2009
08.27

「ZED」を観る(連載23) ショーの〈色彩〉と〈呼吸の要素〉

「ZED」を観る

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カタログより。レネ・デュペレ
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「ZED」を観る(連載23)
(初出「D文学通信」1220号・2009年08月27日)
「Souvenir Program」を読む(その21)  
清水正

作曲のレネは
音楽でショーの色彩を表現。
サウンドのフランソワは
〈呼吸の要素〉で効果を狙う。


今回は作曲・編曲のレネ・デュペレとサウンド・デザイナーのフランソ
ワ・ベルジュロンの言葉に耳を傾けてみたい。
まず、レネ・デュペレは次のように語っている。
私の曲作りは、直感的、本能的なアプローチを大切にしています。あと
で考え直したものよりも、ファーストインプレッションの方が正しいとい
うことは、よくあることですが、「ゼッド」の台本を読んだとき、すぐに
インスピレーションを得ました。「ゼッド」の音楽で表現しようとしたの
は、ショーの色彩です。この色彩を音楽でどう表現するかあらゆる種類の
音楽素材にインスピレーションを求め、北米的というよりはヨーロッパ的
なスタイルに仕上がっています。
 
クリエイターの中で「すべてはアクロバットなのです」と言い切るオズ
グッドがいる中で、デュペレは「ZED」は「音楽がすべてなのです」と
は言わない。音楽がなくても、ショー「ZED」は成立するのか。成立す
るだろう。耳に完璧な耳栓をして視覚だけで「ZED」を観ることは可能
だし、「ZED」は音なしでも、観る者に音楽を奏でるであろう。
バトンも、バンジーも、ジャグリングも、ラッソも、ポール&トランポ
リンも、ストラップも、ソロ・ティシューも、バンジーも、バンキンも、
ハイ・ワイヤーも、そしてフライング・トラピスも、その演技自体が観客
の眼差しを釘づけにする迫力を持っている。たとえすべての音楽、音響、
声が消え去っても、オズグッドの言うようにアクロバット自体の持つ観客
を引きつける凄さがある。
そのことを認めた上で、まったく逆のことを言おう。ショー「ZED」
を目を瞑って聴覚だけで味わった場合はどうなるのか。音楽だけによって、
はたして「ZED」の華麗で躍動的なアクロバットの衝撃をきちんと受け
止めることができるのか。わたしは視覚も聴覚も正常に機能しているので、
敢えて聴覚だけで「ZED」を受け止めることはしなかったが、しかし、
音楽だけで「ZED」を表現できていなければ、それは音楽の敗北を意味
する。
わたしはかつて舞踏公演に行って、その大半の時間を目を瞑って観劇し
たことがある。音響が、舞踏手の舞いを超えて〈舞踏〉することがある。
要は、それを観る者、聞く者の想像力の問題でもある。ものに感じる能力
のない者には、どんなすばらしい作品も、それを存分に味わうことはでき
ない。
レネ・デュペレは「ZED」の台本を読んですぐにインスピレーション
を得たと語っている。次いで彼は、音楽で表現しようとしたことは、ショ
ーの〈色彩〉であったと語っている。こんな凄い言葉をさりげなく発して
いるのがデュペレの凄いところである。〈音〉で「ZED」の〈色彩〉を
表現しようとしたデュペレの〈音楽〉を聞けば、観客はその〈音楽〉を耳
にすることで〈色彩〉、すなわち〈アクロバット〉を眼前に観ることが可
能だということである。彼のさりげない言葉に〈音楽〉に対する最大限の
自負がこめられている。彼もオズグッドのように言えば言えたのである
「すべては音楽なのです」と。
サウンド・デザイナーのフランソワ・ベルジュロンは次のように語って
いる。
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カタログより。フランソワ・ベルジュロン
「ゼッド」のサウンド・デザインでもっとも楽しかったのは、ショーの
もつ情緒的な質感に一種の呼吸の要素をサウンド効果として生み出すこと
でした。これはサウンド・デザインのもつサブリミナルな側面ですが、こ
れによって、観客はある場面から別の場所へ、ある雰囲気から別の雰囲気
へと移動していくのです。サウンドだけで、ショーのムードを変え、観客
の体験のフィーリングを変えることができるのです。私の仕事は情緒のD
Jといえるかもしれません。
 
フランソワがサウンドに〈呼吸の要素〉を取り入れたことにより、場所
や雰囲気の移行のみならず、観客の耳にアーティストたちの生々しい〈息
づかい〉(呼吸音)が聞こえるような効果をもたらした。〈呼吸音〉は大
げさな言い方をすれば、宇宙創世の音であり、人間誕生の産声ともなる。
フランソワが作りだした〈呼吸の要素〉には、源初的な人間の雄叫びを感
じるし、男と女、舞台と観客席、アーティストと観客の魂を一つに結びつ
けるエロス的な力を感じる。
〈地球儀〉に代表される、真鍮と銅で造られた複雑で壮大な幾何学的な
舞台装置が迫力をもって迫ってくる大舞台にあって、フランソワの〈呼吸
の要素〉は、ショー「ZED」が確かに血と肉を賦与されたアーティスト
たちによって造られているのだという思いを再認識させる。さらに、〈呼
吸の要素〉(呼吸音)は世界各国から集まった文化、宗教、言語を異にす
るアーティストたちを一つに結びつける効果も発揮している。

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