2009
07.24

小林秀雄の三角関係(連載6)

小林秀雄

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2008年夏 ロシアへの旅
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小林秀雄の三角関係(連載6)

(初出「D文学通信」1191号・2009年06月05日)
清水正
私はその年の三月に、女と二人で、K市から上京したのだつた。知人と
いつては、私から女を取つたその男Iと、その男を私に紹介したTとだけで
あつた。だのにTは女が私の所を去る一ケ 月前に死んだので私にはもはや知
人といふものは東京になくなつてゐたのである。
(335 ~336 )


私は大東京の真中で、一人にされた! そしてこのことは付加へなけれ
ばならないが、私の両親も兄弟も、私が別れた女と同棲してゐたことは知ら
ないのであつた。又、私はその三月、東京で高等学校を受験して、ハネられ
てゐたのであつた。
女に逃げられた時、来る年の受験日は四ケ 月のむかふにあつた。父から
も母からも、受験準備は出来たかと、言つて寄こすのであつた。
だが私は口惜しいままに、毎日市内をホツツキ歩いた。朝起きるとから、
・・下宿には眠りに帰るばかりだつた。二三度、漢文や英語の、受験参考書
を携へて出たこともあつたが、重荷となつたばかりであつた。
(336 )
〈女を取つたその男〉とは、間違いなく小林秀雄であるが、なぜ中也はK
ではなくIなどと表記したのだろうか。Tは富永太郎であり、小林だけイニ
シャルを変えたのは、実名はもちろんのこと、イニシャルさえ書きたくなか
ったのであろうか。
それにしても、中也が三歳年上の泰子を、五歳年上の小林に略奪された時
はまだ十八歳で、受験を控えて浪人中であったことを忘れてはならないだろ
う。親に内緒で、泰子と同棲し、生活資金のすべては親元からの送金でまか
なっていたというのであるから、ぼんぼんもいいところである。経済的に自
立していない者が、親に内緒で女と同棲したり、別れたり、すったもんだし
たあげく口惜しい人になったからといって、普通の生活者からみればぜいた
くな悩みである。しかし、一般的な意味での〈生活者〉の視点から中也の苦
悩を裁断しても仕方のないことで、つまるところは自分の苦しみ自体は自分
自身で背負うしかないということである。
口惜しき人は、一日中、街中をホッツキ歩くことしかできない。絶望を悶
死寸前の両腕にきつく抱きしめながら、何のあてもなくホッツキ歩いた経験
のあるものなら、中也の口惜しさを体感することができるだろう。
小林秀雄は中也が死んだとき、「文学界」(昭和十二年十二月・中原中也
追悼号)に「死んだ中原」を寄せた。
ああ、死んだ中原
僕にどんなお別れの言葉が言へようか
君に取返しのつかぬ事をして了つたあの日から
僕は君を慰める一切の言葉をうつちやつた

小林は中也から泰子を奪ったことを〈取返しのつかぬ事〉と書いた。しか
し、その実体は依然として不明のままだ。〈取返しのつかぬ事〉を〈悪いこ
と〉〈罪深い事〉としてとらえ、そのことにあがないきれないものを感じ続
けていたのか。それとも、男と女の情愛(性愛)を、倫理道徳や宗教の次元
では裁断されない、しようのないこととしてとらえ、いっさいの弁明を放棄
したということなのであろうか。
興味深いのは最後の「僕は君を慰める一切の言葉をうつちやつた」という
言葉である。主体の〈僕〉は、友人の女を奪ったことに対し、悔いているの
でもなく、反省しているのでもなく、謝罪しているのでもない。〈僕〉は、
自分によって女を奪われ〈口惜しき人〉となって町をホッツキ歩いている、
悶死寸前の男に向かって〈慰める〉言葉を打ち捨ててしまったと書いている。
中也が小林と泰子の新居を初めて訪れた時の、背中を丸めて新聞なんぞを読
んでいた小林の後ろ姿に〈疾しさ一杯〉を見たのは、わたしであって、その
実情は違っていたのかもしれない。奪っておいて慰める言葉がないのはあた
りまえで、問題は小林が泰子略奪に関して、実は疾しさや罪の意識など感じ
ていなかったのかもしれない。今、わたしは、二人の女の頭上に斧を振りお
ろして殺しておきながら、復活の曙光に輝いてすら、殺人に罪の意識を覚え
ることのなかったラスコーリニコフをふと想いだした。
いずれにせよ、小林に罪の感覚はなく、中也に対して詫びる気持ちもない。
小林は反省しないタイプの男なのかもしれない。沈黙を守るということは、
反省して言葉を失っていることとは性格を異にする。
〈悔恨の穴〉の深さと暗さ
─懺悔でも謝罪でもなく─

小林は昭和二十四年八月号の「文芸」に「中原中也の思い出」を発表した。
中也が死んだのが、昭和十二年十月二十二日であるから、十二年を経た後の
思い出ということになる。
中原が鎌倉に移り住んだのは、死ぬ年の冬であった。前年、子供をなく
し、発狂状態に陥った事を、私は知人から聞いていたが、どんな具合に恢復
し、どんな事情で鎌倉に来るようになったか知らなかった。久しく殆ど絶交
状態にあった彼は、突然現れたのである。私は、彼の気持ちなど忖度しなか
った。私は、もうその頃心理学などに嫌気がさしていた。ただそういう成行
きになったのだと思った。無論、私は自分の気持ちなど信用する気にはなら
なかった。嫌悪と愛着との混淆、一体それは何の事だ。私は中原との関係を
一種の悪縁であったと思っている。大学時代、初めて中原と会った当時、私
は何もかも予感していた様な気がしてならぬ。尤も、誰も、青年期の心に堪
えた経験は、後になってからそんな風に思い出し度がるものだ。中原と会っ
て間もなく、私は彼の情人に惚れ、三人の協力の下に(人間は憎み合う事に
よっても協力する)、奇怪な三角関係が出来上り、やがて彼女と私は同棲し
た。この忌わしい出来事が、私と中原との間を目茶々々にした。言うまでも
なく、中原に関する思い出は、この処を中心としなければならないのだが、
悔恨の穴は、あんまり深くて暗いので、私は告白という才能も思い出という
創作も信ずる気にはなれない。驚くほど筆まめだった中原も、この出来事に
関しては何も書き遺していない。たゞ死後、雑然たるノオトや原稿の中に、
私は、「口惜しい男」という数枚の断片を見付けただけであった。夢の多過
ぎる男が情人を持つとは、首根っこに沢庵石でもぶら下げて歩く様なものだ。
そんな言葉ではないが、中原は、そんな意味のことを言い、そう固く信じて
いたにも拘らず、女が盗まれた時、突如として僕は「口惜しい男」に変った、
と書いている。が、先きはない。「口惜しい男」の穴も、あんまり深くて暗
かったに相違ない。

事実を語り、心理などに忖度しない。忖度し尽くした者の言葉として受け
止めればいいのだろうか。「人間は憎み合う事によっても協力する」とは人
間心理の地獄の底を覗いた者だけが口にすることができる言葉かも知れない。
小林は「悔恨の穴は、あんまり深くて暗いので、私は告白という才能も思い
出という創作も信ずる気にはなれない」と書いた。ここで小林は〈悔恨〉と
いう言葉を使っているが、はたして彼は中也の女を奪ったことの、どういう
ことに〈悔恨〉を覚えたのであろうか。
 ラスコーリニコフは二人の女を殺してまで〈罪〉(грех)の感覚に襲
われることはなかった。小林の場合、たまたま惚れた女が、中也の女(奥さ
ん)であったに過ぎない。それに中也自身が素直に「私は恰度、その女に退
屈してゐた時ではあったし、といふよりもその女は男に何の夢想も仕事もさ
せないたちの女なので、大変困惑してゐた時なので、私は女が去つて行くの
を内心喜びもしたのだつたが」云々と書いていた。小林がここで書いた「夢
の多過ぎる男が情人を持つとは、首根っこに沢庵石でもぶら下げて歩く様な
ものだ」は、中也の言葉の再録である。小林もまた中也に劣らず、夢多き男
であったろうから、中也の首から奪い取った、その〈沢庵石〉に自らの首根
っこを抑えられたことになる。
 小林は、首尾よく〈沢庵石〉を首から引きちぎって捨て去ることに成功し
たが、もしそうでなければ『白痴』の悲劇を追体験していたかも知れない。
小林は中也の女を奪ったことから発生した悲喜劇の深部に、散文家の筆をも
って降りていくことはしなかった。「悔恨の穴は、あんまり深く暗いので、
私は告白という才能も思い出という創作も信ずる気にはなれない」・・この
言葉はまさに批評家の完結した言葉であり、そのどこにもひび割れが見えな
い。少なくとも、この言葉自体には何の破綻も見られない。しかし、この文
章のタイトルが「中原中也の思い出」であることを改めて確認すれば、小林
はここで信ずることのできない〈思い出〉を、敢えて書かずにはいられぬ何
かに背を押されていたということだろうか。
  小林は〈告白〉を信じられないと言っているのではない。〈告白という才
能〉を信じられないと言っている。〈思い出〉に関しても同じである。小林
が信じられないのは〈思い出〉自体ではなく、〈思い出の創作〉である。こ
こには大きな問題が横たわっている。〈告白〉とは唯一神に向かって、〈
私〉が自分の犯した〈罪〉を告白し、赦しを得ようとする積極的な行為であ
り祈りである。しかし、小林はキリスト者ではない。小林は『罪と罰』論の
中で、〈すっかりおしまいになってしまった〉予審判事ポルフィーリイの側
に限りなく寄り添ってみなければ、この作品の謎は解くことができない(調
査必要)とまで書いた批評家である。小林は「あんまり深くて暗い」〈悔恨
の穴〉へと降りて行こうとはしない。小林にとって〈告白〉は懺悔へとつな
がっていく信仰上の問題ではなく、あくまでも〈才能〉の問題と化している。
〈思い出〉も、懺悔や謝罪へと至る心の問題ではなく、〈創作〉の問題へと
置きかえられてしまっている。小林が言っているのは〈悔恨の穴〉の限りの
ない深さと暗さであり、それは懺悔でもなければ謝罪でもない。
それから八年経つていた。二人とも、二人の過去と何んの係わりもない
女と結婚していた。忘れたい過去を具合よく忘れる為、めいめい勝手な努力
を払つて来た結果である。二人は、お互の心を探り合う様な馬鹿な真似はし
なかつたが、共通の過去の悪夢は、二人が会つた時から、又別の生を享けた
様な様子であつた。彼の顔は言つていた、彼が歌つた様に・・「私は随分苦
労して来た。それがどうした苦労であったか、語らうなぞとはつゆさへ思は
ぬ。またその苦労が、果して価値のあつたものかなかつたものか、そんな事
なぞ考へてもみぬ。とにかく私は苦労して来た。苦労して来たことであつ
た!」。併し彼の顔は仮面に似て、平安の影さえなかった。
(122 ~123 )
小林によれば、彼と中也は〈忘れたい過去〉〈共通の過去の悪夢〉を背負
って生きて来たということになる。そんな〈過去の悪夢〉を忘れるために、
二人の過去など何にも知らない女と結婚したと書く。こんなことを書かれた
女がどういう気持ちを抱くか、という配慮はない。小林は〈過去の悪夢〉を
引きずっている。「具合よく忘れ」られる〈悪夢〉などというものはない。
現に小林は、死ぬ前年になって鎌倉に越してきた中也と会わなければならな
かった。〈共通の過去の悪夢〉は依然として覚めてはいないのだ。小林は
〈平安の影〉さえない、中也の仮面のような顔に直面しなければならなかっ
た。
晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを見ていた。花びらは死
んだ様な空気の中を、まつ直ぐに間断なく、落ちていた。樹蔭の地面は薄桃
色にべっとりと染まっていた。あれは散るのじゃない、散らしているのだ、
一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているに違いない、
何んという注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。驚く
べき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛
んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。花びらの運動は果しなく、見
入っていると切りがなく、私は、急に厭な気持ちになって来た。我慢が出来
なくなって来た。その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろ
うよ」と言った。私はハッとして立上り、動揺する心の中で忙し気に言葉を
求めた。「お前は、相変らずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。彼
は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。
(123 )
こういう文章を書くひとは、もはや読み手のことなど何も考えてはいない
だろう。小林は「分かるひとには分かるだろう」と、一般的な読者のことな
どまったく意に介さない。小林が語っているのは中也との共通した悪夢だ。
深くて暗い悔恨の穴でしか見ることのできない〈悪夢〉を共有した二人のこ
とを語っているのだ。この二人の儀式のような神秘の場面に参入することな
ど許してはいない。小林の批評の流儀に従えば、読者もまた、海棠の散るの
を黙って見なさい、ということだ。いっさいの言葉を失った二人の男が黙っ
て海棠の花の散るのを眺めている、ただそれだけの光景に参入できるかどう
かなのだ。
 小林の文章は限りなく詩文に近く、いっさいの説明を拒んでいる。批評家
でありながら、批評がましい言葉をも拒んでいる。二人の深い沈黙を、とり
あえず小林は言葉にして表現した。小林が海棠の花に見ているのはいわば必
然である。そこには微塵の偶然も入り込む余地はない。必然を見て、どのよ
うな危険な誘惑にかられるのか、そんなことは知らない。神にでもならなけ
れば、この必然の乱舞に意志的に参入することはできない。ラスコーリニコ
フが魔の誘惑にかられて、二人の女の頭上に斧を振りおろすような、そんな
〈危険な誘惑〉にかられる歳でもない。もはやそんな〈愚行〉を挑発される
こともない。今、この時、小林は〈必然〉の光景を黙って見るひとりの観客
と化している。もはや〈必然〉のドラマへの熱い参加を拒まれていると言っ
ても同じことだ。この時、〈平安の影〉さえなかった仮面の顔をした中也が、
同じ光景を見ながら、どのような思いを胸に抱いていたかは知らない。それ
は小林とて同じことだ。ただ、彼ら二人は〈共通の過去の悪夢〉を体験した
仲であることによって、ある種、神秘的な結合がある。友人の女を奪った男
の深くて暗い悔恨の穴と、女を奪われて〈口惜しき人〉となった男の深くて
暗い穴は、どうやら同じ深さと暗さを持った穴だったらしい。少なくとも、
小林はそう思い、感じることで、悔恨と口惜しさを超えた世界へと眼差しを
向けたがっている。
 中也は突然、「もういいよ、帰ろうよ」と言い、小林はハッとして、動揺
し、忙し気に言葉を求め、「お前は、相変らずの千里眼だよ」と吐きだすよ
うに応じた、と言う。まるで禅問答のようなやりとりである。中也は小林の
何を見たというのだろうか。中也は小林の〈厭な気持ち〉、我慢が出来なく
なって来たという、その思いを敏感に察したということで、小林が海棠の散
るのを見て「驚く美術、危険な誘惑だ」云々と思ったことを察知していたわ
けではなかろう。〈悔恨〉の穴を抱えた批評家と、悶死寸前の口惜しさを抱
えた詩人が、その精神世界のすべてを共有していたわけではない。この二人
の間にさえ、否、この二人の人間の間にこそ、踏み超えることのできない、
深くて暗い淵が横たわっていたと見る方がいいだろう。小林の発した「お前
は、相変らずの千里眼だよ」が当たっているなら、中也は泰子を小林に奪わ
れることを予め予知していたということになろう。中也の「道化た様な笑
い」は、過去と現在を繋いで、寂しくもあり、卑猥でもあり、大いなる悲し
みでもある。小林と泰子と中也が織りなした三角関係の〈必然〉を生きたの
は彼らだ。わたしは、この必然のドラマに、参入しようなどという〈愚行〉
に挑発されたわけではない。わたしもまた、「海棠の散るのを黙って見て」
いるだけである。
二人は、八幡宮の茶店でビールを飲んだ。夕闇の中で柳が煙っていた。
彼は、ビールを一と口飲んでは、「ああ、ボーヨー、ボーヨー」と嘆いた。
「ボーヨーって何んだ」「前途茫洋さ、ああ、ボーヨー、ボーヨー」と彼は
眼を据え、悲し気な節を付けた。私は辛かった。詩人を理解するという事は、
詩ではなく、生れ乍らの詩人の肉体を理解するいう事は、何んと辛い想いだ
ろう。彼に会った時から私はこの同じ感情を繰返し繰返し経験して来たが、
どうしても、これに慣れる事が出来ず、それは、いつも新しく辛いものであ
るかを訝った。彼は、山盛りの海苔巻を二皿平げた。私は、彼が、既に、食
欲の異常を来している事を知っていた。彼の千里眼は、いつも、その盲点を
持っていた。彼は、私の顔をチロリと見て、「これで家で又食う。俺は家で
腹をすかしているんだぜ。怒られるからな」、それから彼は、何んとかやっ
て行くさ、だが実は生きて行く自信がないのだよ、いや、自信などというケ
チ臭いものはないんだよ、等々、これは彼の憲法である。食欲などと関係は
ない。やがて、二人は茶店を追い立てられた。
(123 ~124 )
「生れ乍らの詩人の肉体を理解するという事は、何んと辛い想いだろう」
・・中也と運命的な出会いと別れを体験した小林はこのように書いた。振り
返ってみるに、わたしにそういう体験はない。自称詩人たちが、自らの化け
の皮を剥がして行くような、破廉恥で滑稽な場面に遭遇したばかりである。
わたしの傍らに「ああ、ボーヨー、ボーヨー」と眼を据え、悲し気な節を付
けて歌った詩人は存在しない。従って、小林が経験した〈辛い想い〉を抱い
たことはない。中也は、三十歳で死んだ、夭折した詩人である。いったい、
夭折しない詩人などいるのか。確か、イヴァン・カラマーゾフは、せいぜい
生きても三十までだ、それ以上いきるのは破廉恥だ、と語っていた。まして
や、詩人は・・。
中原に最後に会ったのは、狂死する数日前であった。彼は黙って、庭か
ら書斎の縁先きに這入って来た。黄ばんだ顔色と、子供っぽい身体に着た子
供っぽいセルの鼠色、それから手足と足首に巻いた薄汚れた繃帯、それを私
は忘れる事が出来ない。
(124 )
小林は、〈狂死する数日前〉の中也が、黙って庭から這入って来たことを
記す。小林が読者に報告するのは、中也の〈黄ばんだ顔色〉〈セルの鼠色〉
〈薄汚れたホウ帯〉である。最後の薄汚れたホウ帯は、これまた限りなく〈灰
色〉に近い。つまり小林は、全身〈鼠色〉に包まれた〈黄ばんだ顔色〉の中
也の突然の現出に立ち会ったということになる。〈鼠色〉でまず想起するの
は、宮沢賢治の童話である。『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニ少年が手にす
る〈鼠色〉の切符は、どこにでも行ける万能の切符である。あまり有名な作
品ではないが『みじかい木片』には、だぶだぶの〈鼠色〉の服を着た奇妙な
おじいさんが登場してくる。『風の又三郎』の主人公は〈鼠色〉のマントを
翻して空を飛ぶ。〈鼠色〉は現実と非現実、この世とあの世の狭間に出現す
るシンボリックな色である。小林を訪れた〈黄ばんだ顔色〉をした中也は、
まさに〈あの世〉に行くにあたって、小林の書斎の〈縁先き〉(狭間)に現
れたと言ってもいい。
  小林は、この時、中也がどのようなことを言ったのか、どのような会話が
とりかわされたのかいっさい記していない。「中原中也の思い出」は1と2
に分かれているが、小林は2の初めに中也の詩を引用した。
汚れちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

1から2の間に、深い淵が横たわっていることは言うをまたない。死ぬ数
日前にとつぜん現れた中也とのやりとりのすべてを、小林は省略した。深い
沈黙の後に、書かれたのは中也の詩である。中也の詩を愛する者なら、知ら
ぬ者がいない有名な詩である。誰でも一度や二度はこの詩を口ずさみながら、
夜の街をほっつき歩いた青春の一ページを持っているだろう。酔いどれて、
喧嘩を売り、売られて、血まみれの孤独を枕に気を失ったこともあるだろう。
所詮、きれいにパック詰めされた青春なんぞはどこにもない。中也の詩が普
遍性を獲得したのは、彼の詩が青春のもがきとうめきを、透明な孤独の風に
のせて読む者の魂を鷲掴みするからだろう。〈汚れちまった悲しみ〉なんて、
中也以前には存在さえしなかったようではないか。純粋が、不純にけがれた
純粋が、これでもかこれでもかと嘆いている。不純に汚れきった不純なやつ
には、引用することさえ許されない、悲嘆と孤独の震えである。
中原の心の中には、実に深い悲しみがあって、それは彼自身の手にも余る
ものであったと私は思っている。彼の驚くべき詩人たる天資も、これを手な
づけるに足りなかった。彼はそれを「三つの時に見た、稚厠の浅瀬を動く蛔
虫と言ってみたり、「十二の冬に見た港の汽笛の湯気」と言ってみたり、果
ては、「ホラホラ、これが僕の骨だ」と突き付けてみたりしたが駄目だった。
言い様のない悲しみが果しなくあった。私はそんな風に思う。
(125 )
自分自身の手に余る〈実に深い悲しみ〉、この悲しみを手なづけることが
できずに、中也は三十歳にして〈狂死〉した。小林は病跡学者の立場にたっ
て書いているのではない。〈狂死〉とは、「悔恨の穴は、あんまり深くて暗
いので、私は告白という才能も思い出という創作も信ずる気にはならない」
と書いた小林が、中也の存在の核を顕にした言葉である。中也のような詩人
が〈狂死〉以外のどのような、人生の幕を下ろせたというのか。狂いは最大
最高の覚醒であり、中也は自らの生を覚醒して生きた。狂い生きた詩人は、
狂い死ぬほかに途はない。
  小林は〈狂死〉する数日前の中也の〈鼠色〉だけを鮮やかに記憶していた
のではない。中也の、その〈子供つぽい身体〉を脳裡に焼き付けている。三
十歳にして、中也は〈子供〉であったのだ。子供が子供として成熟すること
の、まさにその〈汚れちまつた悲しみ〉を、いったい誰が共有できるか。
〈汚れちまつた悲しみ〉を、分別や暮らしの論理に売り渡してノーノーと生
き長らえている者の身にも、「今日も小雪の降りかかる」「今日も風さへ吹
きすぎる」そんな瞬間があるのだろうか。積もり積もった〈小雪〉が石化し
て、重くのしかかっているような背中を丸めて生きている老人はいるのか。
 今日も小雪の降りかかる〈汚れちまつた悲しみ〉は美しい。今日も風さへ
吹きすぎる〈汚れちまつた悲しみ〉は美しい。手なづけるに足りた悲しみを
積み上げて、生き長らえた老人の今日の悲しみは詩歌となってひとの心を揺
さぶることができるのか。死と直結せざるを得ない深い悲しみがあり、狂わ
ざるを得ない覚醒がある。適度に眠っていなければならない、死と狂いとに
襲われぬためには。死と狂いの激流に呑まれぬ、そんな強靭な覚醒という舟
が存在するだろうか。岸辺に難破した覚醒のボロ舟に惰眠をむさぼる論理の
輩が、中也の〈汚れちまつた悲しみ〉を共体験することはないだろう。
彼は、自己を防禦する術をまるで知らなかった。世間を渡るとは、一種の
自己隠蔽術に他ならないのだが、彼には自分の一番秘密なものを人々に分ち
たい欲求だけが強かった。その不可能と愚かさを聡明な彼はよく知っていた
が、どうにもならぬ力が彼を押していたのだと思う。人々の談笑の中に、
「悲しい男」が現れ、双方が傷ついた。善意ある人々の心に嫌悪が生れ、彼
の優しい魂の中に怒りが生じた。彼は一人になり、救いを悔恨のうちに求め
る。汚れちまった悲しみに…………これが、彼の変らぬ詩の動機だ、終りの
ない畳句だ。

〈世間を渡る〉とはあまりにも普通のことで、しかしある種の詩人や芸術
家にとってはこんなに厄介なこともない。はじめから、天性的に世間を器用
に渡っていける者があり、逆に世間を渡ることが深い渓谷に架けられた橋を
渡る以上に危険な者もある。小林はおそらく〈一種の隠蔽術〉を駆使して世
間を渡った職業的批評家であった。中也は〈悲しい男〉を全うして、〈自分
の一番秘密なものを人々に分ちたい欲求〉を押し通した詩人であった。中也
にとっては生そのものが悲しみであり、この悲しみは小林の言う自己隠蔽術
などとは無縁のものであった。中也のような詩人が厚顔無恥を身に付けて生
き続ける、そんな破廉恥は想像したくもない。中也は、中也の詩に相応しい
寿命を全うしたと言えよう。
・・・・

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