2009
07.16

「日本文学特論Ⅱ」(日芸大学院講座)坂本綾乃(連載⑩)

日本文学特論Ⅱ

「日本文学特論Ⅱ」(日芸大学院講座)坂本綾乃(連載⑩)
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なぜ、ドゥーニャはスヴィドリガイロフの申し入れを断り、
ルージンの申し入れを受け入れたのか?


ドストエフスキー『罪と罰』
なぜ、ドゥーニャはスヴィドリガイロフの申し入れを断り、
ルージンの申し入れを受け入れたのか?

坂本綾乃
私にとってルージンほど笑える男はいない。
プリヘーリヤの手紙で登場してくる様は、スヴィドリガイロフと同じだが、全くもってスヴィドリガイロフとは比べ物にならない。プリヘーリヤにとって、ルージンがドゥーニャに対して結婚を申し込んできたことは、スヴィドリガイロフのことがあったからこそ、なんともありがたいことだっただろう。しかし、手紙を読めばわかるように、プリヘーリヤはどこかルージンに対して不満を持っていることがうかがえる。
ルージンが「ドゥーニャを知る以前から、誠実な、けれど持参金のない娘を、それも、ぜひとも貧しい生活を経験したことのある娘をもらいたいと思っていた」とプリヘーリヤに言っていることから、彼女が抱いた「いくらか気むずかしくて、偉ぶった感じ」といった事が伝わってくる、ついで「夫が妻に負い目を感ずるようなことがあってはならないし、それよりは、妻が夫を自分の恩人と見ているほうがずっとよい」と言った上で、後になってから、一生懸命に言い直そうとしているのは様は、なんとも情けない。後にルージンがラスコーリニコフ、ソーニャと会った時に彼の「紳士」な仮面がボロボロはがれていくことを思えば、プリヘーリヤの手紙はよく的を射ていると思う。ルージンのどこか無遠慮すぎるもの言いに、プリヘーリヤはドゥーニャにしっかりと伝えているが、当のドゥーニャは「言葉だけならなんということもないわ」と言い返している。
プリヘーリヤの手紙からは、スヴィドリガイロフとルージンの両方とも駄目な男と受け取れるが、ドゥーニャはルージンとの婚約を決心する。
スヴィドリガイロフとルージンの違いは何であるか? 
二人とも経済力はある、人間性は共に完成していないことから、決定打となるスヴィドリガイロフに無くてルージンにあるもの。それは「弁護士」と言った肩書きだろう。ドゥーニャにとって、離れた場所にいる兄ラスコーリニコフと同じ法学を学んだ上で、社会的に地位があるルージンと婚約することは、ラスコーリニコフにとってもプラスになる。経済的に兄が困窮していることはわかっていた。だから、どんな仕打ちを受けたとしても、スヴィドリガイロフの元からすぐさま逃げだすことはせずにいた。働き口を失ってしまった時に、まさに鴨が葱を背負ってきたかのようにルージンが現れる。よくよく考えれば、どこかできすぎた感があるが、ドゥーニャにとって、ルージンは経済力肩書きを共に備えたありがたい人だった。それに、ルージンについていけば、兄がいるペテルブルグに行くこともでき、ペテルブルグに行くことは、スヴィドリガイロフからも離れることもできるのだ。だから母から聞かされたことに対しても「言葉だけならなんということもないわ」と言えた。
ドゥーニャにとってルージンは恋愛関係、肉体関係を持つこと以前の問題で、様々なことを解決してくれるありがたい人でしかなかったのだろう。ドゥーニャがどうしようもなく打算的な女のように書いたが、ドゥーニャにとってラスコーリニコフの存在は大きく、その兄のためなら捨て身になるといった覚悟がドゥーニャにはあったと思う。
いいように利用された感が否めないルージンは、物語が進むにつれてどうしようも無い男だと言うことが露見していく。機会があったら、ルージンについて考えてみたいと思う。

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