2008年夏 ロシアへの旅
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小林秀雄の三角関係(連載⑪)
(初出「D文学通信」1196号・2009年06月30日)
清水正
大岡昇平が見た〈三角関係〉
大岡昇平は中原中也伝『朝の歌』(昭和三十三年十二月初版 角川書店)
で、泰子に会うことができず、単身大島へと旅立った小林の書き残したもの
を引用している。
私は泣いた。苦り切って又泣いた。俺の生活に常々嫌悪がついて廻るもの
なら、甘くなつたつて同じ事だと思つた。
翌日は雨だつた。三原山は雨雲に首を突込んで、すそだけ見えた。 俺
は如何なるか。如何にもならないことは確かだ。自殺、自殺といふことは事
実私は思つても見ないことであつたが…… (110 )
この引用の後、大岡昇平は次のように書いている。
これらの手記で小林はまつたく健全である。だから事件は当然こゝで終
らなければならなかつたのだ。それが結局二ヶ月後に泰子が小林に移ること
になつたのは、中原によれば、小林が旅行から帰つてすぐ、病気になつたか
らである。盲腸炎は京橋の泉橋病院で切開された。この間、富永太郎が死ん
でゐる。十一月十四日、その報せを持つて、小林を見舞つた正岡氏は病室に
泰子の姿を見出してゐる。
病気といふシチュエーションが、二人を再び結んだと中原はいつてゐた
が、通俗小説を空想するのは、中原の中の「口惜しき人」のさせる業である。
こゝにあるのは、単に泰子が遂に男を替へたといふ事実だけである。
泰子は私にとつても友人であるし、メロドラマの「悪魔のやうな女」だ
なんて、夢考へてはゐない。何なら中原に従つて「非常に根は虔やかである
くせに、ヒヨツトした場合に突発的にイタヅラの出来る女」と思つてもよい。
しかし一体女が男を替へる理由が判然としてゐることがあるだらうか。
今日の泰子は京都時代の十七歳の中原は優しい叔父さんみたいなもので、全
然恋愛ぢやなかつたといつてゐるし、小林の場合にも恋愛はなかつたと明言
してゐる。
二人の男が一人の女を争ふ場合、いづれ大差はないのだから、女はどつ
ちかへつく。小林が盲腸炎にならなくても、泰子が小林と結びつくことは、
それが実際にさうなつた以上、必然であつたのだ。それが事件といふものな
ので、深淵はそのまはりにいくらでも好きなだけ拡がるのである。
かうして中原は「口惜しき人」になり、小林は既にわかつていた恋愛の
結果を、口一杯頬ばらされる。以来彼は小説を書きもしないし、他人の小説
も信じない。彼は批評家になる。 (111 ~112 )
約束した品川駅の一時に泰子は来なかった。今のように携帯電話ですぐに
連絡がつく時代ではない。小林にしてみれば、約束した泰子が来なかったと
いうことは、泰子が小林ではなく中也を選んだということを意味していた。
中也には一切知られず、内密に泰子との関係を築いていたはずが、もしかし
たら二人の関係は泰子の口を通して実は中也にすべて筒抜けであったかも知
れない。振られた小林の胸中にはさまざまな猜疑や嫉妬の感情が渦巻いてい
たであろう。二人で行くはずの大島旅行が、急遽、絶望の旅へと変わってし
まった。小林は手記に「彼女は来なかつた。私は、もう自分の為てゐる事が
正しいのだか、悪いのだか解らなかつた。要するに自分の頭を客観化する能
力がなくなつてしまつた」と書いた。善、悪の基準で判断すれば、友人の愛
人と、友人に内緒で旅行に出かけることは悪に決まっている。小林は自分の
行為を弁解しない強気なところがあるが、中也に対して面と向かって自分の
行為を正当化することはできないだろう。
いずれにせよ、一人で大島へと向かわざるを得なかった、その時点での小
林は惨めきわまりない〈振られた男〉であった。この振られた男は、一瞬自
殺を考えたかは知れないが、死から遠い地点にあったことは確かであろう。
大岡昇平が指摘するように、このような手記を書いている小林は〈まつたく
健全〉なのである。男と女の間で、たった一回の約束が守られなかったとい
うだけで自殺に走るやつはごく稀であろう。もし、旅行後の小林が盲腸炎に
ならなければ、確かに泰子との関係は終わっていたかも知れない。否、たと
え小林が入院しても、泰子が見舞いに行かなければ二人の関係は成立しよう
がない。否、泰子が小林を見舞っても、二人の間に男と女の感情がなければ、
一緒になれるはずもない。もし、中也が泰子と小林の関係を知って、死に物
狂いで阻止すれば、泰子は小林の誘惑に落ちなかったかも知れない。はっき
りしているのは、泰子が小林の言葉を受け入れて、中也を棄てたということ
である。
泰子の回想を読む限り、彼女が二人の男の狭間で苦しんだという形跡はな
い。小林の言葉をそのまま認めれば、泰子は心情に欠除した女ということに
なり、ひとの痛みを痛みとして感じられない女であったということになる。
しかし、そういう小林もまた、中也の愛人を奪った男であるから、中也の苦
しみ、悲しみよりは、自分自身の泰子に対する愛情・痴情を優先させた冷酷
な男(少なくとも中也に対しては)だったということになろう。小林の泰子
に向けられた〈心情の欠除〉という言葉は、そのまま彼自身に帰ってくる諸
刃の剣でもあったと言えよう。
大岡昇平は「しかし一体女が男を替へる理由が判然としてゐることがある
だらうか」と書いている。泰子は中也を棄てて小林に走った。が、中也を棄
てきれなかった。小林は中也から泰子を奪った。が、奪いきれてはいなかっ
た。大岡昇平によれば、泰子は中也にも小林にも恋愛感情はなかったと言っ
ている。その言葉を信じれば、中也も小林もいわば泰子に振り回された犠牲
者とも見えてくる。しかし、恋愛感情のみが男と女を結びつけるわけでもな
い。男が相手の女に母性を求め、女が相手の男に父性を求める場合もある。
三角関係を形成しなければ燃えない男女関係もある。
当時の若い小林が、平穏な結婚生活に向いた妻を望んでいたとも思えない。
小林は泰子に痴情を抱いたその時に、すでに中也を内的に裏切っていたのだ
し、泰子を誘惑して一緒になったことは、中也とのどろどろの新たな関係を
も拒まなかったということである。簡単に言えば、小林は五歳年下の少年中
也をなめてかかっていたということだ。中也は三歳年上の泰子に対して亭主
気どりでいたらしいが、泰子は中也の妻としての自覚を持っていたわけでは
ない。泰子自身が言うように、彼女は彼女なりの将来の夢に向かって生きて
いた女であって、経済的には中也に依存せざるを得なかったにしろ、そのこ
とで精神の自立を妨げられていたわけではない。
中也と同棲していた泰子の眼差しは、中也にのみ向けられていたのではな
い。泰子が初めて小林と会ったときの場面を想起してみればよい。泰子は雨
に濡れて駆けてくる小林の姿を鮮明に記憶している。中也が頻繁に会って文
学談義をしている、東大仏文科に通う俊英の学生小林が、中也を訪ねてきた
時の場面であるが、うがった見方をすれば、この時、小林の訪問目的は中也
ではなく、美人の評判が高かった女優志願の女泰子その人であったとさえ思
える。泰子は泰子で、その眼差しを中也以外の男にも注いでいる。複数の男
に誘惑の餌をまいて、知らんぷりを決め込んで、その餌にくいつく瞬間を心
待ちにしている女は少なくない。泰子もそういった女の一人と見れば、小林
はまんまとその餌に引っかかってしまった犠牲者とも映る。
今でこそ詩人中也として通るが、当時の中也は地元の中学を落第して、一
高を目指す浪人中の身である。すべて親がかりで生活しているオボッチャマ
で、泰子との同棲も親には内緒である。こういった詩才はあるが経済力のま
ったくない、おませな少年を将来の夫として想定できるはずもない。泰子に
とって中也は、次の段階へ移るためのつかの間の同棲相手でしかなかったの
かもしれない。中也にとっても、泰子が是非とも必要な女としてあったので
はない。中也にとって泰子が真に必要になったのは、泰子が中也を棄てて小
林のところへ移ってからである。
中也は〈口惜しき人〉となってはじめて泰子を必要とした。しかしこの必
要は、泰子への愛情の証を意味するとは言えない。自分が心のうちで捨てた
ものを小林がすでに拾っていたということ、自分が実際に捨てない前に、泰
子が自分を捨てたということが中也は口惜しかった。つまり、中也はプライ
ドをいたく傷つけられた、そのことが何よりも悔しかったのであって、泰子
自体を必要としていたわけではない。泰子もまたそういった中也の複雑な内
面を体感的に知っていたからこそ、小林の誘惑の言葉に乗ったのである。
泰子が小林のところへ行かなければ、彼女は中也の単なるお荷物でしかな
い。泰子は小林を選ぶことで、〈荷物〉から、魅力ある女へと価値を高めた
のである。中也はこの〈荷物〉がきわめて危険な〈ワレ物〉であることを知
らせるために、わざわざ小林の所へと運んでいく。中也の帰り際、泰子は小
林に内緒で中也に〈目配せ〉するが、この〈目配せ〉は当の泰子や中也の意
識が把捉するよりはるかに意味深なのである。泰子は小林を選ぶことによっ
て、ドラマチックな三角関係のヒロインとなった。舞台女優、映画女優とし
ては泰子は三流の地位も評判も得ることはできなかったが、昭和を代表する
詩人と批評家の二人をわき役にした現実世界での大女優とはあいなった。
小林は泰子を妻にふさわしい女として新居を構えたわけではなかろう。泰
子もまた小林を自分にふさわしい夫とみなしていたわけでもないだろう。女
優志願の女が、すっぽりと家庭におさまるものではないし、泰子は依然とし
て中也という前の男を引きずっている。しかも、当時の小林は学生で定収入
はない。家庭教師のアルバイト代などたかが知れたものだし、実家の母親は
病弱で経済的援助を期待することはできない。結婚は生活であるから、当然、
経済的基盤のないところには成立しない。泰子に恋愛感情はなかったという
のであるから、彼女は中也から小林のところへと住処を変えただけのことで
ある。
大岡昇平は、小林が泰子と別れて以来、自ら小説を書きもしないし、他人
の小説も信じない、と書いた。前者に関してはそれを否定する根拠はないが、
後者に関しては異論を唱えざるを得ない。もし、小林が小説を信じないで批
評家になったのだとすれば、そんな批評家の言葉も信じられないということ
になろう。
小林が批評家になったのは、自分の思いを表現する手段として小説よりは
批評の言葉が向いていたというだけのことである。小林が、ドストエフスキ
ーの生活と作品に多大の関心をしめしたのは、彼が小説家ドストエフスキー
を信じていたからである。小林が泰子と中也の三角関係の泥沼で味わった苦
い体験が、ドストエフスキーの『永遠の夫』や『白痴』に描かれていなけれ
ば、どうしてドストエフスキー論に手を染めたりするだろうか。小林が言う
ところの〈悔恨の穴〉、その深くて暗い穴が描かれていないのであれば、ド
ストエフスキー論などに時間を費やす必要はない。
小林はその〈悔恨の穴〉があまりも深く暗いので、告白という才能も思い
出という創作も信じることはできないと書いた。これは小林の傲慢というも
のである。先にも指摘したように、告白は才能の問題ではなく、自分の行為
に対する罪の意識と、救いを希求する祈りの問題である。告白は唯一神に向
けての懺悔であり、ラスコーリニコフがソーニャに対してなしたような〈打
ち明け〉とは根本的に性質を異にする。しかも、小林は泰子を中也から奪っ
た外的内的事実を正確に詳細に〈打ち明け〉ようともしなかった。小林は
〈告白〉も〈打ち明け〉も拒んで、一人、悔恨を抱きしめる途を選んだ。そ
こには、それほどに自分の〈悔恨の穴〉は深くて暗いのだという傲慢(矜
持)の自意識が潜んでいる。ラスコーリニコフに、彼の傲慢と自意識に揺さ
ぶりをかけるポルフィーリイやスヴィドリガイロフが存在したようには、小
林の〈暗い穴〉に揺さぶりをかける存在はなかった。
ラスコーリニコフは老婆アリョーナを殺し、目撃者リザヴェータを殺した。
殺人という第一の〈踏み越え〉をなしたラスコーリニコフが、さらなる〈踏
み越え〉(復活)をするために必要としたのはソーニャという奇妙なキリス
ト者(ユロージヴァヤ=юродивая)であった。ラスコーリニコフが
ひきこもった傲慢の〈穴〉には実に多くの訪問者があった。熱血漢で女たら
しの友情厚きラズミーヒン、敏腕家で卑称卑劣な役まわりを一身に負った弁
護士ルージン、淫湯な演戯者スヴィドリガイロフ、最新思想の信奉者で作者
の戯画化を全身にまとったレベジャートニコフ、預言者風を装った鋭敏な予
審判事ポルフィーリイ、過剰な期待を息子に寄せた母親プリヘーリヤ、兄の
ためには自分を犠牲にすることをいとわない自己愛(プライド)の強い妹ド
ゥーニャ、神を信じている娼婦ソーニャ・……彼らすべてがラスコーリニコ
フがひきこもった〈穴蔵〉を訪れた。
このラスコーリニコフの〈穴蔵〉の外壁は強力でどのような力を加えても
ひび割れひとつ起こさない。ただひとつ、地下の居酒屋で偶然出会った酔漢
マルメラードフの身の上話に登場したソーニャだけが、ラスコーリニコフの
傲慢の壁にひび割れを起こした。ラスコーリニコフはすでに老婆を殺す前に、
犯行(踏み越え)を打ち明ける相手をソーニャに決めていた。ラスコーリニ
コフはソーニャにラザロの復活の場面を朗読してくれるように頼む。ソーニ
ャは朗読する。このラスコーリニコフに向けてのソーニャの〈朗読〉は、実
は二千年の時空を超えて、菱型の貧しい部屋へと出現したキリストへ向けて
の〈信仰告白〉でもあった。
ラスコーリニコフは依然として神を懐疑する者にとどまっている。より正
確に言えば、ラスコーリニコフは神を信ずる者として神を懐疑している(ラ
スコーリニコフが初対面のポルフィーリイに向かって、神の存在とラザロの
復活を文字どおり信じていると明言していることを忘れるわけにはいかな
い)。ラスコーリニコフは、いわば天邪鬼な信仰者とも言える。しかしこの、
キリスト者ソーニャを誰よりも必要とした殺人者は、エピローグで復活の曙
光に輝いたとはいえ、最後の最後まで自分の行為(殺人)に〈罪〉(グレ
フ)の意識を覚えなかったことも事実である。
『罪と罰』はラスコーリニコフが復活の曙光に輝くところで幕を下ろした
が、読者はそのことでこの物語の幕を下ろすわけではない。ルーアッハ(神
の風)に突然撃たれたラスコーリニコフは、これまたいつの間にか現出して
いたソーニャの前にひれ伏すが、しかしそれがラスコーリニコフの不動の最
終的な姿にとどまるとは限らない。作者は、復活の曙光に輝いたラスコーリ
ニコフに対して、ついに〈思弁〉(диалектика)の代わりに〈生
活〉(ジーズニ=жизнь)が到来したのだと書いた。が、『罪と罰』の
読了と同時に、ラスコーリニコフが獲得した〈生活〉に置き去りにされた読
者は、今再び〈思弁〉へと戻らざるを得ない。たとえば、罪意識を感じるこ
とのない殺人者の〈復活〉(ヴァスクレセーニィエ=васкресени
е)とはなんぞや、と。
小林の〈悔恨の穴〉を訪れる者ははたしていたのだろうか。その〈穴〉を
訪れる権利を持っている唯一の存在が、愛人を奪われた中也であることは言
うを俟たない。中也が、どのようなかたちでその〈穴〉を訪れたかは、すで
に書いた。中也は死ぬ数週間前に、黄ばんだ顔と、全身鼠色の子供っぽい姿
で、小林の書斎の縁先きに這入って来た。小林はその姿を忘れることはでき
ないと書いたが、そう書くことで、読者にそれ以上の参入(もちろん深くて
暗いという〈悔恨の穴〉への)を許さない。
わたしがこれからなそうとすることは、ポルフィーリイにもなり、スヴィ
ドリガイロフにもなってその〈穴〉への参入と揺さぶりである。