2009
07.22

小林秀雄の三角関係(連載5)

ドストエフスキー関係, 小林秀雄

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2008年夏 ロシアへの旅
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小林秀雄の三角関係(連載5)

(初出「D文学通信」1190号・2009年05月30日)
清水正
信頼していた女と友人に裏切られた中也に、もはや聞くべき言葉もなけれ
ば発する言葉もない。「私はむしに、ならないだらうか?」とは、私は発狂
しないだろうか? ということでもある。否、〈唖〉で〈悶死〉寸前の中也
は、すでに発狂していたとも言えよう。ただ、中也は〈生きたい〉という一
念で狂いを抑えこんでいた。視線がウロウロして何を読んでも内容が頭に入
ってこない状態は、まさにインクのついていないペンで浄書の仕事をしてい
たワーシャと同じである。中也がワーシャの自己破綻を免れたのは、彼の中
にワーシャを描いた作者の領域がかろうじて残されていたからにほかならな
い。もし中也が表現者でなかったならば、彼がこの危機を乗り越えられた保
証はなかったであろう。


その煮え返る釜の中にあつて、私は過ぎし日の「自己統一」を追惜する
のであつた。
かつては私にも、金のペンで記すべき時代があつた! とラムボオが
いふ。
「だいいち」と私は思ふのだつた、「あの女は、俺を嫌つてゐないのだし、
それにむかふの男がそんなに必要でもなかつたのだ……あれは遊戯の好きな
性の女だ……いつそ俺をシンから憎むで逃げてくれたのだつたら、まだよか
つただらう……」
実際、女はたしかにさういふ性の女だ。非常に根は虔しやかであるくせ
に、ヒヨツトした場合に突発的なイタヅラの出来る女だつた。新しき男とい
ふのは文学青年で、・・少なくもその頃まで・・本を読むと自分をその本の
著者のやうに思ひなす、かの智的不随児であつた。それで、その恋愛の場合
にも、自分が非常に理智的な目的をその女との間に認めてゐると信じ、また
女にもそれを語つたのだつた。女ははじめにはそれを少々心の中で笑つてゐ
たのだが、遂にはそれを信じたらしかつた。何故私にそれが分るかといふと、
その後女が私にそれらのことを語るのであつた。それ程この女は持操ない女
である・・否、この女は、ある場合には極度に善良であり、ある場合には極
度に悪辣に見える、かの堕落せる天使であつたのだ。
(334 )
中也は中也なりに自分が口惜しき人にならなければならなかった、その原
因を探っている。なぜ、泰子は小林のもとへと走ったのか。中也によれば、
泰子は中也を「嫌つてもゐない」し、小林を「そんなに必要でもなかつた」
ということになる。中也を大好きだったし、小林を何としてでも必要として
いた、というのでもない。これでは、熱いか冷たいか、どちらかであってほ
しい、というキリスト教の神が求めるものと正反対で、生ぬるきものの典型
になりかねない。中也の言葉で言えば、泰子は〈遊戯の好きな性の女〉で、
中也と小林という将来、近代日本を代表するような詩人と批評家の二人を手
玉にとって遊んだ魔性の女ということになってしまう。
なるほど、泰子に限らず、二人の男に好かれた女は、一人の男を選ぶこと
によって、他の男を捨て去ったりもしないものだ。すべての女がそうだとい
うわけではもちろんないが、複数の男の愛を必要とする女はいるもので、こ
ういう女をひとり占めにしようと思う男は、女に思う存分もてあそばれるこ
とになる。小林に分からないように〈目配せ〉したり、会えばとっくみ合い
の喧嘩までした泰子は、要するに棄てた男も必要としていたのであり、中也
が〈口惜しき人〉になった分、小林もまた地獄の苦しみを味わう者となった
のである。
中也の文章を読んでいると、泰子が小林のもとへと走ったのは〈突発的な
イタヅラ〉ということになる。〈極度に善良〉で〈極度に悪辣〉な〈かの堕
落せる天使〉が泰子ということだが、泰子を〈堕落せる天使〉と見て小林が
誘惑の言葉を発したのか、それとも〈堕落せる天使〉泰子が小林を巧みに誘
惑したのか。泰子が〈突発的なイタヅラ〉の出来る女だとしても、このイタ
ヅラに乗ったのが友人小林であったことに間違いはない。泰子が最初に見た
小林に強い印象を持った時、小林もまた泰子の魅惑的な眼差しに何らかの予
兆を覚えたはずである。いったい、五歳も年下の中也のもとへ、小林は何の
用があって訪れたというのだろうか。中也と同棲している女優志願の美人を
一目見たさに、わざわざ訪れたのかもしれない。東大仏文科に在籍する優秀
な知的青年(文学青年)の姿に、泰子が魅惑されたとしても不思議はない。
中也は小林を〈智的不随児〉とまで書いているが、この言葉には屈折した嫉
妬心のようなものが込められている。
が、もちろん中也の指摘を、単なる嫉妬として片付けることはできない。
中也によれば、小林は〈非常に理智的な目的〉を泰子に提示して、二人の間
の絆を固め、そうすることで中也を裏切らせたことになる。すると、小林は
間違いなく〈天使〉泰子を巧妙な手口をもって堕落させた悪魔ということに
なる。
そして私の推察するに、私の所から逃げた当分は、新しき男とその友人
の家などに行つた場合、男を変へたことを少々誇りげにし、その理由として
男が自分に教へた理智的な目的を語つたり、もつと気粉れな場合には、私に
ついて人に分り易い欠点・・そのために彼の女が私を嫌つたのではない欠点
を語つたらしいのである。また、彼女がこのまま私の許にゐようか、それと
も新しき男にしようかと迷つた時に、強ひて発見した私の欠点を語つたらし
いのである。
つまり女も、また新しき男も、心意を実在と混同する底の、幼稚な者た
ちであつた。
しかし新しき男は、その後非常な勉強によつて、自分のその幼稚さを分
つたらしいから、私はそれを具体的に話すことを此処でしなかつたのだ。
(334 ~335 )
中也は小林が泰子に教えたという〈理智的な目的〉の具体例を何ら示して
いない。〈私について分り易い欠点〉も示していない。「心意を実在と混同
する」という言葉の意味もはっきりしない。従って中也が何をもって小林と
泰子を〈幼稚な者たち〉と見なしたのかも明確ではない。意味は明確ではな
いが、中也が小林と泰子を〈幼稚な者たち〉とみなしていたのであれば、彼
はその〈幼稚な者たち〉によって裏切られたことになる。具体的なことは何
も分からないが、口惜しさいっぱいの中也が小林と泰子に対して、特に小林
に対して優越的な立場に立とうとする虚勢を感じる。
友に裏切られたことは、見も知らぬ男に裏切られたより悲しい・・とい
ふのは誰でも分る。しかし、立去つた女が、自分の知つてる男の所にゐると
いふ方が、知らぬ所に行つたといふことよりよかつたと思ふ感情が、私には
あるのだつた。それを私は告白します。それは、私が卑怯だからだらうか?
さうかも知れない、しかし、私には人が憎めきれない底の、かの単なる多
血質な人間を笑ふに値ひする或る心の力・・十分勇気を持つてゐて而も馬鹿
者が軟弱だと見誤る所のもの、かのレアリテがあるのでないと、誰が証言し
得よう?
が、そんなことなど棄て置いて、とも角も、私は口惜しかった!
(335

奇妙な三角関係の実態だが、そもそも健全な三角関係が成立しない以上は、
中也における感情も理解の領域を超えてはいない。それにしても、泰子が見
知らぬ男ではなく、友人の小林の所へ立ち去ったことをよかったと思う感情
は、いったいどこから生じてきたのだろうか。誇りを傷つけられた男は、相
手の男と決闘して決着をつけなければならない。騎士道精神が生きていた時
代であれば、友人の女を奪った男も卑怯、決闘を申し込まない男も卑怯な臆
病者ということになろう。
中也の文章は決して明確ではない。回りくどく、歯にもののはさまった書
き方である。自分を裏切った小林に対するアンビヴァレントな感情のなせる
わざであったのかもしれない。殺すつもりで近づいて、いざその瞬間に相手
を抱きしめてしまう男の屈折した心理心情のようなものである。憎悪と殺意
に徹することができない、まさに、グチャグチャの愛憎入り混じった感情で
あるが、そこには〈多血質な人間〉(この文章の中において考えれば、それ
は友人の女を強奪した小林にほかならない)を笑って許そうという〈或る心
の力〉も作用している。中也は小林を憎み切れない、それを「軟弱と見誤
る」のは馬鹿者だと言われれば、中也の自分に向けられた非難の防衛戦略も
悲しくけなげに思える。
ひとが卑怯といい、軟弱と見てもいい。中也は敵の小林を殺すことができ
なかったからこそ、泰子の荷物を新居に届けたついでに、小林に皮肉な言葉
を吐いたりしていたのだ。中也は女を奪った男に対し、精一杯の虚勢を張っ
て優位に立とうとしている。中也は小林を殺すに値する立派な〈敵〉とは見
なしたくないのだ。こんな卑怯な裏切者は徹底した憎悪の対象に値しない、
こういう多血質な男は笑って許さなければならない。中也の涙ぐましい〈或
る心の力〉が、一度徹底して壊された自己統一の回復を促している。が、・
・そうだ、中也も「が、」と一字を置いて、「そんなことなど棄て置いて、
とも角も、私は口惜しかつた!」と綴った。
中也は〈口惜しさ〉の渦の中に呑まれて、悶死寸前の危機を、危機のまま
に生きた。かつての友人は〈友情〉なんぞ最初から信じていなかった者のよ
うに、泰子を奪い去った。泰子は中也と同棲はしていたが、自分の意思を相
手に従属させてはいなかった。泰子は限りなく自由であるかのように振舞っ
た。否、新しき男が現れたことによって選択肢をひとつ増やすことになった。
中也に内緒で逢瀬を繰り返すようになった小林は、泰子に「あなたは中原と
は思想が合い、ぼくとは気が合うのだ」と言ったという。小林が〈思想〉と
いうことばにどのような意味をこめていたかは分からない。おそらく泰子に
も分からなかっただろう。泰子にはっきりと伝わっているのは、小林の〈口
説き〉である。〈気が合う〉というのは単刀直入の口説きであり、愛の告白
と言ってもいいだろう。
小林は中也などに関係なく、泰子に対する自分の思いに素直である。小林
は後に文芸評論家として名をなすほどの男であるから、何事にも沈着冷静で、
ことをなすにあたって慎重な男だったかと思いきや、どうもそうではなかっ
たらしい。中也からすれば、小林は中也以上に、否、中也とは性格を異にし
た〈多血質〉の男だったのかもしれない。
関係者の誰もが沈黙しているから分からないが、小林と泰子の肉体関係は
いつはじまったのか、それがはっきりすれば、彼らの三角関係の泥沼の深さ
も、生々しさもより伝わってくるだろう。男と女の関係に、きれいごとはい
っさい通用しない。小林はこの〈三角関係〉の泥沼から、はたして逃げおお
せたのであろうか。
泰子が小林に向かって「あたしはどこにいるの」などと、「妄想のなかの
私の場所」をあてさせたりしたことは、泰子が小林の言葉の実証を執拗に求
めていたとも言える。本当に〈気が合う〉のなら、言葉で説明しなくても瞬
時に分かるはずではないかというわけだ。泰子の潔癖症は、彼女が中也を裏
切ったその〈罪意識〉にも拠るだろうが、同時に彼女が小林に絶対的に依存
しようとしたことにも関係している。
そもそも男であれ女であれ、相手に絶対を求めて救われたためしはない。
もし、あるとすれば相手が神か教祖の場合だけである。小林は泰子に対して、
ある種の絶対者を装って口説いたのかも知れない。それは、中也という〈絶
対者〉(中也の言葉で言えば自己統一を保持した者)を相対化して貶めるこ
とでもあった。泰子は小林の口説きに応じることで、中也の絶対を結果とて
相対化することに成功した。中也は自己の統一を失い、悶死寸前の口惜しき
人となりはてた。しかし、ここから〈口惜しき人〉の復讐劇の幕が切ってお
ろされる。
中也は、小林の留守を狙ってしばしば泰子を訪れ、罵ったり、とっくみあ
いの喧嘩をしたりする。わたしたちは、泰子が、一度棄てた中也が荷物を届
けにくれば、「少し遊んでゆけ」と声をかけたり、中也が小林に皮肉めいた
ことを言えば、そっと目配せする女であったことを忘れてはならない。泰子
と中也の絆は未だ切れてはいないのだ。相対化されてしまった、かつての
〈絶対者〉中也は、今度は泰子とともに、小林の〈絶対性〉を突き崩すため
に全精力を費やすことになる。その意味で、泰子の潔癖症を助長させたのは、
間違いなく中也である。
小林が泰子に「出て行け」と怒鳴られて、そのまま姿を消した時、まさに
この時、小林は〈絶対〉からの撤退を余儀なくされたと言える。この時、小
林が中也と同じく〈口惜しき人〉となったのか、それとも〈シベリア流刑〉
から解放された人となったのかは判然としないが、いずれにせよ小林は泰子
との関係において〈絶対者〉の椅子から立ち去ったことだけは確かなことで
ある。


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