2009
08.23

「ZED」を観る(連載20)  「ZED」とボスの絵画世界

「ZED」を観る

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ヒエロニムス・ボスの「天上界への上昇」より
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「ZED」を観る(連載20)
(初出「D文学通信」1217号・2009年08月24日)
「Souvenir Program」を読む(その18)  
清水正

ショー 「ゼッド」の世界と
奇怪な幻想画家ボスの世界が
重なり合う


「Souvenir Program」の33頁(ノンブルが打ってないので表紙を1頁
と数える)に「天と地を表す「ゼッド」の衣装」に次のように書かれてい
る。
「ゼッド」の衣装は、タロット、イタリアン・ルネッサンス、レオナル
ド・ダヴィンチの世界、ヒエロニムス・ボスとラフェエロの絵画の世界か
ら影響を受けています。

「ゼッド」では、物語の核となる天と地という二つの世界が衣装や色調
にも大きくかかわっており、地の世界は、イタリアン・ルネッサンスを思
い起こさせる黄土色、赤、鮮やかなターコイズ、ゴールド、ヴェネツィア
ン・ブルーを基調としています。

150 着を超える「ゼッド」の衣装すべてにおいて、そのシルエットは一
貫した世界観と純粋性で統一されています。遊び心溢れる衣装は、見るも
のを遙か遠い時代へと誘ってくれます。メークアップ・デザインもまた登
場人物たちの人間性を強く印象づけているのです。
 
「ZED」は御馳走満載の舞台であり、衣装もその例外ではない。タロ
ットからラファエロの絵画にまで、その影響を受けているというのである
から、聞いているだけで目眩が起きそうである。わたしは特に、ヒエロニ
ムス・ボスの影響に注目したい。わたしは十代の昔からボスやブリューゲ
ルの絵画に何かはっきりとは口に出して言えない不思議な魅力を感じてい
た。
ボスの絵を見ていると、そこに描かれている幻想的で奇怪な世界が、現
実の世界とは全く違ったものであるにも係わらず、現実以上のリアリティ
を持って迫ってくる。じっと見つづけていると、絵の世界に拉致されてし
まいそうな妙な感覚を覚える。崇高なものと卑俗なものとが、同じ絵画時
空に臆面もなく同居している様はグロテスクでもありユーモラスでもある。
そこでは着物を着た者、全裸の者、頭と顔が鳥の者など、また聖者や愚者
など、あらゆる人間が露骨に戯画化されデフォルメされている。奇怪で幻
想的な幾種類もの生物たちも含めて、彼らはおのおのが独自の存在をしっ
かりと主張している。
青い海原のような大空を飛ぶ船や魚がおり、全裸の人間を丸飲みする鳥
顔の者がある。ボスの絵画では、天国も現実も地獄も、来世も今生も前世
も、罪も罰も、崇高なるものも卑猥なるものも、それらすべてが等しい価
値を賦与されて描かれている。天へと召されていく者があり、地獄へと墜
落する者があり、現世での快楽を貪る者がある。救いを求める者があり、
地獄への落下を願う者があり、現世の悦楽に浸る者、絶望する者がある。
もはやボスにあっては、人間の内的諸相を絵画で表現する時に、人間は人
間の姿を保持できないほどにグロテスクな深淵を抱えもってしまっている
とも言えよう。
ボスの絵画世界では海のもの、山のもの、大気のもの、それら異種の生
物たちが奇怪な衣装を身にまとって、人間と同等の存在価値を誇示してい
るかのように見える。ボスは人間中心的な思想に汚染されていない、極め
て自由な観点から世界を凝視、ないしは俯瞰していたのではないだろうか。
彼の自在な精神の世界では、船で大空を航海することも、人間の頭が鳥で
あっても、あるいは鳥のからだが人間であってもいっこうにかまわないし、
世界全体をシンボリックに体現する円球(卵)が破損していてもかまない
のである。
こういった過剰なほどのパロディ精神にとっては、神が悪魔であっても
いいし、悪魔がその仮面をとって神の顔(さらなる仮面)をさらけ出して
もいい。崇高なるものの裏側に卑俗なるものが張りついており、天国への
途は地獄への途でもある。海が空となり、光が闇となる世界では、上は下
となり、右は左となり、天国は一回転して地獄へと落ち、そして再び現世
を通過して天国を目指すのである。ボスの絵で有名な「天上界への上昇」
を執拗に見ていると、あの天空の白い穴が、地獄の穴にも見えてくる。
〈罪〉と〈罰〉さえ極端にパロディ化し、そのグロテスクな時空を遊び
戯れていたのがボスであったのではないか。彼の絵を描く情熱は、言わば
虚無の情熱と言ってもいい。天と地を結ぶ、神と人間を結ぶ垂直軸を一義
的絶対性として信じられない者は、円還的時空で遊び戯れるほかはない。
わたしのうちでは、ゼッドがそういった存在として把握されている。ゼッ
ドはボスの絵画世界に自在に入り込み、その中で人間やさまざまな奇怪な
生物たちと関わり、戯れ、そしてまたどこかへとその姿を消してしまう
〈風〉のような存在なのである。
ボスの描く幻想的な絵画世界はそこに奇怪でグロテスクな、現実の世界
のどこにも存在しないような生物や物が描かれていても、その世界は人類
が続く限り生きつづける永遠の命を獲得している。このさまざまな人間や
奇怪な生物や自然の諸相を描いている者の眼差しはいったいどこにあるの
だろうか。
ボスの描く人物や生物やもの、それらのどれにスポットライトを当てて
見ても、彼らは十分に〈主役〉をはれる存在として描かれている。世界を
創造したのは神であり、その世界を謙虚に描けば、キャンバス上の世界は
〈神の世界〉と重なることになる。遠近法で遠くに小さく描かれた人物や
自然も、そこに焦点を合わせさえすれば、近くの人物や自然と同等の価値
をもって存在していることが分かる。大胆な言い方をすれば、ボスは神の
眼差しと同様の偏在する視点を持って、世界を解体し再構築した画家だっ
たのではなかろうか。
ここでショー「ZED」がボスの絵画世界と重なった。演出家ジラール
のインスピレーションを共有する衣装デザイナー、ルネ・アプリルのキャ
スティングによって、ボスの絵画世界から「ZED」の舞台へと新たな衣
装に身を包んで舞い降りたキャラクターは二三にとどまらない。彼らは時
空を超えて、自らに相応しい舞台に現出し、彼らを見、観察し、魂の躍動
を覚える者すべてを幻想的な〈夢と冒険〉の旅に誘いながら、改めて人間
の本質に迫ることを促すのである。

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