2009
07.24

小林秀雄の三角関係(連載7)

ドストエフスキー関係, 小林秀雄

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2008年夏 ロシアへの旅
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小林秀雄の三角関係(連載7)

(初出「D文学通信」1192号・2009年06月10日)
清水正
彼の詩は、彼の生活に密着してゐた。痛ましい程、笑はうとして彼の笑
ひが歪んだそのまゝの形で、歌はうとして詩は歪んだ。これは詩人の創り出
した調和ではない。中原は、言はば人生に衝突する様に、詩にも衝突した詩
人であつた。彼は詩人といふより寧ろ告白者だ。(中略)大事なのは告白す
る事だ、詩を作る事ではない。さう思ふと、言葉は、いくらでも内から湧い
て来る様に彼には思はれた。彼の詩学は全く倫理的なものであつた。
(125
~126 )


先に「悔恨の穴は、あんまり深くて暗いので、私は告白という才能も思い
出という創作も信ずる気にはなれない」と書いた小林が、ここで、中也は
「詩人というより寧ろ告白者だ」と書く。小林は「中原中也の思い出」を
「いくらでも内から湧いて来る」ようには書けない。小林の言葉を借りて言
えば、小林は「一種の自己隠蔽術」から逃れることができない。小林は中也
との思い出を〈隠蔽術〉を駆使してしか書けない。中也が「人生に衝突する
様に、詩にも衝突した詩人であった」とすれば、小林は〈自己を防禦する
術〉を身に付けた批評家であったということになる。中也が「自分の一番秘
密なものを人々に分ちたい欲求だけが強かった」とすれば、小林は〈自分の
一番秘密なもの〉をヴァルコフスキー公爵が言う意味での〈秘中の秘〉とし
て、つまり自分自身にも秘密にして世間を渡り歩いて来たということである。
小林が「人々の談笑の中に、「悲しい男」が現れ、双方が傷ついた。善意
ある人々の心に嫌悪が生れ、彼の優しい魂の中に怒りが生じた」と書くとき、
おそらく小林自身は〈善意ある人々〉の中の一人におさまっている。ここで、
小林と泰子の新居にワレ物を運んできた中也の姿を想い浮かべて見ればいい。
〈口惜しい人〉となった男、小林の言葉で言えば〈悲しい男〉中也は、背を
丸めて新聞なぞを読んでいた小林を、もう一人の〈悲しい男〉などとは微塵
も思っていない。もちろん〈善意ある人々〉の一人とも思っていない。小林
は友人を裏切った卑劣な男であり、〈疾しい男〉であって、それ以上でも以
下でもなかったはずである。中也の書いた「我が生活」や泰子の回想記では、
新居に上がりこんだ中也が小林にどのような皮肉な言葉を発したのかは分か
らない。が、いずれにしても中也が背を丸めて新聞を読んでいた敵の小林を
〈善意の人〉とか〈悲しい男〉と思っていたはずはなく、ましてや、あんま
り深くて暗い悔恨の穴に身を屈めていたとも思わなかっただろう。
この生れ乍らの詩人を、こんな風に分析する愚を、私はよく承知してゐ
る。だが、何故だらう。中原の事を想ふ毎に、彼の人間の映像が鮮やかに浮
び、彼の詩が薄れる。詩もたうとう救ふ事が出来なかつた彼の悲しみを想ふ
とは。それは確かに在つたのだ。彼を閉ぢ込めた得態の知れぬ悲しみが。彼
は、それをひたすら告白によつて汲み尽さうと悩んだが、告白するとは、新
しい悲しみを作り出す事に他ならなかつたのである。彼は自分の告白の中に
閉ぢこめられ、どうしても出口を見付ける事が出来なかつた。
(126 )
こういった小林の文章を読んでいて、まずわたしの脳裏をかすめていくの
は、小林がドストエフスキーを批評するにあたって、その作品の検討から始
めたのではなく、生活から始めたということであった。が、ここではまだ、
小林のドストエフスキー論に関して言及することはしない。
「中原の事を想う毎に、彼の人間の映像が鮮やかに浮び、彼の詩が薄れ
る」こんな馬鹿なことがあり得るのか。詩人はその詩によって真価を問われ
る。〈人間の映像〉によって〈詩〉が薄れるとすれば、そんな詩を書いてい
た詩人の価値はまったくないと言うも同然である。〈詩もたうとう救ふ事が
出来なかつた彼の悲しみ〉という言葉に、中也の悲しみの深さと暗さを読み
取ればいいのか。小林は自分の〈悔恨の穴〉の深さと暗さで、中也の〈悲し
み〉を測ろうとしているが、そんなことを言えば中也の〈悲しみ〉は小林の
それをはるかに超えていたということになろう。
中也は自分の〈悲しみ〉を救うために詩を書いていたのではない。中也の
悲しみがそのまま詩となってうたわれている。だからこそ、中也は〈生れ乍
らの詩人〉なのである。「告白するとは、新しい悲しみを作り出す事に他な
らなかったのである」とも小林は書いた。小林は〈告白の才能〉がないとい
うことで、〈新しい悲しみ〉を作り出すことを拒んだのであろうか。小林は
中也の愛人を奪うことで、奇妙な三角関係の泥沼に入りこんでしまった、ま
さにその当事者の一人でありながら、どこか中也に関して他人事のように語
りたい欲望を抑えきれないでいる。
中也が愛人を友人に奪われて、自らを〈口惜しい人〉となったと書いてい
るのであるから、それに見合う奪った男にふさわしい言葉は〈疾しい男〉以
外にはあるまい。しかし、小林は〈悔恨の穴〉はあんまり深くて暗いと書く
だけで、そこに懺悔はなく反省もない。小林が推測した中也の〈「口惜しき
男」の穴〉は、小林が抱え込んだ〈悔恨の穴〉では断じてない。友人を裏切
った男の〈悔恨の穴〉を、裏切られた男がどうして共有しなければならない
のか。中也は、裏切った男が潜む〈悔恨の穴〉に、運び忘れた泰子の〈ワレ
物〉をわざわざ外界から送り届けたわけではない。むしろ、中也は小林の
〈悔恨の穴〉より、もっと深くて暗い奥の穴から〈ワレ物〉を送り出したの
である。それが、詩人中也の限りのない優しさであり悲しみである。
小林は〈ワレ物〉(泰子)を放り出して穴の外へ逃げ出した。そしてその
ことを見事に反省しない。なぜなら、小林に言わせれば、〈ワレ物〉(泰
子)を三年もの間、面倒見尽くした〈善人〉には何の罪もないということな
のである。しかしこの〈善人〉に、黄色い顔をした、全身鼠色の奇妙な、子
供のようなものが現れる。ドストエフスキーの読者なら、ニコライ・スタヴ
ローギンが視たマトリョーシャを想起するだろう。小林はこの奇妙な存在を
〈狂死する数日前〉の中原中也と確信している。そんな確信など都合のよい、
きわめて自己保身的な確信であり、小林はそれを「忘れる事が出来ない」こ
との意味が分かっていない。中原中也は〈死ぬ年の冬〉に小林の住む鎌倉に
やってくるが、この小林につきまとうようにしてやってきた〈中原中也〉を、
スヴィドリガイロフなら冗談っぽく〈幽霊〉(プリヴィディーニィエ=пр
ивидение)などと表現して、聞き手を煙に巻いたことだろう。・・
小林がラスコーリニコフの次元にとどまって、悔恨の穴は深くて暗いが、決
して反省はしないというのであれば、わたしはここでスヴィドリガイロフに
でも化身して、少しはからかってやろうという気にもなる。
中也と同時代を生きた批評家にとって、生身の中也は強烈な存在で、詩作
品よりも強く鮮やかな印象を刻印されてしまっているのかもしれない。しか
し、何よりも先に中也の詩作品を通して、中也の内的世界に参入した者にと
っては、中也の実生活を超えて作品が優先される。
彼は自分の告白の中に閉ぢこめられ、どうしても出口を見付ける事が出
来なかつた。彼を本当に閉ぢ込めてゐる外界といふ実在にめぐり遇ふ事が出
来なかつた。彼も亦叙事性の欠如といふ近代詩人の毒を充分に呑んでゐた。
彼の誠実が、彼を疲労させ、憔悴させる。彼は悲し気に放心の歌を歌ふ。
(126 )
「告白の中に閉ぢこめられ」とは奇妙なことだ。告白は或る絶対的なもの
へ向けての心の全面的な開けであり、本来〈閉じこめ〉とは全く逆の事態を
意味する。中也が唯一神へ向けて前面的に心を開いていたかどうかは、ここ
では不問に付すとしても、中也にとって詩の創作は心の開けであり、一種の
解放であったことは確かだろう。小林が〈告白〉と書いたところを〈自意
識〉とでも変換すれば、〈閉じこめられ〉は意味が通ずる。中也は〈口惜し
き人〉となり、底知れぬ悲しみの襲撃にあって悶死寸前の精神世界をさまよ
ったが、告白の中に閉じ込められたわけではなかろう。もし小林の言うよう
に中也の詩が彼の生活に密着した告白であるのなら、その告白はすでに解放
されている。
「彼を本当に閉ぢ込めてゐる外界といふ実在にめぐり遇ふ事が出来なかつ
た」と小林は書くが、いったい彼は何を言っているのだろうか。中也は自分
の愛人を奪った小林秀雄という外界に実在する他者と、現に出会っているで
はないか。そして〈口惜しき人〉となり、底なしの悲しみのままに、その
〈外界という実在〉との関わりを放棄しはしなかったではないか。中也の誠
実が、彼を疲労させ、憔悴させたことは確かだ。しかし、小林は忘れてはな
らない。中也の疲労と憔悴とどうしようもない悲しみの最も大きな原因とな
ったのが小林自身の〈裏切り〉であったことを。
中也は告白の中に閉じ込められていたのではなく、告白(詩創作)しつづ
けることで、自分を苦しめた〈外界という実在〉をはてしなく赦そうとして
いたのである。小林は中也のことを、他人事のように語りたいという思いを
抑えきれない。言いかたを変えれば、小林は中也に対して〈外界の実在〉で
あり続けたということである。

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