2009
07.21

小林秀雄の三角関係(連載1)

小林秀雄

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2008年夏 ロシアへの旅(猫蔵・清水正・山崎行太郎)
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小林秀雄の三角関係(連載1)

(初出「D文学通信」1186号・2009年05月10日)
清水正
わたしが中原中也と長谷川泰子と小林秀雄の三角関係を知った当時は、友
人の女を奪っておいて、その女から逃げてしまった小林秀雄を卑怯な男だと
思っていた。中原中也は友人の小林秀雄に同棲していた女を奪われ、それ以
来口惜しき人になったと書いている。注目すべきは小林秀雄のところへ走っ
た長谷川泰子を中原中也は憎み切れていないことである。中也は優しい男で
あるのか、それとも未練たらしい男なのか。中也は運び残した長谷川泰子の
荷物を、敵の男の家まで届けてやっている。その時、泰子は「少し遊んでゆ
け」と声をかける。中也は泰子の言葉に甘えて部屋にあがる。小林秀雄はこ
の時やましさ一杯の背中をまるめて新聞などを読むポーズをくずさずにいる
が、友人の女を奪った男と奪われた男が、当の女を間にはさんでいったいど
のような会話を交わしたのであろうか。


「少し遊んでゆけ」と声をかける泰子も泰子なら、その言葉を真に受けて
上がりこむ中也も中也である。こんな二人のやりとりをいったい小林はどん
な気持ちで聞いていたのだろうか。中原の「我が生活」を読むと、小林は泰
子に続いて「一寸上れよ」と声をかけている。小林のこの言葉もあったので、
中也は惑いながらも部屋に上がり込んだのかもしれない。いずれにせよ、小
林は泰子と中也の関係性のカオスのただなかに紛れ込んでしまった。これは
粘着性のある蜘蛛の巣にかかってしまったような事態であり、小林は必死に
なってこの蜘蛛の巣から逃げ出さなければ窒息死でもするほかはなかったで
あろう。
泰子の潔癖症は中也との同棲時代に始まっていたが、このいわば精神上の
病は泰子が小林に惹かれ始めたころから発症している。泰子は中也と同棲し
てはいたが、どうしようもなく好きで好きでたまらないという仲ではなかっ
た。少なくとも、泰子の証言によればそういうことになる。
泰子が小林に惹かれ始めたころ、彼女は潔癖症に襲われることになるが、
その原因はやはり中也を裏切ったことにあろう。泰子自身はそのことを認め
ていないが、彼女自身の証言を読めば明白である(引用は『中原中也との
愛』角川ソフィア文庫に拠る)
富永さんが亡くなったのは、大正十四年の十一月でした。電報で中原に
知らせて来ました。中原は「富永が亡くなった」と私にいいました。それか
ら中原がどうしたか、覚えておりません。富永さんも死んじゃったかと思い
ながらも、私の人生問題のほうに頭がいっぱいでした。もうあのころは小林
のところへ行くことを、内心きめてました。そのことについてはあとでお話
しますが、富永さんのことを考えるほどの余裕がなかったことは確かです。
私はのちに潔癖症というのに悩まされるんですが、考えてみると高円
寺のころから、その兆候はありました。高円寺の家に梅の木があって、その
梅の実が二階の屋根にポトッ、ポトッと落ちるんです。それがはじめは何の
音だかわからなく、屋根を人が歩いているのかと思いました。恐ろしくって、
しばらくは息をころしておりました。だけど人ではないらしいので、外に出
て家のまわりをめぐってみると、梅の実が落ちているんです。それで安心し
ましたが、私は気になりだすと、どうにも気分の転換ができなくなるんです。
中原も夜遅く帰って来て、やっぱりその音が気になりだしたんです。
起き出して「あれ、泥棒だ」といいました。
「あれは梅の実が屋根に落ちてる音なのよ」
「いいや、泥棒だ」
「梅の実よ」
「いいや、泥棒だ、動いている」
中原は私が戸外に出て、それを確かめたことをいっても信じないんです。
泥棒が玄関から来るといって、階段のところに腰かけて、じっと見ているん
です。私もやっぱり起き出さずにおれません。
「梅の実が落ちてるんだから」
「シィーッ、影が動く」
「梅の音よ」
「泥棒だ」
こうなってくると、私はもう寝られません。梅の実が屋根に落ちる音だ
と思っていたから、別にその音が気にならなくなっていましたけど、中原が
こんなにまでいうと、その音を泥棒のだとは思わなくても、別の強迫観念み
たいなものが、私の心に頭をもたげてきたんです。
(65~66)
泰子は梅の実の落ちる音と言い、中也は泥棒だと言ってゆずらない。この
エピソードの面白さは中也の感覚の鋭さと泰子の無邪気さである。どんなに
勘の鈍い者でも〈泥棒〉が泰子を奪った小林秀雄の隠喩になっていることは
分かるだろう。そうでなくても人一倍想像力豊かな詩人中也が、泰子と小林
秀雄の仲を知らなかったわけはない。小林秀雄は闇に乗じて泰子を奪いにき
た泥棒であり、中也はそのことを確信している。
泰子が中也と東京へ出てきたのは大正十四年(一九ニ五)、早稲田大学近
くの戸塚源兵衛という所に下宿する。やがて中野に転居するが、ここに小林
秀雄が訪ねてくる。その運命的な出会いを泰子は次のように話している。
中野に移っても、所在なさは変わりません。そんなある日、それも急に
雨が降りはじめた夕方でした。私は六畳の部屋から、雨にぬれた井戸のあた
りをぼんやりとながめていたとき、その家でのはじめての訪問客がやって来
たんです。その人は傘を持たず、濡れながら軒下に駆けこんで来て、私を見
るなり、
「奥さん、雑巾を貸してください」といいました。
私はハッとして、その人を見ました。それまで、私は雨のふる光景をみ
て、感傷にふけっていたから、急には現実感をよびもどせません。その人は
雨のなかから現れ出たような感じでした。雨に濡れたその人は新鮮に思えま
した。
(59~60)
小林秀雄は一高から東大仏文に入ったばかりの二十三歳、泰子二十一歳、
中也十八歳の時であった。年下の男と同棲していた泰子の前に突然その姿を
現した小林秀雄。泰子の目に小林はまぶしく映った。おそらく小林も泰子を
一目見て何か運命的なものを感じただろう。男と女の間に走る電流は最初の
出会いのその瞬間にある。中也は小林を我が家に引き入れたことで、取り返
しのつかない危険な舞台を提供してしまった。
運命的な出会いにおいて、その最初の出会いを失念してしまう者はいない。
泰子の記憶は半世紀近くたった後においても鮮明である。中也にないものを、
泰子は秀雄の様子に見て取り、何か決定的なものを刻印された。しかしそれ
を泰子は〈秘密〉とも意識せずに心の奥底へと沈めた。だが、その代償とし
て潔癖症を患うことになった。
あれは七月のことでした。中原は故郷に帰って、いないときです。小林
が一人でたずねて来ました。おそらく、小林にしてみれば、はじめは女がい
るから、ちょっと行ってみよう、そんな気持だったと思うんです。きっかけ
というのはこういうものかもしれませんが、二人きりで話していると、何か
妙な気分になりました。あのときは別にどうということもなかったけど、私
はそれからときどき、中原に内緒で小林と会うようになったんです。
「あなたは中原とは思想が合い、ぼくとは気が合うのだ。」
二人で会ってたときなど、小林はこういったこともありました。
(70)
中也と泰子が同棲していた家の屋根に落ちてきたのは、まさに単なる梅の
実ではなく、中也の留守を見計らって泰子を奪いに来た秀雄という泥棒であ
った。
泰子は「私は中原に対して、別にやましいところがあったとは思っており
ません」と語る。奇妙な開き直りである。やましさがなければ、秀雄への思
いを中也に正直に打ち明けていただろう。泰子と秀雄は二人して中也を裏切
った事実に間違いはない。やがて秀雄は泰子に「大島へ旅行してみよう」と
もちかける。泰子は少し迷うが、秀雄の言葉を受け入れる。
私は十月のある日の午後一時に、小林と品川駅で落ち合うことにしてお
りました。その日、中原は朝から出かけていましたから、私は何もいわない
で、そのまま出かけようとしたんです。そのとき、ポツリポツリと雨が降っ
てきて、ちょっと空模様をながめてと思っていると、出かけていた中原が帰
って来ました。こうなると、さっさと出にくくなって、しばらく、しばらく
と出発を渋っていたんですけど、約束の時間のほうはもっと気になりました。
(71)
泰子は意を決して家を出て、約束の品川駅へと急ぐが、着いたのは二時、
すでに秀雄は一人で大島に向かっていた。秀雄と約束を果たせなかった泰子
がどんな気持ちで中也の待つ家へと戻ってきたのか。
この時、中也は泰子の浮かぬ顔を見ながらいったい何を思っていたのだろ
うか。すでに泰子の秀雄への思いを感づいていたにもかかわらず、なすすべ
を知らなかったのであろうか。
私が約束をやぶったから、もう小林との間は終わりだと思っていました。
浮かぬ数日を過ごしていたとき、誰だったかが、「小林、腹切ったよ」とい
いました。
私はびっくりしました。てっきり旅行をしていると思っていたら、腹切
ったよと聞いたので、問い返すと、「盲腸炎で京橋の泉橋病院に入院してる
よ」というんです。私は早速見舞に行きました。
私が行ったとき、小林の妹さんがいて、「中原さんの奥さんがお見舞に
来られました」といわれ、ちょっと変な気がしました。小林もちょっときま
り悪いような顔をしておりました。けど、私が見舞に行ったのを、とても喜
んでくれました。
このとき、小林の手術後の経過はよかったようで、ゆっくりなら歩け
るようになっておりました。私を廊下まで送って出まして、小林は二人で一
緒に住もうといったんです。中原のところを出て、小林のところに行くとい
うことに、これまで迷い続けておりましたが、病院の廊下で、「一緒に住も
う」といった小林のことばを聞いたとき、私の腹は決まりました。この人と
一緒に住もう、私はそう思いました。
(71~72)
小林と泰子は中也を裏切ったことに関してはどんな弁解をしても共犯者で
ある。秀雄は泰子を奪うにあたって、中也に予め話をつけていたということ
はないだろう。中也との関係の濃密さよりは、泰子との新たな関係性に身を
投じたと言ってもいい。大島に一緒に旅行に行こう、から一緒に住もうの言
葉を発するまでに、秀雄が確信したのは、泰子が自分との内密な関係を中也
にいっさい打ち明けていなかったということである。その証は泰子が単身、
見舞いに来たことである。しかし「一緒に住もう」という言葉の重さを秀雄
はまだこのときには明確に分かってはいなかった。中也とかかわった女を自
分のものとすることの何たるかを分かっていなかったと言っても同じことで
ある。
私は小林の退院を待って、中原のところを去るつもりでした。それまで
は中原に悪かったけど黙っておりました。いよいよになって、私はこういい
ました。
「私は小林さんとこへ行くわ」
もうそのときは、運送屋さんがリヤカーを持って、表で待っていたんで
す。あのとき、中原は奥の六畳で、なにか書きものをしておりました。そし
て、私のほうも向かないで、「フーン」といっただけなんです。
私は荷物をまとめて、出て行きました。
(73)
男と女のどこにでもありそうな別離の場面であるが、泰子は「中原にして
みれば、すべてが突然のことだったと思います」と語っている。まさかそん
なことはあるまい、と思ったのはわたしだけではないだろう。もし泰子の言
う通りだとしたら、中也はあまりにも鈍感な男ということになる。
小林と中也の精神的な繋がりも、小林と泰子の男と女の〈密通〉に勝つこ
とはできなかった。泰子の回想を読んでいると、彼女は他人の心の動きに対
してかなり鈍感だったのではないかと思う。詩人中也が泰子の心の秘密の領
域に神経の触手を伸ばしていなかったとすれば、こんな滑稽はない。滑稽の
可能性がまったくないとは言えないところに詩人の無邪気な自負と傲慢があ
る。絶対の信頼をおいている者に疑いの眼差しを向ける者はいない。
中也は絶対に信頼をおいている者の裏切りを〈泥棒〉というかたちで直観
する。中也の直観力に比して泰子の鈍感力はずば抜けている。泰子の気持が
すでに小林秀雄に向いていることなど中也はお見通しであったろう。少なく
とも泰子の言うように「すべてが突然のことだった」などということはない
だろう。泰子は「はじめはきっと、私がちょっと遊びに行くくらいに思った
だけなんでしょう。いよいよ荷物を運び出して去って行くときになっても、
中原はやっぱり実感がなかったようでした。何ということもなく、私は小林
のもとへ行ったんです」(73)と続けている。泰子は巧みに自分の気持を偽
っている。しかも泰子はそのことに気づいていない。
泰子が初めて小林に会ったときのことを彼女は鮮明に記憶している。はた
して小林はどうだったのだろうか。実は小林もまた最初に会った時から泰子
との運命的な出会いを意識していたかもしれない。小林に何の回想記もない
のが残念だが、たとえばムイシュキンとナスターシャの出会いを想起すれば
分かるように、男と女の運命的な出会いは、その最初の瞬間によって決定づ
けられている。何年もつきあって恋愛関係に発展するといった散文的なもの
もあるが、それがはたして激しい悲喜劇をはらんだ恋愛と言えるだろうか。
泰子の回想記を読んでいて面白いのは、男と女の関係をいくら理屈で理解
しようとしても無意味だということである。
「Д文学通信」発行所【D文学研究会】・270-1151我孫子市本町3
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