2008年夏 ロシアへの旅
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小林秀雄の三角関係(連載⑫)
(初出「D文学通信」1197号・2009年07月05日)
清水正
大岡昇平は中也の「我が生活」を引用した後で次のように書いている。
中原はこゝに十二分に自分を表現してゐる。我々がこゝに見るのは、そ
の短い生涯を通じて変ることがなかつた中原の姿である。しかし「口惜しき
人」だけは、この断片が書かれた昭和三年には、既に消滅してゐたと私は思
ふ。書き継がれなかつたのは、実際それがなかつたからである。昭和十二年
の日記に、事件がまた顔を出してゐるが、これは中原が神経衰弱で強迫的に
過去を想起してゐたからである。小林と中原の文通は大正十五年十一月に再
開される。恐らく富永太郎の一周忌が機縁であつたらう。そして中原の手紙
には、まるで昨日別れた人に対するやうな、親愛の情が見られるのである。
中原が小林に「朝の歌」を見せるのは、この年のうちである。
表現出来なかつたのは小林の側である。やがて中原が小林と泰子の住む
家へ来るやうになるのは、中原の憎みきれない性質のためには違ひないが、
事態をこんがらさずにはおかない。小林はそれを断ることが出来ない。
「私が何故あいつが嫌ひになつたかといふと、あいつは私に何一つしなか
つたのに、私があいつに汚い厚かましい事をしたからだ」といふフィョード
ル・カラマーゾフの言葉を小林はノートしてゐる。穴は殊によると小林の側
にだけ残つたかもしれない。(116 ~117 )
大岡昇平がここで「小林の側にだけ残つたかもしれない」という〈穴〉は、
言うまでもなく、余りにも深くて暗いので、告白も思い出の創作もできない
と小林が明記した〈悔恨の穴〉のことである。自分の愛人を友人の小林に奪
われて、以来〈口惜しき人〉となった中也の穴が小林と同質の〈穴〉であっ
たわけはない。小林は悔恨の穴を深く掘っただろうが、中也が掘った穴は口
惜しさの穴である。中也は泰子とも小林とも針金を切断するように別れるこ
とができないから、彼らにしつこく付きまとった。小林が言うように、ひと
は憎しみによっても協力しあうのである。が、小林の中也に対する憎悪と、
中也の小林に対する憎悪の質もまた異なる。
小林に中也を裏切った疾しさはあるが、中也に疾しさの感情は微塵もない。
中也にあるのは〈絶対者〉としてのプライドを傷つけられた口惜しさであっ
て、この口惜しさは小林には微塵もない。小林は、中也の愛人は奪えたが、
中也の命を断ち切ることはできなかった。口惜しさいっぱいで生き延びる中
也は、小林にしつこくまとわりつくことで復讐しつづける。未練たっぷり、
口惜しさいっぱいでつきまとうこと自体が復讐なのである。
中也の復讐の仕方は、決闘で決着をつける者から見れば、卑怯そのもので
あるが、中也はそういったかたちでしか〈関係〉を結べなかった哀れな男だ
ったのである。中也の執拗なまとわりつきがなければ、小林の〈悔恨の穴〉
もまたそれほど深く掘られることはなかったであろう。この穴は小林にとっ
て追っ手からどこまでも逃げるための穴でもあったのだから。
当時の中原は芸術家について理想を持ち、自分がその条件に合致してゐ
ると思つてゐた。或ひは自分の身丈に合はせて理想を裁つた。理想は中原の
詩と生活の原動力だつたので、彼が万事それに基いて、大義親を滅す流の批
判を下すのを咎めることは出来ない。
かうして小林秀雄は中原自身が額で考へるのに対し、眼の下の辺で考へ、
センチメンタルで馬鹿正直な男であつた。十一月十二日富永は臨終の床に中
原を呼ばせることなく死に、十一月下旬泰子は小林の許へ去つた。(127 ~
128 )
額で考える中原とか、眼の下の辺りで考える小林とか、ピンとこない言い
方である。頭で考える小林とか、魂で考える中也なら、分からないこともな
いが。小林がセンチメンタルで馬鹿正直な男と言われてもこれまたピンとこ
ない。もしそうなら、センチメンタルで馬鹿正直な男が、友人の愛人を奪っ
て、その友人を悲嘆の地獄へと突き落としたということになろう。
中也が富永の臨終の床に呼ばれなかったというのは、彼がずいぶんと親し
くしていた富永に深く嫌悪されていたことを意味している。大岡昇平の中也
伝を読んでいると、中也という存在は魅力はあるが、厄介な存在でもあった
ようだ。もっとも、詩や小説を書いているもので厄介なものでない者などど
こにもいない。みんな自分を天才だと思い、自分を絶対化してゆずらず、そ
のうえ嫉妬深くて、自分以外の者が誉められたりすると、もうそれだけで機
嫌が悪く、ねちねちと悪口陰口を叩いたりする。
大岡昇平は「河上徹太郎は全集だけを読んで、好きなだけ中原を愛せる人
が羨しいといつた」と書いている。大岡はまた中也の「小林秀雄小論」を引
用して「こゝには人間味がないばかりか、真実も一つもないのである。部分
的に当つてゐるところもあるかも知れない。しかし全体の組立が間違つてゐ
るから、部分も歪んで来る。嫉妬と羨望があるだけなのである。/孤独の裡
ではあれほど美しい魂を開く人間が、他人に向ふと忽ち意地悪と変る、文学
者の心の在り方の例の一つが示されてゐるわけである」と書いている。
かなり手きびしい書き方だが、ここには大岡昇平の中也に対するアンビヴ
ァレントな感情ものぞき見える。河上の言うように、中原中也をその書かれ
た作品で接することのできる者は幸いである。なぜなら、詩人にとっては詩
作品が、小説家にとっては小説がそのすべてであると言っても過言ではない
からである。が、運命のめぐり合わせで我の人一倍強い連中が集って同人誌
などを編集発行すれば、そこには必ず深い確執も生まれたりする。大岡昇平
の中也に対する関係も複雑である。
唯一の詩友であった富永太郎が死に、続いて泰子が小林に奪われる。中也
はまさに一人ぼっちになってしまった。中也は泰子が去った四ヵ月後に受験
を控えていたが、毎日街中をほっつき歩いていた。中也の親が期待していた
のは、一高入学であたが、中也は受験すらしなかった。大岡昇平は「いくら
早熟の詩人でも、十八歳の少年が東京の真中で一人にされたのは痛ましいこ
とである」と書いているが、まさにその通りである。
中也は富永太郎が死んでから一年ばかりして、絶交状態にあった小林と文
通を再開する。「先達は失敬。直哉論取りかゝつたかい。好いものにし給へ。
君はよく分つてる。僕はそれを喜んでゐる」中也の手紙は大岡昇平も言うよ
うに「五年も先輩に対するそれではない」こんな調子で手紙を書いてくるよ
うな者とは関わりたくないと思うのが普通の感覚であるが、大岡は「これは
中原を交へた交友につきものの、年齢を越えた民主的な雰囲気であつた。自
分から女を奪つた男に取りすがる引き目をまぎらはすために、殊更高飛車に
出たと見られないこともない」と書いている。大岡の中也に対する思いは屈
折しており、客観に徹しなければならない伝記作家の公平な立場を保持しき
れていないが、まさにその点にこの大岡本の魅力もある。
特に、小林が泰子を捨てて姿をくらました時、たまたまタクシーに乗って
いた中也を目撃した時のスケッチ「中原の浮き浮きした様子は小林の行方と
泰子の将来を心配してゐる人間のそれではなかつた。もめごとで走り廻るの
を喜んでゐるおたんこなすの顔であつた」は抜群に面白い。屈辱恥辱を味わ
って口惜しき人となった〈寝とられ亭主〉中也が、小林の失踪事件によって
優越と勝利感に陶酔した瞬間の顔を的確に捕らえている。大岡は「私は中原
中也の伝記を書いてゐるので、こんな悪口を書くはずでなかつたのだが、筆
がかう滑つて来るのも、中原の不徳の致すところと勘弁して貰ふ」とも書い
ているが、同時代を生々しく関わりあった者にしか書けない文章である。大
岡はタクシーの中の〈おたんこなすの顔〉を見て「うつかり出来ないぞ」と
思う。中也に対して大岡はそれまで素朴に信ずるところがあったのだろうが、
中原の「今考へても胸が悪くなるやうな」はしゃぎ方を見て、文学上の友に
対する見方を一変させる。大岡は「しかし中原の身になつて見れば、敵は遂
に敗退し、三年の「口惜しき人」から解放されたのである。いひ分は中原の
側にあり、小林の友達を脅かして歩くのが、いゝ気持だつたのだらう」と、
精一杯の理解も寄せる。
泰子の精神的な病気に関して大岡昇平は次のように書いている。
中原によると、病気は小林が泰子に「理智的」に惚れて、甘やかしたた
めに出て来たもので、自業自得だといつてゐた。
昭和三年の一月中野の長谷戸へ越した後、病気は悪化する。今日なら無
論ノイローゼと呼ばれ、原因は小林の「理智的恋愛」ではなく、遠く彼女の
家庭と幼年時代に遡らなければ、読者を納得させることは出来まいが、戸籍
調べは私の能ではない。彼女が若く美しく、震災前から広島県の複雑な家を
出てゐたことを知つてゐれば十分である。
「保証」が彼女の一番ほしいもので、半ば狂つた頭は不貞を犯しても棄て
ない保証まで、小林に求めるやうになる。しかも小林がそこにゐるといふこ
とが、彼女の憎悪をそそるらしく、走つて来る自動車の前へ、不意に突き飛
ばされるに到つて、同棲は傷害事件の危険をはらんで来る。(185 )
小林にだけ発揮される狂気をどのように理解すればいいのか。依然として
謎は多い。大岡の指摘するように、泰子の病気を十全に理解しようとすれば、
彼女の家族関係や幼少年時代の伝記的考察も必要となるだろう。しかし、こ
と小林と中也の三角関係の中でのみ考えれば、友人中也を裏切って彼女を奪
った小林に対する不潔感と不信が根底に潜んでいたと考えられる。泰子は小
林の誘惑の言葉に乗って、同棲相手の中也を裏切った張本人であり、彼女が
小林の所へ行ったことに何のやましさもないと明言しても、そのことでその
裏切りの罪が帳消しされるわけではない。小林は泰子を奪っても中也に対し
て謝罪しないし、自らもまた反省しなかった。だからこそ小林の悔恨の穴は
深く暗くなっていった。泰子は泰子で、自分の裏切り行為を的確に分析しな
いし、小林と同じく反省しない。そのことで、裏切り者の共犯者二人はそれ
ぞれの病を深刻化していく。
何度も言うようだが、小林と泰子の見せかけの一体化の樹木の幹に、中也
は鋭い〈ワレ物〉を撃ちこんでいた。中也の復讐劇は凄まじさの限りをつく
している。口惜しき人となって毎日毎日、街をほっつき歩いていた中也の口
からどのような恐ろしい呪咀の言葉が吐かれていたかを思ってみたらいい。
中也はおそらくその呪ソの言葉をよく詩に表出することはできなかったであ
ろう。この種の呪咀は、たとえばドストエフスキーのような作家が作り出す
人物の口にのせなければうまく表現できないのである。小林が、悔恨の穴が
あんまり深くて暗いので告白という才能も思い出という創作も信じられない
と書いたのは、おそらくドストエフスキーのような巨大な作家の告白的な小
説を熟読していたからである。
大岡昇平は昭和二年八月十五日の中也の日記を引用している。「叛いたも
のにでも尚愛を以て迎へるなどといふことは、これは卑屈以外ではない。と
ころが叛いたものとでも、その人と話することが面白いので、なほ交際つて
ゐるといふことが、だから卑屈だとは強ち言へない。これを解れよ。」中也
のこの日記はまだまだ自分の闇の領域へと降りきっていない。卑屈の実態を
描き尽くしてみなければ、反逆し裏切った者に対しての愛による迎えもまた
曖昧なままに終わる。果てしない憎悪と殺意のコップの底に淀んだ泥を、繰
り返し繰り返しかき回す、執拗な力のない者には、卑屈の地獄を詳細に描く
ことはできない。「憎しみから協力して作つた三角関係」などと、小林はき
れいにまとめているが、もちろんこういった批評的な言葉によってはその実
態は浮き彫りにされない。尤も、小林は浮き彫りにされることを深く拒んで
いるからこそ、こういった批評的な言葉で括ったと言えよう。
小林に取られるまで、中原は泰子のことを「男に何の夢想もさせないた
ちの女」と呼び、女なんてそもそも「芸術家の首にぶらさがつた沢庵石のや
うなもの」といつてゐたのである。京都時代のダダイスムの詩は「恋の世界
では人間はみんな無縁の衆生になる」といつた風なシニックなものばかりで
ある。その間にも初めて女を得た少年の喜びは十分に窺はれるのだが、とに
かく中原はさういふ態度で泰子に臨み、人にもさういつてゐた。その隙を小
林の「理智的」な誘惑に覘はれたと中原は考へてゐるのである。
小林が神経衰弱の泰子から逃げ出したことで、小林の恋愛に根拠がなか
つたことは証明されたやうなものである! 結局泰子は自分のところに止る
べきだつたのだ! 二人の魂ほど愛し愛されるやうに出来てゐるものはなか
つたのだ!(199 )
中也は自分を棄てた女を必要とした。三年もの間、小林と生活をともにし
て、相手に逃げられた女、しかも依然としてその女は小林に思いを寄せてい
るのだ。そんな女を、中也は執拗に追い求めている。
女よ、美しいものよ、私の許にやつておいでよ。
笑ひでもせよ、嘆きでも、愛らしいものよ。
妙に大人ぶるかと思ふと、すぐまた子供になつてしまふ。
女よそのくだらない可愛いゝ夢のままに、
私の許にやつておいで。嘆きでも、笑ひでもせよ。
どんなに私がおまへを(好きか)
それはおまへにはわかりはしない。けれどもだ、
さあやつておいでよ、綺麗な無知よ。
おまへにはわからない私の(悲嘆)は、
おまへを愛すに、かへつてすばらしいこまやかさとはなるのです。
引用は中也の「女よ」からである。〈女〉が長谷川泰子であることは言う
をまたない。詩人の首にぶらさがった、〈男に何の夢想もさせないたちの
女〉であった沢庵石が、いざ友人に奪われてしまうと、たちまちのうちに詩
想を豊かに発揮させる物狂わしい存在となって中也をせつなく苦しめる。
が、小林のところへわざわざ送り届けた〈ワレ物〉は、遂に中也の元へと
帰ることはない。中也は、自分がどれほど泰子を愛しているか、必要として
いるか、そのことが泰子には分からないということを知っている。知ってい
ながら「私の許にやつておいでよ」と歌う衝動を抑えることはできない。恋
した者なら、だれでも一度や二度は経験する狂おしい感情の渦におぼれなが
ら、中也はそれを詩に昇華することでかろうじて狂いを免れる。泰子は中也
を棄て、小林のところへ走ったことで、芸術家の首にぶらさがっているだけ
の沢庵石から、いわば詩神の真珠へと変身した。が、この狂気の真珠を小林
は必死になって自分の首からはずして放り投げた。打ち捨てられたこの真珠
を、〈口惜しき人〉と化した中也は、その無垢な手で拾おうとする。が、こ
の真珠が求めていた手は中也のそれではなかった。泰子は本能的に、中也に
拾われた真珠が再び沢庵石に戻ることを知っている。
泰子の夢は、中也の〈沢庵石〉になることではもちろんないが、同時に真
珠になることでもない。泰子は女優となる夢を持って広島の実家から家出し
てきた女である。泰子には泰子の夢があり、中也の付属品のような生活を望
んでいたわけではない。それに、そもそも中也には何の生活力もない。中也
は親がかりで浪人中の身であり、現実的な次元で考えたら、詩作などに耽っ
ている文学青年に経済的な保証を求めることはできない。
大岡昇平は、泰子が一番ほしかったのは〈保証〉だったと書いていたが、
中也より三歳上の泰子が、中也よりも東大仏文科の学生であった小林に、い
ろいろな意味での保証を求めていたことは否定しがたい。小林の口説きの中
に、彼が中也にないものをぶらさげたことは確かだろう。極端なことを言え
ば、中也にあるのは経済的保証のない詩才ばかりで、自力による未来の確固
たる経済的保証はまったくない。当時の小林も経済的には貧乏学生の一人に
過ぎないが、しかし彼は中也よりははるかに現実を泳ぎきる才覚が備わって
いたし、現に職業的な文芸評論家として名を馳せていた。
中也にとって首にぶらさげた沢庵石は、実はその根を中也の動脈にまで伸
ばしていた。小林は〈沢庵石〉に向かって、かける首を変えればそれがたち
まち〈真珠〉に化けるという誘惑の言葉を囁いて略奪した。魔法にかけられ
た者はとうぜんその結果を示せと要求する。要求が常軌を逸して烈しくなる
のは、当初の魔法がきかなくなった証である。〈保証〉を約束した者が、そ
の約束を反故にすれば、相手に反逆を受けるのもまた当然である。