「ZED」を観る ドストエフスキー関係

「ZED」を観る(連載⑪)

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「ZED」のガイドブックより。ギー・ラリベルテ
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「ZED」を観る(連載⑪)
(初出「D文学通信」1208号・2009年08月15日)
「Souvenir Program」を読む(その⑨)
清水正
 
ガイド&ファウンダーのギー・ラリベルテの言葉に迫る。


ギー・ラリベルテは語る。
 目の前には、天と地、叡智と狂気、
現実と詩の合間の世界が見えています。
魅惑と旅の前ぶれが、ゆっくりと近づいているのです。
その道程で探し求めるのは、世界の均衡に欠かせない調和、
ハーモニーです。シルク・ドゥ・ソレイユのアーティスト、
クリエイター、アルティザン(職人)たちは、
人間の生の本質に迫るこの素晴らしい旅に
皆さまをご案内できることを心から光栄に思います。

〈現実と詩の合間の世界〉とギーは語る。つまり〈現実〉でもなく、
〈詩〉でもなく、その〈合間の世界〉こそが強調されている。わたしはこ
の〈合間の世界〉に魅力を感じる。〈現実〉は退屈の連続であり、そこで
起きる様々な事件も紛争も戦争も、もはや本当にはひとの興味をそそるこ
とはない。無数の人間の誕生と死、その間に無数の人間の無数のドラマが
展開された。しかし、誰一人として、誕生と死の秘密に肉薄した者はいな
い。宗教上の教えでさえ、何か人間に都合のいいおとぎ話のように聞こえ
る。
ドストエフスキーは神の存在をめぐって終生苦しみ抜いた小説家だが、
チェーホフは神のあるなしに関してさえ、小さな声で「どうでもいいさ」
(フショー ラヴノー)と呟くだろう。中世のペルシアの詩人オマル・ハ
イヤームは「いつまで一生をうぬぼれておれよう。有る無しの論議になど
ふけっておれよう。酒を飲め、こう悲しみの多い人生は、眠るか酔うかし
て過ごしたがよかろう」と歌う。
現実を忘れて〈詩〉(幻想)の世界に逃避しきることはできない。狂気
に墜ちる覚悟の〈詩〉世界への飛翔すら、何ら救いにはならない。ギーは
〈現実と詩の合間の世界〉の旅立ちを呼びかけている。おそらくこの〈
旅〉は、現実への帰還を前提にしている。一観客であったわたしは、確か
に現実へと戻ってきた。
相も変わらぬ退屈な日常の世界では、未だに、現実を変革することが自
由と幸福を約束するといった安っぽい政治的宣伝文句が飛び交っている。
テレビも新聞も、何か人間の本質的な次元での言葉を失って厚顔無恥な相
貌を晒し続けている。〈詩〉はその本来的な魂の叫びを喪失してはてしな
くデザイン化してしまった。
現実を熱く狂おしく蹴って〈詩〉の世界へと参入することもできず、現
実の世界に希望を託すこともできずに、日々のちっぽけな快楽に酔いしれ、
頽落して生きる現代人に、ギーは誘惑的な言葉を投げかけてくる。天と地
の〈狭間〉、叡智と狂気の〈狭間〉、現実と詩の〈合間〉の世界、その魅
惑的な世界へと旅立ってはみませんか、と。
わたしはこのギーの言葉に、〈ショー〉マンの真骨頂を見る。〈好奇
心〉と〈冒険心〉を、或る一定の限定された〈席〉に観客を据え置いたま
ま、存分に満足させるショー・マンとしてのヴィジョンと技をこの言葉に
感じる。現実と詩の〈狭間〉の、すばらしい新たな世界へと誘った者は、
再びその〈狭間〉から現実の世界へと送り出してやらなければならない。
ギーは二十一世紀における〈死と再生〉の司祭者の如き存在として、ショ
ー「ZED」のガイド&ファウンダーを務めたようにさえ見える。
ギーの「人間の生の本質に迫るこの素晴らしい旅」という言葉には、彼
の人間を信ずる力が漲っている。シルク・ドゥ・ソレイユのアーティスト、
クリエイター、アルティザン(職人)たちが信じている〈人間の生の本
質〉には、人間の夢見る力、想像する力ばかりではなく、その肉体を通し
た創造力が含まれている。
ギーの言葉に重ねて言えば、想像と創造のバランス、精神と肉体の均衡
があって、はじめて人間は生の本質に迫ることができるということである。
観念肥大も、肉体重視も、決して生の本質に迫ることができない。高度な
技術、演技力を駆使して観客を魅了するアーティストたちが、ギーの言う
ハーモニーを理解しているからこその、魅惑的で華麗な舞台が構築された
のであろう。
ショー「ZED」は、深刻、深遠な現実の諸問題を忘れさせるための一
過性の娯楽ではない。現実と詩の合間の世界から帰ってきた者は、現実を
新たな気持ちで生きなおす力を与えられると言っても過言ではない。「Z
ED」に何度も足を運ぶ観客は、現実と詩の狭間に展開される〈新たな世
界〉を眼前に見て、忘れかけていた〈生の本質〉に対面するのかもしれな
い。魂が躍動し、生きている感覚をまざまざと味わうことのできる時空、
それが「ZED」なのである。

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