった
ノンポリ学生の方が圧倒的に大多数を占めていたことを忘れてはならない。
それに忘れてならないのは、当時、団塊世代の大学進学率は二割程度だ
ったということである。五人に四人は中、高校を卒業してすぐに実社会で
働いていたし、過激派の革命運動家たちと戦った機動隊の青年たちも日本
の若者である。彼らは、革命戦士と違って自分たちの思いを言葉に出して
言ったり書いたりしないので、世の人々は彼らの内部の声に耳を傾けない
が、彼らも人間であり、言いたいことはあるのだということを絶対に忘れ
てはならない。
当時の大学生の大半は、その授業料や生活費を親の収入に依存していた。
中には親にまったく依存せずに、バイトと勉学を両立させていた学生もい
たろうが、大学に進学することができず、中学や高校を出て実社会で働い
ていた若者から見れば、大学に入って体制側に暴力的反抗を繰り返してい
る過激な学生運動家を〈甘え〉ていると思っていたことも確かなのである。
いずれにしても、既存の国家体制を暴力によって壊滅させようとする過
激な革命運動は壊滅的状況に追い込まれた。認められているのは、法律の
条項に則った政治活動だけである。現体制とまったく異なる思想を持つ共
産党も、民主的な手続きを守って政治活動を展開する限り、表立った弾圧
を受けることはない。政権を取れない、万年野党の政治家の〈現実的な
夢〉とはいったいどんなものなのだろうか。
ヒッピーであったジルが目指した〈理想〉を改めて考えてみよう。ジル
は過激に、つまり既存の国家に対し、暴力も辞さない覚悟で自由と解放を
望んだのではない。ジルは〈綱〉から下りろと命ずる父親に従順であり、
彼の移動は〈竹馬〉で可能な範疇に収まっている。政府と戦うよりは、む
しろ政府を説得し味方にしてしまう柔軟性を備えている。
ジルは家族(両親、妻、そして三人の子供)を犠牲にしてショービジネ
スに飛び込んだのではない。家族の反対があったとしても、彼らの、いわ
ば保守的な考えに限りなく理解を示し、時間をかけて説得する術を心得て
いる。ジルの強みは、反対者を拒まず、懐に包み込む寛大さと、夢を実現
する情熱にある。
ジルの内部世界には反対者と敵対せずに、敵をも包み込む壮大なテント
が用意されている。ジルが建築学科に学び、建築事務所に勤めた経験を持
つことは、彼の事業をスムースに展開させる上で大いに役立ったはずであ
る。建築の規模が大きくなればなるほど、設計図が重要となる。建築は数
学、物理の知識はもちろんのこと、建築資材、空調、水道、電気、コンピ
ューターなどに関して高等な知識と体験の積み重ねが要求される。
のみならず、どのような建築物を、どこに、いつまでに作り上げるのか
という、独創的なヴィジョンと現実的な計算とが求められる。一つの建築
物が完成するまでには、ヴィジョンを実現するための綿密な設計図と高度
な専門技術が必要であり、それに携わる多くの人間たちの協力がなければ
ならない。
ジルは、自分の夢を現実化するために家族の理解と協力が必要であるこ
とを深く自覚していた。ジルはいわば、現実にしっかりと足をすえた健全
なヒッピーであり、単なる空想家でも、自滅に到る妄想家でもなくて、
〈夢と冒険〉を実現するバランス感覚に優れたクラウンであり、ショービ
ジネスの発展的将来をきちんと見据えた一筋縄ではいかない実業家という
ことになろうか。
ジルは天才的、破滅型のアーティストではなく、シルク・ドゥ・ソレイ
ユという〈建築物〉を周到な計画のもとに作り上げた、現実的なアーティ
ストであり、ショービジネスのすぐれた主催者なのである。

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