2009
09.06

「ZED」を観る(連載33)糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」を読む(その8)

「ZED」を観る

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「ZED」を観る(連載33)
(初出「D文学通信」1230号・2009年09月06日)
糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」を読む(その8)  
清水正

「シルク・ドゥ・ソレイユ」と
創始者の一人、ジル・サンクロワの秘密に迫る。(8)
「07. 愚かだけど、ハッピーだった」を読む(1)
ジルと糸井は、お互いが、いつどこにいても、
自由を求めて常に移動し続ける〈ヒッピー〉である
ことを再確認し合ったかのような、
すてきな笑顔で会話を続けている。


「07. 愚かだけど、ハッピーだった」を読む(1)
ここで、糸井とジルは次のような会話を交わしている。
糸井 さきほどのお話を聞いていて。
妙にうれしかったことは、
出発点に「お金が必要だ」っていう
切実な欲求があったということです。
つまり、ピュアなアマチュアとして
趣味を磨いていく延長上に
シルク・ドゥ・ソレイユができたんじゃなくて、
はじまりからそれは興行で、資金が必要だった。
ジル ああ、そうですね。
糸井 お金のため、というと言い方が悪いけど、
生活のためにというよりは、
自分がクリエイティブであるために
お金が必要だったわけですよね。
ジル うーん……
いや、生活のためでもありました(笑)
糸井 ああ、いいですね(笑)
ますます、いいです。

二人の会話に小難しい理屈や議論はない。ジルはサーカス論やショービ
ジネス哲学を難しい言葉を使って説明することもない。ジルの言葉は彼の
生活に両足をおろした地点から発せられており、現実化できない夢想や空
想はいっさい語っていない。先に検証して明らかなように、ジルはひとり
天空へ向かって孤独な飛翔を繰り返すようなタイプの芸人ではない。限り
ない天空へ向かって飛翔することも、限りない深みへ向かって降下するこ
ともなく、あくまでも観客の眼差しが捕らえることのできる〈天〉と〈
地〉の狭間で、巧妙にバランスをとることのできる芸人であり、興行主な
のである。
先に指摘した通り、ジルにとって〈芸〉(ストリート・パフォーマン
ス)は〈仕事〉、つまり生活の糧とならなければならなかった。そのため
のプロジェクト作りであり、資金調達申請や交渉があり、観客動員の工夫
があった。芸人の中には、だれひとり観客のいない広場でひたすら〈竹
馬〉の脚を長くしたり、〈綱渡り〉の高度をあげたりといった、純粋に技
を磨こうとする者もいる。しかしジルは一芸人として高度な技を磨き、人
間の領域から神の領域へと迫ろうとしたわけでもない。ジルは観客をいか
に集めるか、集めた観客をいかに感動させ、いかに何回も脚を運ばせるか、
そういった主催者側の立場からショーを考えていたアーティストでありビ
ジネスマンである。
糸井はこういった、アーティストとして突出したジルではなく、生活の
基盤にしっかりと立ってショービジネスを展開してきた敏腕家としてのジ
ルに素直に共感している。奇しくも、ジルとの対談において糸井の性格も
浮き彫りになっている。
糸井の仕事はコピーライターである。短い言葉でいかにひとの心を掴み、
購買意欲をそそるか。糸井にとってコピーライターという仕事は孤高な芸
術家(詩人や歌人)のそれとは違う。純粋な詩人や歌人にとって他人の評
価は第二義的であって、ましてや作品で金儲けしようなどという者は、文
字通り〈文学〉や〈芸術〉の聖域から追放されるか、無視されることにな
る。尤も、今や、否、いつの時代においてもそういった純粋な自己探究型
の詩人や歌人はごく稀である。商業ジャーナリズム全盛の時代にあって、
だれとも妥協せずに自己表現の現場に立ちつづける者は、逆に〈素人〉
〈アマチュア〉〈自己満足〉などと揶揄される。
糸井の仕事は、ジルの〈竹馬〉と同じで、余りに高きを目指してもなら
ず、余りに低きに甘んじてもならない。自己表現とその時々の大衆の求め
るものとの絶妙なバランスを得て、はじめて仕事として成立する。コピー
ライターとしての仕事が利益を得なければ、糸井の生活は成り立たない。
ジルも糸井も多くのスタッフを抱えて仕事をしており、彼らの生活も保証
しなければならない立場にある。生活の糧を、その仕事で得なければなら
ない者にとって、いっさいのきれいごとは通用しない。
ジルが生活を重視する、否、軽視しない人間であることは、父親の言う
ことをよく聞いて真面目に勉強し、建築科を卒業して、建築事務所に就職
したという経歴ですでに明白である。ジルは、〈日常〉をきっぱり捨てて
〈非日常〉の世界へと飛び込んだのではない。ジルは〈日常〉と〈非日
常〉の二つの世界を巧みにバランスをとりながら、事業を発展させてきた。
まさに、このこと自体がクラウン(道化〉の本質をなしている。クラウ
ンは楽屋に引きこもって絶望したり、反抗したり、泣きわめいたり、して
はならない存在なのである。クラウンの使命は、舞台と観客席、アーティ
ストと観客を大げさな身振り、どじな仕種、泣き笑いの笑顔で繋ぐこと、
そのためにはアーティストの日々の訓練と苦悩を知っていなければならな
いし、観客が内に抱えた〈絶望〉〈悲しみ〉を知っていなければならない。
ひとを笑わせ、魂を奮わせ、心と心を繋ぎあわせることのできるクラウン
は、もうそれだけで一流のアーティストと言える。
ジルが、糸井が、どこでどんな赤い涙を流してきたかは知らない。しか
し、彼らは等しく、人前で泣いてはいけない宿命を負っている。大衆、観
客の心を掴む、巨大な網を投げて収穫を得る者は、決して孤高な姿を見せ
てはいけない。彼らは、自分のうちにひとりの〈クラウン〉を飼っており、
どんなに有名になっても、どんなに偉くなっても、この〈クラウン〉によ
って〈絶対価値〉なるものを即座に相対化する、オチャラケ精神を保って
いる。
八歳の時にジルがはじめて練習した〈綱渡り〉も、仕事で覚えた〈竹
馬〉も、つねに歩行し、移動していなけれはならない。一か所にとどまっ
て権威付くようなことがあれば、自由な精神が衰退している証である。
ジルと糸井は、お互いが、いつどこにいても、自由を求めて常に移動し
続ける〈ヒッピー〉であることを再確認し合ったかのような、すてきな笑
顔で会話を続けている。

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