2009
07.21

小林秀雄の三角関係(連載2)

小林秀雄

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2008年夏 ロシアへの旅
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小林秀雄の三角関係(連載2)

(初出「D文学通信」1187号・2009年05月15日)
清水正
わたしはかつて中原中也と長谷川泰子と小林秀雄の三角関係について、は
っきりと中也の側にたって小林を非難していた。友人の女を横取りするのも
許せないし、さらに許せないのは泰子のもとから逃げ出したことである。い
くら泰子の潔癖症が昂じたとはいえ、出ていけと怒鳴られて出ていくのはな
んともみっともない、と思っていた。一方、自分の女を、よりによって信頼
していた小林に奪われた中也だが、彼はそれ以来口惜しき人となったと言い
ながらも、泰子との関係から逃げ出すようなことはなかった。忘れた荷物を
小林と泰子の新居にまでわざわざ運んだりしている。わたしならどんなこと
があっても、自分を裏切った男と女のところへのこのこ出かけていくような
真似はしたくないと思うところだが、中也はいったいどんな気持ちで二人の
ところへ出かけて行ったのだろうか。罵りの言葉の一つでも浴びせるつもり
であったのだろうか。


泰子は荷物を持ってきた中也に「少し遊んでゆけ」と声をかける。こうい
った声をかけずには帰りそうもない様子が中也にあったのかもしれない。疾
しさ一杯の背中を丸くして新聞を読んでいた小林のいる部屋にあがりこんだ
中也が、いったいどのような言葉を発したのか。皮肉まじりの言葉を小林に
浴びせたというのはわかるが、小林がどのように対応したかは見えてこない。
ひたすら沈黙を守って難を逃れようとしたのか。泰子は事実に関しては的確
に記憶しているようにみえるが、言葉のやりとりに関しては何ら具体的な証
言を残していない。小林と中也の精神世界に具体的にかかわることができな
かったというとことであろうか。
「大島へ旅行してみよう」「一緒に住もう」小林が泰子に発したこの決定
的な言葉によって二人は結びつき、そして「出て行け」という泰子の一言で
二人の関係は破綻した。ところが中也と泰子の関係はそんなやわなものでは
なかった。小林と泰子の新居に現れては、小林の前で大喧嘩までしていたと
いう中也と泰子の結びつきに小林が妙な嫉妬心にかられたとしても不思議で
はない。小林は本当に中也から泰子を奪いきれてはいなかったということで
ある。泰子は小林のもとへ身を移した。しかし中也との絆を断ち切っていた
とは言えない。まさに泰子は、ムイシュキンとロゴージンの間で引き裂かれ
てしまったナスターシャのごとき精神の分裂を体験していたのかもしれない。
少なくともドストエフスキーに心酔していた小林は、自分たちののっぴきな
らない三角関係を『白痴』のそれに重ねていただろう。
それにしても小林は、自分をいったい誰に重ねていたのだろうか。ドスト
エフスキーが真実美しい人間の具現化を目指したというムイシュキンだろう
か、それとも強引に金づくでナスターシャを自分のものにした商家のがさつ
な息子ロゴージンだろうか。わたしが知っている小林の端正な知的な顔写真
のイメージからは、ロゴージンのそれを重ねることはとうていできないが、
かといって純粋無垢な白痴のムイシュキンと重ねることはさらに無理である。
大雑把な見方をすれば、中也の方がムイシュキンのイメージに近いものが
ある。中也が〈真実美しい人〉であったかどうかは別問題として、彼が純粋
な精神を生きた詩人であったことを疑う者はいないだろう。中也がうちに抱
えた狂気、憤怒、悲嘆を疑う者もいないだろう。彼は自分の心を欺いたこと
はなかったし、だからこそ対人関係において円満な協調関係をつくることが
できなかった。精神が不断に覚醒している者の言動は、普通の穏健な人の目
から見れば泥酔者のそれと似たり寄ったりである。狂人のレッテルを張られ
て病院送りにならないとも限らない。詩人という称号を受けて、世に受け入
れられた時はすでにご当人がこの世の人ではなくなっているというわけだ。
泰子が小林のところへ行ってしまった時、中也は口惜しき人になったわけ
だが、しかし中也が泰子に対してうんざりしていたこともまた確かであった。
泰子の潔癖症に悩まされたのは小林だけではない。とうぜん中也もまた悩ま
されていたことだろう。だから泰子が小林のとこへ行くと言いだした時、中
也のなかで厄介払いができたというような感じもあったことは否めない。し
かし人間の感情はわがままなもので、いざ泰子が小林のとこへ行ってしまう
と、この二人の裏切りを許せなく思うのもまたごく自然な感情ということに
なる。泰子と中也の関係は男と女の関係を超え出ているところもある。単な
る男女関係であれば、中也は意地でも泰子と小林の新居を訪ねるようなこと
はしなかったに違いない。
小林にとって泰子の魅力はどこにあったのだろうか。泰子は中也の女であ
ったのだから、小林が泰子と一緒に住もうと決意したことは、たとえどんな
弁解を用意したところで無駄である。小林は中也との文学上の関係よりも、
泰子との〈夫婦〉としての新たな関係を選び取った。男と男の友情よりも、
男と女の間に生じた感情に素直に従った。泰子と一緒になることは、泰子と
二人して中也を裏切ることを意味する。世間の目を意識したり、倫理的な見
解を重要視したりする意識よりも、泰子を所有するという欲望をなによりも
優先させた結果が同棲である。
小林が当時泰子に対してどのような気持ちを抱いていたかは、彼が泰子に
発した言葉で十分にうかがえる。彼は中也にはあくまでも内緒で、泰子と二
人きりで大島に旅行したかったのだし、中也になんと思われようと泰子と二
人で住みたかったのである。中也がどのような性格であるのかも、小林は予
めすべて承知の上で泰子との同棲を決めたのだとすれば、新居にたびたび中
也が訪ねてきて、泰子と言い争いなどするのを目撃しても何も言えなかった
であろう。中也を口惜しき人にした張本人が小林であってみれば、小林は中
也に関して偉そうな口をたたくわけにはいかない。
自分の女を信頼していた小林に奪われた中也が、どれほど口惜しい思いを
したか、それはどんな鈍感な者にも察しがつく。ところで、友人の女を奪い
取った小林はどうだろうか。彼は彼で、奪い取った者としての苦しみを味わ
ったのだろうか。
泰子の回想を読んでいると、どうも彼女には中也を裏切ったという意識も、
したがってそれに付随する罪の意識もないように思える。罰があったとすれ
ば、それは彼女が小林に思いを寄せるようになったころから発症した潔癖症
ということになる。それでは共犯者の小林は、いったい中也に対してどのよ
うな感情を抱いていたのか。わたしは先に「やましさいっぱいの背中を丸め
て」というような言いかたをしたが、それは友人の女を奪った男が、奪われ
た男に対して抱く当然の感情だと思ったからそう書いたのだが、しかし本当
のところは霧の中である。
小林は、泰子は中也と一緒にいるよりは自分と一緒にいた方が幸せになる、
という気持ちがあったからこそ、病院に見舞いに訪れた「中原中也の奥さ
ん」に向かって「一緒に住もう」と口に出したのであろう。もちろん泰子の
同意がなければ、こういった言葉は滑稽の極みとなる。小林は大島旅行をす
っぽかした泰子が病院に見舞いにきてくれたことで、泰子の気持ちに確信を
もち、一緒に住もうと口にすることができた。
小林が泰子を奪ったということは、泰子が小林をそのように仕向けたとも
言える。いわば小林は泰子に試されたとも、そそのかされたとも言えるとこ
ろに、男と女ののっぴきならない関係がある。先にも少しばかり触れたよう
に、泰子は中也と小林の関係性、すなわち彼らが交わした話の内容に関して
はいっさい話していない。文学や芸術に関する話を泰子がどこまで理解して
いたか。文学を介した男と男の親密、濃密な関係性に嫉妬を覚える女は少な
くない。多少とも小悪魔的な要素を持っている女なら「小林と私とどっちが
大切なの」とか、言ったり思ったりするものなのである。どんなに強い絆で
結ばれているように見えても、小林は中也が不在となれば、中也に内緒で泰
子と逢瀬を繰り返す。泰子が意識するしないにかかわらず、男たちの友情な
どというものはそんなものだということになる。小林にはどんな弁明も許さ
れない。だから小林はいっさい弁明しなかった。
中也は小林のところへ走った泰子を思い切ることができなかった。俗に言
う未練たらしい男となった。なぜこんなことになってしまったのか。
中原にしてみれば、すべてが突然のことだったと思います。はじめはき
っと、私がちょっと遊びに行くくらいに思っただけなんでしょう。いよいよ
荷物を運び出して去って行くときになっても、中原はやっぱり実感が湧かな
かったようでした。何ということもなく、私は小林のもとへ行ったんです。
(73)
中原は「我が生活」で次のように回想している(引用は『新編中原中也全
集』第四巻・平成十五年十一月・角川書店に拠る)
私はほんとに馬鹿だつたのかもしれない。私の女を私から奪略した男の所
へ、女が行くといふ日、実は私もその日家を変へたのだが、自分の荷物だけ
運送屋に渡してしまふと、女の荷物の片附けを手助けしてやり、おまけに車
に載せがたいワレ物の女一人で持ちきれない分を、私の敵の男が借りて待つ
てゐる家まで届けてやつたりした。尤も、その男が私の親しい友であつたこ
とゝ、私がその夕行かなければならなかつた停車場までの途中に、女の行く
新しき男の家があつたことゝは、何かのために附けたして言つて置かう。
私は恰度、その女に退屈してゐた時ではあつたし、といふよりもその女
は男に何の夢想も仕事もさせないたちの女なので、大変困惑してゐた時なの
で、私は女が去つて行くのを内心喜びもしたのだつたが、いよいよ去ると決
つた日以来、もう猛烈に悲しくなつた。 もう十一月も終り頃だつたが、
私が女の新しき家の玄関に例のワレ物の包みを置いた時、新しき男は茶色の
ドテラを着て、極端に俯いて次の間で新聞を読んでゐた。私が直ぐに引返さ
うとすると、女が少し遊んでゆけといふし、それに続いて新しき男が、一寸
上れよと云ふから、私は上つたのであつた。
それから私は何を云つたかよくは覚えてゐないが、兎も角新しき男に皮
肉めいたことを喋舌つたことを覚えてゐる。すると女が私に目配せするので
あつた、まるでまだ私の女であるかのやうに。すると私はムラムラするのだ
った、何故といつて、・・それではどうして、私を棄てる必要があつたの
だ?
(330 ~331 )
小林はもはや〈友人〉でもなければ文学上の仲間ですらない。小林は〈私
の女を私から略奪した男〉であり、〈私の敵の男〉であり、泰子の〈新しき
男〉である。〈その男〉は〈私の親しい友〉であったが、〈私の女〉を〈略
奪した男〉になったことで〈私の敵〉となり、〈私〉が彼らの新居を訪ねて
いくと〈極端に〉に背を丸めて新聞などを読んでいる。中也がとらえた〈新
しき男〉の姿にはいっさいの弁明を拒まれた、疾しさ一杯の間男の卑しさが
にじみ出ている。
泰子は中也が訪ねてくると、平然として「少し遊んでゆけ」などと口にす
る。泰子はいわば魔性の女で、二人の男を彼女本人が明晰に自覚しないよう
なかたちで弄んでいるようなところがある。中也が〈新しき男〉に皮肉めい
たことを喋ったりすると、泰子は中也に〈目配せ〉したりする。〈新しき
男〉の〈女〉になったはずの泰子が「まるでまだ私の女であるかのやうに」
ふるまい、そのことで中也は〈ムラムラ〉する。中也はムラムラしながら、
「それではどうして、私を棄てる必要があつたのだ?」と思う。
中也は泰子を小林に奪われて〈口惜しき男〉となった。その怒り、嘆き、
悲しさはストレートに伝わってくる。そしてこの〈生活記録ふうの散文〉を
じっくり読めば、奪った男の心情も、最初の男を棄てた女の心情もそれなり
に浮上してくる。中也を棄てた女には、まだ棄てた男に〈目配せ〉するだけ
の茶目っ気も余裕もあるが、〈奪略した男〉には疾しさ一杯の〈敵の男〉の
姿だけが強くイメージされるだけである。見方を換えれば、中也に小林の内
面を察する余裕も同情も愛もないということだ。これはごくあたりまえの心
理心情で、自分の女を奪略した〈親しい友〉の内面などに踏み込みたいなど
と思う者はいないだろう。
中也は奪略男に皮肉めいたことを喋ったとは書くが、その具体的な言葉を
記そうとはしないし、ましてやその時〈敵の男〉がどのように答えたのかも
いっさい記してはいない。自分に目配せする女に中也はムラムラするが、そ
れに小林が気づいていたとしたら、彼はいったいどんな気持ちであったろう
か。まさか小林が、中也に目配せするような女に心穏やかであったはずもな
い。
「Д文学通信」発行所【D文学研究会】・270-1151我孫子市本町3
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