「ZED」を観る

「ZED」を観る(連載24) 照明デザイナーの夢

2006_0122_235126-CIMG0020.JPG
カタログより。デーヴィッド・フィン
ここをクリックする  「清水正の本」 「清水正の著作一覧」 
「ZED」を観る(連載24)
(初出「D文学通信」1221号・2009年08月28日)
「Souvenir Program」を読む(その22)  
清水正

「ZED」のライティングの目標は
「ムードと透明さのバランスをとること」


今回は照明デザイナーのデーヴィッド・フィンの言葉を検証してみたい。
シルク・ドゥ・ソレイユの素晴らしいところは、単なるサーカスではな
く、演劇でもある、ということ。これは照明デザイナーの夢です。セット
は美しく、パワフル。アーティストが空中で演技をしている時、私は彼ら
をダンサーであるかのようにライテングをします。目標は、ムードと透明
さのバランスをとること。それだけに、アーティストたちが舞台に立って
いる時が、私にとって魅力的な挑戦なのです。

この短いコメントだけでは、デーヴィッドが〈演劇〉をどのように考え
ているのかはっきりしない。〈単なるサーカス〉という言葉で彼が何を言
おうとしているのかもはっきりしない。はっきりしているのは、従来のサ
ーカスが多くの動物を登場させていること、ライオン、虎、熊などを自在
に操る猛獣使いや、馬をアクロバティックに乗りこなす曲芸師が人気を博
しているのに対し、「ZED」ではあくまでも人間が主役であるというこ
とである。
ショー「ZED」に〈演劇〉と同様のストーリイが存在するのかどうか。
二人のクラウンの発する〈言葉〉は世界のどこにも存在しない言葉である
から、その言葉によって内容を論理的に把握することはできない。にもか
かわらず、観客が二人のやりとりを分かったように感じるのは、彼らの大
げさな身振りやさまざまなニュアンスを持った発声によって、彼らが言わ
んとすることが伝わるからである。パントマイムは完璧に言葉を発せず、
ひたすらその身体運動によって、伝えるべきことを表現する。二人のクラ
ウンの身振り手振りを耳を塞いで見ていても、おそらく彼らのやっている
ことは十分に理解できるはずである。
〈地球儀〉から舞い降りる女神や、空中を一本のロープだけで華麗に舞
う二人の天使たち、まさに彼女たちの演技は立体的な空中舞台を自在に舞
い踊るバレエ・ダンサーのようにも見える。彼女たちの空中舞踊は、そこ
にストーリイが予め設定されていなくても、そのスピード感溢れる美しい
飛翔自体が、観客の魂を妖しく震わせる。
照明の役割とは、文字通り光を当てて明るく照らしだすことである。現
在のように人工的な照明器具が発明されなかった時代にあっては、当然、
太陽がその役割を果たしていた。太陽の光をどのように利用するかは、朝、
昼、夕といった時間帯や、その光を遮り、陰影を与える建物の高さや形に
よっても異なってくる。また、月の光や星の光を〈照明〉として利用した
演劇人や芸人もいたことであろう。ただ、夜間、闇の中での演劇やショー
は〈観劇〉を第一に考えれば不可能である。そこで松明や蝋燭を〈照明〉
として使うことで、闇と光の中にさまざまな芸能活動が行われてきた。
太陽、月、星といった自然の光であれ、松明、蝋燭といった人工的な光
であれ、それが芸能の中に取り入れられれば、当然、演者や演出家がその
光(明かり)を効果的に利用しようとする。さまざまな芸能の歴史的プロ
セスを経て現在の科学を駆使した照明器具が発明され、劇場における演劇、
ショーにおいて欠かすことのできない役割を果たすことになった。
「ZED」においても、何本ものライトポールが闇の空間を交錯しつつ、
アーティストたちの演技を効果的に照らしだしていた。今や、照明なき演
劇やショー自体が考えられない。もし照明器具や装置が故障した場合、シ
ョーがショーとして成立しないということになる。いくら超一流のアーテ
ィストたちが集まっているとはいえ、闇の中で華麗なパフォーマンスを繰
り広げることは不可能であるし、第一、観客の眼に見えないものをショー
と言うわけにはいかない。
もちろん、どんなに精巧な照明器具が発明されても、それを操る照明家
が、ショーのヴィジョンの根幹を理解し、演出家の狙いやアーティストた
ちの演技の性格をよく把握していなければならない。いつ、どこを(誰
を)、どのように照らし出すのか。ポイントが少しでもずれれば、効果は
半減するし、舞台全体を台無しにしてしまう場合もある。
デーヴィッドは、「ZED」のライティングの目標は「ムードと透明さ
のバランスをとること」と語っていた。一見、抽象的にも聞こえるが、こ
の言葉もまた「ZED」のクリエイターたちに共通した、一つの大いなる
インスピレーションに導かれた言葉と言える。確かに「ZED」には一貫
した〈ムード〉がある。それは、とうてい人間わざとは思えない高度なア
クロバットの連続によってもたらされる驚愕と迫力だけにあると言うより
は、そういった衝撃的なアクロバットを貫く、見えざる一本の垂直軸によ
ってもたらされている、神秘的で崇高な、透明感溢れる〈ムード〉である。
「ZED」はアクロバットの凄まじい迫力と、ショー全編を覆っている
神聖な透明感のバランスが見事に実現したショーであり、照明デザイナー
のデーヴィッドはそのことを十分に認識していたということである。改め
て考えるまでもなく、〈照明〉は〈太陽〉の代理機能を果たしている、言
わば〈神的存在〉でもあるから、〈照明〉(太陽)なき〈舞台〉(世界)
は初めから存在しないことになる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です