2009
08.31

「ZED」を観る(連載27)糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」を読む(その2)

「ZED」を観る

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カタログより。ジル・サンクロワさんと糸井重里さん
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「ZED」を観る(連載27)
(初出「D文学通信」1224号・2009年08月31日)
糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」を読む(その2)  
清水正

「シルク・ドゥ・ソレイユ」と
創始者の一人、ジル・サンクロワの秘密に迫る。(2)


まずは、「シルク・ドゥ・ソレイユからの招待状・ それは竹馬からは
じまった。~ジル・サンクロワへの取材~」に掲載されたインタヴュー記
事からジル・サンクロワの肖像画をスケッチしてみたい。
ジルは1984年に創立した「シルク・ドゥ・ソレイユ」の創始者の一人で、
今やラスベガスで五つのショーを同時開催する世界一のショー・ビジネス
集団へと発展させた。ジルがサーカスと出会ったのは八歳の時、空中ブラ
ンコ、アクロバット、動物は馬一頭だけの小さなサーカス団であったが、
ジル少年ははじめて見たクラウンに魅惑される。家に帰るとすぐに納屋に
ロープを張って綱渡りの練習を始める。
ジルははじめて観たサーカスにすっかり興奮してしまうが、彼がユーモ
ラスなクラウンのバランス芸を「大きくなったら自分でもできるんじゃな
いか」と思い、すぐに〈綱渡り〉の練習をはじめたことは注目に値する。
つまり八歳のジル少年は、この日、初めて〈綱渡り〉を通して、身体上の
みならず人生上における〈バランス〉の取り方を無意識のうちに学んだと
いうことである。
父親は、綱渡りの練習をはじめたジルに向かって「ケガをするぞ! 下
りろ!」と怒鳴る。ジルがこの時、すぐに父親の忠告に素直に従ったのか
どうかはわからないが、「そのとき、私は、あのサーカスといっしょにこ
こから逃げだしたい、とまで思った」と語っている。
ジルが逃げだしたいと思った〈ここ〉とは、田舎で父親の言うことをよ
く聞いて、将来、あくまでも日常の延長線上にまともな人生の設計図を実
現することである。ジルが逃げだしたいと願った〈サーカス〉とは、もち
ろん〈ここ〉(日常)ではない、〈夢と冒険〉(非日常)の世界である。
堅実な父親は、〈綱渡り〉が日常からの危険な逸脱であることをよく承知
しており、すぐに〈下りろ〉と命令する。
もしジル少年が、自分の〈夢〉を実現しようと思えば、とうぜん〈父
親〉との葛藤を乗り越えていかなければならない。ジルにとっては、まず
は〈日常〉の権威としての〈父親〉と、どのようなバランスをとるか、と
いうことが差し迫った大きな課題となったに違いない。
ジルは、その後、ショーや劇場のことを勉強し、16歳のときに演劇サー
クルをつくり、即興劇や小さな風刺劇を公演して、将来は劇場での仕事に
つきたいと考える。農家出身の父親はジルが芸能関係に進むことに猛反対
し、真面目に勉強して〈まっとうな職業〉につくことを主張する。
この時のジルの取った選択肢は興味深い。ジルは父親と争う途を選ばず、
父親の主張を受け入れて真面目に勉強し、建築科を卒業し、バンクーバー
にある「クニモト・エンジニアリング」という建築事務所に勤める。二年
後、ジルは「もっとやりたいことがあること」に気づき、1970年代に入っ
て劇場の歴史、インドのダンス、バリの人形劇、即興劇などの研究を続け、
1975年、アメリカ在住の友人から「ストリートプレイヤー」の存在を教え
られる。
やがてジルはバーモント州に行き、アクロバットや人形劇を取り入れた
ストリートパフォーマンスの代表的な集団である「ブレッド・アンド・パ
ペット・シアター」の中心人物と出会う。ジルは彼に「私の夢は、あなた
がやっているようなことです」と言う。すると彼はジルに「何かできるこ
とがあるか」と訊く。ジルが「竹馬ができる」と答えると、彼は自分のシ
ョーでジルに竹馬に乗る機会を与えてくれる。
ジルが竹馬に乗っていたのは、実家の農家でリンゴの実をとるためであ
った。木から木へ移動しながらリンゴをとる仕事が、ジルを自然に竹馬乗
りの名人に仕立てた。ショーは大きな人形劇と竹馬で構成され、竹馬には
オレンジと黄色のフリンジ、そして大きなマスクがついていた。
たいへん興味深いことですが、このときのマスクが、太陽(ソレイユ)
だったんです。私のパフォーマンスはたいへんシンプルなものでした。コ
スチュームをまとい、竹馬に乗って、通路をぐるっと回って元の場所に戻
る。それが、私の最初の経験でした。
ジルのこの言葉はわたしにとって衝撃的に面白い。「ブレッド・アンド
・パペット・シアター」の主宰者が〈人形劇〉をメインにおいていたこと
は疑いようがない。〈オレンジと黄色の長いフリンジ〉の衣装に実を纏っ
た〈竹馬〉は、客寄せ的な役割を負った、〈大きなマスク〉をつけた道化
的存在と言っていいだろう。
〈劇〉はもっぱら人形たちが主役で、〈竹馬〉はその一つの背景的役割
を負っている。〈竹馬〉は〈劇〉が始まれば、決して目立った存在であっ
てはならない。誰よりも目立って宣伝的効果を挙げなければならないが、
同時にショー全体の影の役割も果たさなければ成らない。
〈竹馬〉は〈人形劇〉の表舞台(集まった観客たちの背後)と裏舞台を
まわって、元の場所へと戻ってくる。〈竹馬〉の歩く軌跡は円を描いてい
る。すなわちジルが演じた円の軌跡は〈人形劇〉の主催者と観客を大きく
包んでいる。ジルの初演が、一演技者でありながら、「ブレッド・アンド
・パペット・シアター」というストリート・パフォーマンス集団と観客の
両方を包み込んで元の場所に戻る円の軌跡を描いたということの重要性は
計り知れない。
まさにジルはこの経験を通して、主催者と観客を包み込む大いなるテン
トを張る〈サーカス小屋〉の経営者としての俯瞰的眼差しを獲得した。ジ
ルは主催者と観客をテントで包み込む視点、二つを一つに繋ぐ視点を得て、
サーカス集団を組織し運営する根本的な〈何か〉を直感したと言える。
ジルはパフォーマンスで生活していくことができるかどうかを真剣に考
える。ジルの性格特徴の一つは、自分一人で考え、自分一人で決定を下さ
ないことにある。ジルは自分の〈夢〉を強引に実現していくタイプではな
い。
ジルは〈綱渡り〉を危ないから下りろと命令する父親に逆らわず、むし
ろ父親の忠告を聞き入れながら、慎重に自分の〈夢〉を実現していくタイ
プである。ジルは独断的行動はとらない。いつも友人やいろいろな人に相
談し、考えを煮詰めて、結論を出すタイプである。
父親が農業をしていた影響も強かったかもしれない。農業は自分の思い
どおりに計画を進めることはできない。いつも自然の諸条件を考慮しなけ
ればならないし、そうしてでさえ自然の驚異の前には無力である人間の弱
さを謙虚に受け止めなければならない。
ジルはサーカスを初めて観て心奪われ、すぐに〈綱渡り〉の練習をする
ほどの強い影響を受けるが、父親の忠告を無視してまで〈サーカス〉(非
日常)の世界へと飛び込むことはできなかった。ジルの頭は〈夢と冒険〉
の世界へと憧れたが、彼の足はしっかりと大地に根づいていた。
ジルがリンゴの実をとるために〈竹馬〉をしていたことは、彼のその後
のショー・ビジネスマンとしての人生を考える上で一つの大きなキーポイ
ントとなっている。つまり、ジルにとって〈竹馬〉は観客の好奇の眼差し
を向けさせ、拍手喝采をあびるためのパフォーマンスとしてあったのでは
なく、あくまでも生活の糧を得るための〈仕事〉であったということであ
る。
ジルにとって〈竹馬〉は、ショーにおいても生活の糧にならなければな
らなかった。単に〈夢と冒険〉を実現するためだけの〈竹馬〉であっては
ならない。ジルにとって〈竹馬〉は〈夢と冒険〉の世界への一つの入口で
あったが、同時にそれは生活の糧を得るためのものでもあった。
〈竹馬〉は、生活の糧を得るための〈日常〉であり、同時に〈夢と冒
険〉を実現してくれる最初の〈非日常〉でもあった。〈竹馬〉に乗って、
地上の世界を歩行するジルは、〈人間〉であって〈馬〉であり、彼にとっ
て〈竹馬〉は〈日常〉にありながら〈非日常〉を体験できる面白い魔法の
道具であった。

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