2009
08.03

「ZED」を観る(連載①)

「ZED」を観る, ニュース

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「ZED」を観る(連載①)
(初出「D文学通信」1198号・2009年08月03日)
清水正
2009年08月03日(金曜)の二時、舞浜駅改札出口に共同研究のメンバ
ーの内六人が集まった。「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」で「Z
ED」を観るためである。

 今回の研究のテーマは「総合芸術としての舞台表現の可能性」で、
研究代表者は演劇学科の戸田宗宏教授である。
 二時半に劇場に入り指定の席につく。大きな劇場で観客は二千人を収容
できる。中央前面に円形の舞台があり、その天井には巨大な半円球の
〈地球儀〉が吊るされている。白い大きなテントがその〈地球儀〉の背景に
波をつくって吊るされている。まさに、サーカスのテント小屋の内部を彷彿
とさせる。この劇場が、サーカスのテント小屋から発想されていることは、
すぐに分かる。


サーカス小屋は日常の地平に突如現れる巨大な見世物小屋であり、異空間
である。ここでは日常の世界を構成している秩序とは異なった時空が現出す
る。もちろん異空間とは言っても、日常を構成し秩序だてているすべてを解
放しているわけではない。そこではいっさいの犯罪は認められていない。こ
の異空間では、この時空へと参入してきた人々が、日常の生活においては味
わうことのできない魂の躍動を共有させてくれる。
 舞台と観客席を自在に動
き回ることを許された者は二人の道化で、彼らは観客に言葉を投げかけたり、
その身体に触れたりしながら、笑いや軽い衝撃を与えつつ、徐々に観客全体
を、中心部の舞台へと誘っていく。彼らの発する言葉が何語であるかは問題
ではない。彼らの滑稽な動きや軽い挑発的な仕種が、世界共通語としての伝
達力を存分に発揮している。道化の仕種にすぐに反応するのは子供や若い女
性たちである。彼らの笑い声は、観客の緊張を解き、劇場全体を和やかな親
和的なものに変えていく。
  この劇場で最も注目すべきは天井から吊り下げられた巨大な〈地球儀〉で
あろう。わたしは今、ここで〈地球儀〉という言葉を使っているが、それは
観劇した後で購入したガイドブックにそう書かれていたからであって、この
劇場に入ったばかりの頃から、わたしはこの巨大な半円球の物体を様々な象
徴的な意味を担ったものとして見ていた。わたしは今回、何の下準備もなく、
いきなりこの「ZED」を観た。従って、このショーに対する先入観は何も
ない。観終わって、この「ZED」に関する批評衝動に襲われたので、今こ
うして書きすすめている。
  サーカスにおいては地上の円形舞台に様々な動物たちが登場する。犬や猫
など日常の世界においても親しい小動物から、熊、ライオン、象など、動物
園にでも出掛けなければめったにお目に掛かることのできない、巨大で危険
な動物たちが舞台狭しと動きまわる。動物と人間が一体となり、限られた円
形舞台上で観客をハッとさせるような芸を展開する。ここには動物と人間の
共存という、まさに現実ではかなわない、一種のユートピア空間が現出する。
 しかし、ユートピアが現実には存在しないという意味であるように、サーカ
ス小屋での〈ユートピア〉もまた、それは動物を管理し、支配する人間の優
越意識が前提となった虚構の幻想舞台でしかない。「シルク・ドゥ・ソレイ
ユ」は舞台に動物を登場させることはしていない。そこに登場するのは、一
芸に秀でたアスリートたちである。地上の舞台では、綱や棒やトランポリン
を駆使してアスリートたちが身体運動の限りをつくして飛び、跳ね、旋回し
ながら各種、得意な芸を演じてみせる。各種の曲芸やスポーツを芸術的な
〈見世物〉に昇華したと言えばいいのだろうか。
   「ZED」において突出しているのは、それが〈地球儀〉と〈地上の舞
台〉の中間、すなわち空中を中心舞台に据えていることであろう。サーカス
における最大の出し物は空中ブランコである。飛び手が空中高く舞い飛ぶ、
次の瞬間、受け手が絶妙なタイミングで飛び手を両腕に受け止める。この空
中ブランコを下から見上げるように観ていたかつての観客にとっては、いつ
落下するかも知れないその危険度に極度の緊張を強いられたことであろう。
今は演技者のすべてが安全綱を身につけているようであるから、そういった
緊張を感じることはないが、しかしその分、かなり高度な演技力を要求され
ることにもなっている。観客の刺激を求める欲求は限りなく、その欲求に主
催者側がどこまで応えるかということも新たな問題となってこよう。
 
  「ZE
D」においても空中ブランコは独立した演目の一つで、観客の目を釘付けに
していた。ところで「ZED」の特徴は、空中ショーの最大演目というべき
空中ブランコのみを重要視していないことである。舞台開始からまもなくし
て、とつぜん〈地球儀〉の中心部から青いドレスに身を包んだ女性が落下す
るように舞い降りて来たシーンは圧巻であった。
 この劇場において観客の目
にさらされているのは、〈地球儀〉と〈地上の舞台〉、さらに両者の中間地
帯に存在する〈空中〉の舞台であるが、実は〈地上の舞台〉の底には見えざ
る奈落の舞台があり、〈地球儀〉の内部時空(天空)とが存在している。二
人の道化が、大きな書物の中にもぐり込んで姿を消した時、彼らは奈落と天
空の両世界を交通する存在と化し、われわれ観客を一瞬のうちにファンタジ
ーの世界へと誘ったのである。劇場の入口でチケットの半券を受け取り、劇
場内部に入り込んでいた観客は、ここで日常世界を繋ぐ扉を完全に閉じられ、
〈地球儀〉の天空から舞い降りた女神と衝撃的に出会うことになる。
  女神は空中にとどまり、ほとんど動かないままにその存在感をアピールし
ている。次に青と赤の衣装に身を包んだ二人の天使が天界から舞い降りて、
空中でスピード感あふれる美しい舞いを舞いつづける。世界は地上の世界の
みにあらず、両目を見開き、目に見えない美しいものを感じようとする魂に
は、とつぜん天界の窓が開き、女神が舞い降り、天使が美しい舞いを踊って
そのすばらしい世界を見せるのだ。日常の論理が支配する、劇場の外の世界
においては誰一人、この美しい女神の現出に立ち会うことはできず、天使の
舞いを目にすることもできない。
 
 わたしは半巻を握りしめたまま、意識の片
隅に劇場の外の世界をおいたまま、眼前の女神の美しさに心奪われる。批評
家の眼差しとは因果なもので、女神が舞い降りて来たすばらしい光景を目に
しつつ、あの巨大な、鉄の塊のような、見ようによっては限りなく怪しいオ
ーラを発している〈地球儀〉の方が気になって仕方がない。この〈地球儀〉
こそが、「ZED」の中心人物、否、中心存在のような感じで迫ってくる。
 わたしの感覚のなかでは、〈地上の舞台〉の底にある奈落に落ちた者はやが
て、否、瞬時に〈地球儀〉の内部世界、すなわち天界へと参入できる。奈落
と天界は、観客の目に見えないところで繋がっている。しかし、これは仏教
の輪廻転生、ニーチェの永遠回帰の時間論に親しんできたわたしにしみつい
た世界解釈であって、この「ZED」を構成演出したひとは〈奈落〉は奈落、
〈天界〉は天界というあくまでも垂直軸的な考え方を持っているのかもしれ
ない。

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