2009
07.22

小林秀雄の三角関係(連載3)

小林秀雄

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2008年夏 ロシアへの旅
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小林秀雄の三角関係(連載3)

(初出「D文学通信」1188号・2009年05月20日)
清水正
『罪と罰』のスヴィドリガイロフは女と男の関係は他人には推し量れない、
当人同士にしか分からないものがあると語っていたが、まさにその通りであ
る。中也と泰子の二人の関係は小林にとって解き明かせぬ謎であり、泰子と
小林の関係は中也にとっても深い謎なのである。


それにしても、小林はまことに厄介な三角関係の泥沼の中に足を踏み入れ
てしまった。中也はまだ十代の子供であり、いくら文学上のことでは小林と
対等にわたりあっていたとは言っても、五歳の年の差は大きい。泰子が三歳
年下の中也には得られなかった何かを小林に見出していたことは確かであろ
う。中也が泰子に母親のイメージを抱いていたこともあるだろうし、泰子が
小林に父親的な存在を感じていたかもしれない。もしそうであるなら、小林
は子供・中也から母親・泰子を奪略してしまった父親ということになる。
それにしても、最初から居場所の分からない所に新居をかまえたらいいよ
うなものの、目と鼻の先のような場所で同棲をはじめた、その小林と泰子の
気がしれない。どうやらこの三人のあいだには一筋縄ではいかない、奇妙な、
切っても切れない〈絆〉ができていて、第三者の介入を許さないところがあ
る。
中也には自分を裏切った女を捨てきれない未練があり、泰子も泰子で中也
を完璧に拒めない何かがある。小林もまた小林で、女は奪略したが、女が同
棲していた相手の男を抹殺しかねた。十九世紀のロシアなら決闘沙汰になっ
てもおかしくないほどの裏切りである。中也にしてみれば、これほどの屈辱
恥辱もない。自分が棄てた女を友人が拾ってくれたというのではない。泰子
と小林は中也に内緒で逢瀬を繰り返し、そして新居をかまえるに到ってその
裏切りを完結させている。中也は、決闘の通告ではなく、裏切った女が残し
たワレ物の荷物を送り届けに〈新しき男〉の新居を訪れたというのであるか
ら、屈辱に屈辱を重ねたようなものである。
中也がわざわざ送り届けたものが〈ワレ物〉であったというのも象徴的な
である。泰子は中也にとって実に割れやすい、厄介な荷物であったことも確
かであった。今、中也はわざわざ泰子が危険な〈ワレ物〉であることを告知
するために、屈辱を押して小林が構えた新居にやってきたようにも見える。
〈ワレ物〉はまたつい最近まで〈我物〉でもあったわけで、中也は危険な
〈ワレ物〉を間違いなくここで小林に譲渡したということになる。ところが、
にもかかわらず小林は泰子を捨てて身を隠してしまった。
泰子が中也を棄てて小林のもとへと走ったのは大正十四年(1925)の十一
月、泰子の潔癖症はひどくなり、小林と泰子は翌年の五月から鎌倉の方へと
移る。が、転地療養も泰子の潔癖症を治すことはできず、半年後に二人は池
谷信三郎の住んでいた逗子に移って、彼の家にただで住まわせてもらうこと
になる。当時を振り返って泰子は次のように語っている。
そのころ、小林と中原との仲がもとにもどっていたのじゃないかと思う
んですが、やっぱり中原の消息は知りません。私はそれどころじゃなかった
んです。小林は小林で、病気の私をかかえて、どうしたものかと途方に暮れ
ていたこともありました。そんなとき、私のことを相談するといえば、やっ
ぱり中原しかいなかったんでしょう。小林が中原と会っていたとすれば、私
を中原のところから連れて来たことを後悔して、悩んだすえでしょう。
(84
~85)
こういった回想は微妙である。小林が泰子のことで中也と会って何か相談
していたかもしれないというのは、あくまでも泰子の推測の域を出ていない
ので真偽のほどはわからない。が、小林が泰子を中也から略奪したことを後
悔して悩んでいたというのは確かだろう。否、小林は泰子を中也から略奪し
きれなかった。中也は〈口惜しき人〉になったが、しかし小林と泰子にまと
わりついてはなれず、裏切った二人に見きりをつけないというかたちで復讐
しつづけた。小林は泰子という厄介で危険な〈ワレ物〉を中也から一時預か
ったという哀れな役まわりを演じなければならなかった。しかも〈口惜しき
人〉は、どんなに過剰防衛しても、その隙を狙いすまして、その〈ワレ物〉
に衝撃を与えつづけてやまない。まさに小林は、泰子以上の厄介な〈ワレ
物〉(我者)である中也とのっぴきならない関係を結ばされてしまった。
小林と泰子が逗子から東京に戻ったのは昭和二年(1927)の秋である。二
人は目黒の台町に住む。その頃、親交のあった河上徹太郎は『私の詩と真
実』の中で小林について次のように書いている(引用は『河上徹太郎全集』
第二巻・昭和四十四年六月・勁草書房に拠る)
その頃彼は大学生だつたが、或る女性と同棲してゐた。彼女は、丁度子
供が電話ごつこをして遊ぶやうに、自分の意識の紐の片端を小林に持たせて、
それをうつかり彼が手離すと錯乱するといふ面倒な心理的な病気を持つてゐ
た。意識といつても、日常実に瑣細な、例へば今自分の着物の裾が畳の何番
目の目の上にあるかとか、小林が繰る雨戸の音が彼女が頭の中で勝手に数へ
るどの数に当るかといふやうなことであつた。その数を、彼女の突然の質問
に応じて、彼は咄嗟に答へなければならない。それは傍で聞いてゐて、殆ん
ど神業であつた。否、神といって冒涜なら、それは鬼気を帯びた会話であつ
た。
(240 )
泰子は自分の潔癖症の或る一つの事例を次のように語っている。
「あたしはどこにいるの」
たとえば、私は小林にこう質問するんです。小林はそれに応じて、「ど
こそこだ」というわけです。そんなとき、私は自分だけの妄想の世界のなか
にいて、その妄想の世界での私のいる場所を、小林にいい当ててもらいたい
んです。小林は答えるべきことばをこしらえて待っておりました。だけど、
妄想のなかの私の場所を、小林はいい当てられるはずがありません。
まるでパズルみたいなもんですが、私の出す質問にパッと答えが出なけ
れば、もうワーワーになってしまうんです。そして、気持はますます難解に
なっていきました。
(93)
まさか泰子は中也に対しても同じような質問を発していたわけではないだ
ろう。泰子は中也を裏切ったわけだから、裏切った男に自分が今何を考えて
いるかなど当てさせる必要はまったくない。本来、女は一度棄てた男などに
かかずりあうことはない。中也の場合は、彼がしつこく泰子につきまとった
ので、泰子も完全に縁を切れなかったまでのことである。そしてこの完璧に
縁を切れなかったところに、小林、中也、泰子における三角関係の滑稽と悲
劇があった。泰子は当然、小林に対して中也以上の愛を要求したであろう。
中也は泰子を面倒くさいと感じたことはあったが、いざ泰子が小林のところ
へ走ってからは、その喪失感は予想をはるかに超えていた。中也はまるでだ
だっ子のように泰子の後を追いまわした。中也は泰子に対して父親のように、
保護者のように、亭主のように振舞ったと伝えられているが、実情は子が母
を慕うようなものであったかもしれない。泰子が〈母〉のような存在であっ
たとすれば、たとえ泰子に新しい男が現れても身を引くわけにはいかなかっ
ただろう。小林を父と見たてれば、中也は泰子が小林のところへ行ってしま
っても子としては一歩も引かずにまとわりつけたというわけだ。母と子の絆
に打ち勝つ男と女の関係はあり得るのか。子供を棄て、夫を棄てて新しい男
に身を投ずる女の例など珍しくもないが、棄てた男に子供以上の執念でまと
わりつかれた泰子のような女は稀だろう。中也のような男の女を略奪した小
林はとんでもないお荷物を引き受けてしまったということである。泰子の罪
の意識(泰子自身は中也を棄てて小林に走ったことに罪の意識を感じなかっ
たと証言しているが、先に指摘したように彼女に発症した潔癖症が罪意識の
顕現である)に、裏切りの共犯者小林が苦しめられるのはごくとうぜんのこ
とということになる。
私の質問病では、さんざん小林を困らせ、思いどおりの答えが返ってこ
ないときは、私は泣きわめき地団駄ふんで、赤ん坊と同じになりました。小
林は私の病気が肺病かなんかだったら、いくらでも介抱してやるんだけど、
ことばがこんなんじゃどうしようもない、とよくいっておりました。いま思
うと、二人の生活はちょっと想像できないくらい凄絶なものでした。(94)
ある日、まだ目黒の路面電車があったころ、私はなにかでヒステリーお
こして、電車が来ているのに、小林をそのほうに突き飛ばしたことがありま
した。そのときは小林がほんとに腹をたてて、「俺を電車にひかせようとし
た」といっておこりました。危険なほど電車は接近してなかった、と私はい
いましたが、小林にしてみれば身の危険を感じていたようです。それで私を
恨んでいたようなときもありました。
なにかの話のついでのとき、小林は「こんなになっちゃ、心中するか、
でなかったら俺が逃げ出すか、そのどっちかだ」などといったこともありま
した。
(94 95)
心中か逃亡か、小林はかなり切迫していた。一緒にいてもいっこうによく
ならない潔癖症の泰子とは、ごくあたりまえの夫婦生活を送ることはできな
い。中也という過去をどうしようもなく引きずっていた泰子と小林である。
小林が結果として泰子からの逃亡を選んだことは賢明なことであったのか。
ロゴージンはナスターシャを殺害して自らは狂気の淵へと落ちて行ったが、
小林は泰子を殺して一つの決着をはかろうとしたことはなかったのであろう
か。もし小林が泰子と心中していれば、中也は単なる〈口惜しき人〉から永
遠の敗北者の感覚を味わうことになっただろう。
小林はいつもよく勉強しておりました。一緒に電車に乗っても、たいて
い本を読んでおりました。私は小林の一所懸命に勉強している姿を、素敵だ
と思っていました。あの人が黙っているときの感じというのはすごく魅力的
でした。それで、私はいつでも小林、小林っていっちゃって、もう甘ったれ
て子供みたいになってしまっていました。一人じゃなにもできない人間にな
っていたんです。
(97)
私は精神年齢が低かったから、中原になにかいわれると、カーッとなっ
ていました。いつかはレストランで喧嘩になつちゃって、私たちはフォーク
とナイフでわたり合ったんです。そこで立ち回りがはじまるんですけど、一
緒に行ってる連中はそれを黙って見ているだけでした。
小林にとって、私たちのそうした喧嘩は、実に不愉快な光景に見えるん
でしょう、中原と私が姦淫しているように見える、と小林がいったこともあ
りました。それほど、私たちの立ち回りは馴れたものがありました。
(98)
この回想を読むと泰子が小林のどのようなところに魅力を感じたのか、泰
子と中也の切っても切れない関係の糸がどのようなものであったのかがよく
伝わってくる。泰子と中也のひと目をはばからない立ち回りを小林が二人の
〈姦淫〉と見ていたこともよく分かる。この奇妙で滑稽な三角関係の泥沼か
ら抜け出すにはどうしたらいいのか。少なくとも、小林には泰子と中也を巻
き添えにしてこの泥沼の底に沈みきろうとする意思を感じることはできない。
〈口惜しき人〉の反逆は思いのほか強烈であったとも言えようか。小林は泰
子と面と向かって闘い、二人して地獄へ堕ちて行く途を避け、泰子の前から
姿を消す途を選んだ。小林との〈破局〉に到った経緯を泰子は次のように語
っている。
私はそのころよく音楽会にも出かけておりました。日本青年会館であっ
た新響の定期演奏会に行ったとき、私は山岸光吉さんという方と知り合いに
なりました。山岸さんは早稲田の理工科を出た若い建築技師で、そのころ、
中野に住んでおられました。家が近かったから、ときどき遊びにも行ってお
りました。
あれは昭和三年の五月二十五日でした。私は山岸さんのところに遊びに
行って、夜遅く帰って来ました。遅くなったからというんで、山岸さんに家
まで送って来てもらったのですが、そのとき小林は勉強してたんだと思いま
す。私たちの立っていた道のすぐそばの窓から、小林をよびました。小林は
窓ぎわにいたんです。「私送ってきてもらったから、お礼いってちょうだ
い」といいました。
小林は窓をガラッと開け、「どうもありがとうございました」というな
り、もうピシャリとその窓を閉めてしまったんです。それで山岸さんは帰り
ましたが、今度は私が家のなかになかなか入って行けませんでした。かなり
神経は高ぶっていました。
私はただでも、外から帰ったときは、そのホコリを紙でふきとるために
大変なんです。そのうえ小林は私の思いどおりのお礼をいってくれなかった
から、もう自制心をなくしてワーワーになっておりました。小林は私がつぎ
つぎ発する質問にも、その夜はうまく答えてくれませんでした。それで私は、
小林に「出て行け」と叫んだんです。
私はまさかと思いましたが、小林はそのまま出て行ってしまいました。
夜中の二時ごろだったでしょう。着物を着て下駄をはいておりました。その
下駄の足音がだんだんと遠ざかって消えて行きました。はじめのうちは、す
ぐ帰って来てくれるだろうと思っていました。だけど、小林はもう二度と、
私のところに帰って来ませんでした。
(98 ~ 99)
ついに小林は家出を決行した。女が男に愛想をつかして家を出るというの
は、珍しくないが、出ていけと怒鳴られて家を出て行った男のケースは稀で
あろう。泰子は小林の行方を必死になって追うが、小林は完璧に姿を消した。
こんな逃亡の仕方が行き当たりばったりとは思えない。小林は泰子との別離
を予め練っていたということだろう。泰子は、小林と離れたことで潔癖症を
回復するが、ということは小林の存在が払っても払っても払いきれないと思
っていた埃ということになる。潔癖症のそもそもの原因は、中也に内緒で泰
子と関わりを持った小林にあったのであるから、小林が去れば当然、泰子の
潔癖症は緩和することになる。いずれにしても、小林は友人の女を略奪して
おきながら、その女を棄てて姿を消してしまったのだから、いわば卑怯のそ
しりを免れることはできない。

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