2009
07.16

小林秀雄と古今亭志ん生

ドストエフスキー関係, 小林秀雄

小林秀雄と古今亭志ん生
清水正

%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84%E3%81%A8%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6.jpg
かつて書いたエッセイをこのブログに載せることにした。
つい先日書いたようにも思えるが、2002年五月に執筆したので
すでに七年もたっている。


小林秀雄と古今亭志ん生
清水正

昨日、我孫子の手賀沼に自転車で散歩。図書館に寄って小林秀雄の講演テ
ープ全五巻を借りてくる。前々から聞いてみようと思っていたのだが、延び
延びになっていた。初めて小林秀雄の声を聞いて、思わず笑ってしまった。
それまでカセットに入っていた古今亭志ん生の語り口にあまりにも似ていた
からである。
高い声といい、間の取り方といい、小林の江戸っ子弁で語られる話は、ま
さに古今亭志ん生そのものと言っていいのではないか。わたしは、さっそく
〈小林秀雄と古今亭志ん生〉について書こうと思った。第二巻を聞きながら、
ケースの中に入っていた栞を読んでいると、この講演会の主催者の文章の中
に、彼の奥さんが「古今亭志ん生と似ている」とふともらしたことが書かれ
ている。あんがい、小林秀雄の講演から古今亭志ん生を思い浮かべる人は多
いのかもしれない。
小林秀雄と言えばドストエフスキーである。わたしがドストエフスキーの
『白痴』について書いたのは十九歳の時で、その当時最も熱心に読んだのが
小林秀雄のドストエフスキー論である。二十歳で最初の著書『ドストエフス
キー体験』を刊行したが、生意気盛りのわたしはそれで小林秀雄のドストエ
フスキー論も卒業したつもりになった。わたしは小林秀雄のドストエフスキ
ー論に決別の意を込めてこの著作を彼に送った。その後、何回か小林秀雄の
ドストエフスキー論を読み返す機会もあったが、すでにそれはわたしの論に
影響を与えるものではなくなっていた。
しかし、最初にインプットされた小林秀雄の印象は後々まで残った。彼の
書いたドストエフスキー論とともに、わたしの脳裏に刻印されたのは彼の肖
像写真である。文壇随一の美男子と言われ、面食いの宇野千代も惚れたとい
う小林秀雄の顔は、写真で見ると実に端正で知的である。わたしはこの顔に
惑わされていたのかもしれない。
講演を聞いていると、小林秀雄の端正な顔はいっこうに出てこない。どう
してもあの高座の古今亭志ん生の顔が浮かんでくる。わたしは古今亭志ん生
の大ファンで、夜寝る前には必ず彼の落語をテープで聞いていた時期がある。
ドストエフスキーの初期作品には発狂する人物が多いし、後期の作品などは
かなり深刻なものとして受け止められているが、わたしはドストエフスキー
の作品を落語風に語れたら、どんなに面白いものになるかと常々考えていた。
落語の神髄は肯定であるから、狂気も悪も、淫蕩も犯罪もすべて肯定してし
まう。日本の文化が生んだ、この落語という肯定の坩堝は、ドストエフスキ
ーの文学そのものを呑み込んでしまう力をもっているのではないか。そんな
ことを思って、夜中にひとり、志ん生落語に耳を傾けていたこともある。
初期作品の一つで、ドストエフスキーがはじめて道化を真っ正面から描い
た『ポルズンコフ』、アンドレ・ジイドがドストエフスキーの全作品を解く
鍵だと言った『地下生活者の手記』、それに『罪と罰』の「マルメラードフ
の告白」など、志ん生落語風に話せたら、ずいぶんと面白いだろうなどとも
考えた。
わたしは勤め先の大学で学生相手に長年ドストエフスキーについて講義し
ているが、ものを書いているような調子で話したことはない。わたしのドス
トエフスキー論を知りたければ、学生はわたしの書いた本を読めばいいと思
っている。わたしは、教室ではエンターテインメントに徹している。ドスト
エフスキーの文学がどんなにすばらしいか、どんなに面白いか、ドストエフ
スキーを読まずして人生を語ることなかれ、と熱弁をふるっている。もちろ
んドストエフスキーをいくら読み続けても、何ら究極の答えは得られず、虚
無を超えることはできない、ということも正直に語っている。
宮崎駿の『千と千尋の神隠し』に登場するカオナシや、マンガ版『風の谷
のナウシカ』のナウシカなどもとりあげて、愛や、神や、ニヒリズムや、暴
力などについても語る。言わば、ドストエフスキーにかこつけて何でも語っ
ている。この講座名は「文芸批評論」であるが、小林秀雄の批評などはほん
の十分ぐらいですましている。彼が、ライフワークとしたドストエフスキー
論などたかが知れている。彼のドストエフスキー論を読む暇があるなら、わ
たしのものを読みなさい、といった調子である。裏を返せば、わたしは、依
然として小林秀雄と戦っていたということになろうか。まあ、そうでもない
が、わたしのドストエフスキー論は何も読んでいなくても、小林秀雄のもの
を読んでいる人は圧倒的に多いであろうから、ここではそう言っておこう。
小林秀雄は、キリスト教が分からないのでドストエフスキーをやめた、と
言っている。これは大変な断言で、そこには苦い断念があろう。講演全五巻
を聞いても、ドストエフスキーという言葉は一回こっきりしか出てこない。
三十代、四十代、五十代と、ドストエフスキー論を書きつづけてきた小林秀
雄が、ドストエフスキーを批評しなくなったという、この〈事実〉は厳かに
受け止めなければならないだろう。
わたしは今、『カラマーゾフの兄弟』について断続的に批評を展開してい
る。止める気は毛頭ない。最初の著作のあとがきで書いたように、わたしは
死ぬまでドストエフスキー論を書きつづけていくだろう。キリスト教どころ
か、ロシア語もろくすっぽ読めないが、それでもドストエフスキーの文学か
ら離れることはないだろう。今から二十年も前、後輩の男が「アントニオ猪
木ではなく、ジャイアント馬場になってくれ」と言ったことがある。「男は
闘っていなければ美しくない。女は美しくなければ美しくない」というのが
わたしの冗談のような信条である。どうやらわたしは、戦いのリングから降
りて、町の隠居にはなれない性分らしい。
正直言って、わたしは今まで何度か、本格的に小林秀雄論を書きたいと思
ったことがある。文芸批評をする者は誰でも、一度はきっちりと〈わたしに
とっての小林秀雄〉を確認しておきたいと思うだろう。わたしが独立した小
林秀雄論を執筆しなかったのは、彼がライフワークとしたドストエフスキー
論を書きつづければよいと思ったからである。その意味でわたしは、今も
〈小林秀雄論〉を書きつづけており、闘っている。
それにしても、小林秀雄の講演テープを聞いて、思わず声をあげて笑って
しまったわたしにいかなる邪心もない。それは古今亭志ん生の落語を聞いて
笑った時の声そのものである。小林秀雄がこんな声で、こんな調子で話すひ
となら、生前、一回ぐらいは会っておきたかったと素直に思った。
ちょっと驚いたことを書いておこう。小林秀雄が聴講者の質問に答える場
面で「ぼくのような凡人には」云々と語っていたことだ。自分のことを〈凡
人〉と言うひとは案外多い。わたしはこういった物言いをしたことは今まで
一度もない。はたして〈凡人〉が自分のことを〈凡人〉などと言うだろうか。
そういうひとに限って自分を特別な人だと思っている。そのくせ自分でも
〈特別な人〉としての自信に欠けているものだから、とりあえず自分を〈凡
人〉扱いしてみせる。なんてことはない、これは謙遜を装った傲慢のなせる
技で、聞いている者に厭味な感じを抱かせる。
ところが、小林秀雄が志ん生風の語りで「ぼくのような凡人」と語ったと
き、わたしは一瞬、オヤッとは思ったが、別に何の厭味も感じなかった。古
今東西の天才作家や画家について語ってきた批評家が、自分を何のてらいも
なく〈凡才〉と言い切ってしまう。これを小林秀雄流の逆説で言えば、彼は
自分を凡才と言い切れる天才だったということにでもなろうか。否、こんな
逆説を弄していては〈小林秀雄=古今亭志ん生〉を語ったことにはならない。
わたしはかつて、一生を平凡に生きて死んでいった父親の姿を思い起こし
て心に強く感じたことがある。天才とか、非凡人とか、超人とか、ドストエ
フスキーの人物たちやニーチェはそういった特別な人にこだわったが、わた
しは〈ただの人〉になりたいと思った。同時に〈ただの人〉になることは並
大抵のことではないと思った。こんなことを若い時に思うと、どうしても気
負いがつきまとうが、五十歳を過ぎた今、改めて〈ただの人〉に深い感慨を
おぼえる。
2002年5月3日(金曜日)~5日(土曜日)に執筆               


コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。