ドストエフスキー関係 清水正ゼミ(「文芸研究Ⅰ」)

清水ゼミ課題・ロジオン・ラスコーリニコフと私

清水ゼミ課題・ロジオン・ラスコーリニコフと私
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沢細井麻奈美  ロージャと私 「勉強・仕事に必要なもの」
辺 遥奈   ロジオンと私
荒井萌美   ラスコールニコフと私
朴 民雨   ラスコーリニコフと似ている私
中野沙羅   拝啓 ラスコーリニコフ


細井麻奈美
ロージャと私
「勉強・仕事に必要なもの」

 わたしは賃貸マンションに家族と同居している。わたしの部屋は九・三畳。リビングが八・五畳だから、我が家で最もいい部屋を、わたしがつかっているといえる。それにはそれなりの理由がある。
五年前に今のマンションに引っ越すまで、わたしには「自分の部屋」というものがなかった。金銭的な理由からだ。わたしはべつに恥ずかしくないのだけれど、たぶん母親が「そんなこと公表しないで」と言いそうなので、具体的な事情は書かないが、ひとことで言ってしまえば「父親が好き勝手に生きた結果、わたしの部屋がなくなった」ということだろう(誤解のないようにことわっておくと、わたしは父親が大好きだ)。
そういうわけで十数年間、わたしに与えられた空間はリビングの片隅にカーテンで区切られた一画のみだった。プライヴァシーもへったくれもない。着替えるときは洗面所へ、電話するときは屋外へ、いちいち移動しなければならない。そんな状況から一刻も早く抜け出したかったわたしは、高校三年の冬、「わたしのお金で引っ越そう!」と家族に提案したのだった。
 正確にいうと、もともとはわたしのお金ではない。母親がわたしの学費のために、学資保険でためてくれたお金だ。わたしは進学も就職もしないのだから、家に「学ぶ場」であり「仕事場」となる空間が必要になる、だからそのお金はわたしの部屋づくりにつかわれるべきだ! ……こんな強引なこじつけによって、一家四人は引っ越すはめになったのだ。
 本を読んだり映画をみたりするということがわたしの勉強であり仕事だ、というわたしの主張により、図書館まで徒歩二分、レンタルビデオ店まで徒歩一分、しかし駅までは徒歩十五分という、家族にとってはいささか迷惑な条件のマンションにわたしたちは住まうこととなった。住居の決定から引っ越しの準備、新居のかたづけまで、基本的にわたしが中心となってやったので、現在の我が家はわたしにとって非常に住み心地がよい。マンションそのものの立地条件もいいが、とりわけわたしの部屋は、わたしの長年の夢をすべて実現した、すばらしい部屋だ。
学習机、ベッド、本棚三つ、ピアノが壁にそって並び、日当たりのいい窓際には、ガラステーブルとクッションが、食事や書きもの用のコーナーをつくっている。それでも部屋の大部分はがらあきで、大人二人くらいならふとんをしいて寝られる。二年前から東京で一人暮らししている兄の1Kの部屋よりよっぽど広い。本棚の上には写真立てや旅行先で購入したおきにいりの置物が、ピアノとタンスの上にはぬいぐるみやわたしの好きなキャラクターのフィギュアが飾られていて、部屋をぼうっとながめているだけでたのしい。パソコン、プリンタ、エアコンも完備。あまりにも居心地がいいので、部屋のなかだけで生活したくなってしまうほどだ。船室のような部屋に引きこもるラスコーリニコフとは正反対、負の感情のまったくない、陽気なニートになりかねなかった。ただわたしの場合、ラスコーリニコフとは異なり、労働の意欲とめぐまれたアルバイト先があったので、不満や怒りを鬱積させる理由も時間もなかったのかもしれない。
紆余曲折をへて大学生になった今でも、アルバイトはつづけている。週に二回、公文で小中学生の勉強をみているのだが、それだけでは学費が払えないので、家庭教師の登録もした。こちらの時給は公文の約二倍。軌道にのれば、公文はやめて家庭教師一本にしぼりたいと考えている。ただあくまでも学費のためのアルバイトなので(前述のとおり、わたしの学費は部屋にかわってしまった)、疲れきって勉強に支障が出ぬよう、夏や冬の長期休暇にまとめて稼ぎたい。
月々の収入がいくらかはヒミツだが、わたしは現在、そのうちの三万円を後期の学費として貯金している。さらに月々五万円の奨学金を申請しているが、これはかなりの負担なので、収入と労働時間のかねあいを考え、さらに月二万円(一年で約三十万円)を貯金しても無理のない学生生活が送れそうだと判断した時点で、奨学金は三万円に引き下げたい。これもまた私事なのでくわしい事情は述べないが、引っ越しから数年後、わたしは数百万の借金をしょいこむはめになったので、これ以上借金を増やしたくないのだ。
まじめな母がコツコツためてくれた百数万を、あのときの引っ越しにつかわなければなぁ! ……と思わないこともないが、そのときどきでやりたいようにやってきた結果なのでしかたがない。行き当たりばったりで非常識で、家族に貧乏を強いつづけてもハッピーな父親に、わたしはよく似ているのだ。
なお、高校卒業後、一人暮らしすることを選ばなかったのは、生きるために生きたくなかったからだ。食べるために働く、というのはきっとつらい。それこそ、ラスコーリニコフのようになってしまうかもしれない。仕事をたのしむためには、十分な睡眠と栄養、満腹感が必要なのだ。それからきっと、心をゆるせるような同居人も。
高校三年のわたしがなかばあまえて言ったように、「勉強」にも「仕事」にも自分だけの「ここちよい」空間が必要で、そのためにはお金がなければならないのだと、最近『罪と罰』を読み返し、あらためて実感している。
沢辺 遥奈
ロジオンと私

今回はロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフと私、沢辺遥奈について比較する。
まず、角川文庫『罪と罰』(以下、本書)に書かれているラスコーリニコフの生活環境を本書から抜粋してみよう。
「彼の小部屋は、高い五階建ての屋根裏にあって、住まいというよりむしろ戸棚に近かった。」
「それは奥ゆき六歩ばかりのちっぽけな檻で、方々壁から離れてぶら下がっている埃まみれの黄色い壁紙のために、いかにもみすぼらしく見えた。その低いことといったら、少し背の高い人なら息がつまりそうな気がして、始終いまにも天井へ頭をぶっつけそうに思われるほどだった。家具も部屋に相応していた。あまりきちんとしていない三脚の古椅子と、幾冊かのノートや本をのせて片隅に置かれているペンキ塗りのテーブル。すべてが埃まみれになっているのから見ても、もう長いこと人の手の触れないことがわかった。それから最後にもう一つ、ほとんど壁面全体と部屋を半ば占領している粗末な大形の不恰好な長椅子、かつてはサラサばりだったのが、今はすっかりぼろぼろになって、ラスコーリニコフのために寝台の役を勤めていた。彼はいつも服さえ脱がず、着のみ着のままでその上へ横になった。シーツもなしで、古色蒼然とした学生外套にくるまり、頭には小さい枕がたった一つ、その枕を高くするために、持っているだけの肌着を、きれいなのも着よごしたのも、残らずその下へ突っこんだ。長椅子の前には小さいテーブルが置いてある。」
「古ぼけたぺしゃんこになった枕……戸棚か箱同様なこの黄色い小部屋……」
さて、上記抜粋文と私の生活環境の差異を比べてみよう。
私の部屋は、親戚の家の一室を使わせて頂いている。ちなみに戸棚ではない。
部屋は四畳半+押入れ、奥ゆき六歩のラスコーリニコフの部屋より狭いかもしれない。でも檻ではない。
(私の歩幅で実測四歩、確かに狭い。彼の部屋が小部屋なら私の部屋は小々部屋か。)
天井は私の身長が低いのか至って普通。高くも低くもない。
(ただ、扉一枚を隔てたリビングやキッチンよりかは目測で低い。)
壁は…剥き出し?という感じの内装で何とも言えないが悪くはないし、埃まみれにもなってはいない。
(だが、壁の片隅に灰色の影がある。来週影が広がっていたらお伝えしよう。)
家具はこの小々部屋に合わず多い。部屋不相応だ。
炬燵用テーブルに折り畳み式のベッド
(ベッドを畳まないと部屋の大部分をこの二つで占領される。そしてベッドが床の歩道橋になりつつある。)
本棚と衣装棚が二つ、椅子が一脚に小物を入れる棚が二、三個
(文芸生必須の本棚。ただし、大きくないので半分が高校と大学の教科書やノート、ファイルなどが大半を占めている。残り半分が文芸書、もう半分が過去のゼミ誌で埋まっている。そして椅子は、最早服をかけておく為のものでしかない。)
ちなみに、テレビ、ノートパソコン、プリンター、ラジオ完備。
(ただ、インターネットが殆ど使えない。文書作成の時のみパソコンは有効だ。)
部屋の広さはラスコーリニコフの方が勝るが、物の多さでは私の方が勝る。果たしてどちらが有意義で心理的に裕福なのだろう。ラスコーリニコフには物がない分、押し潰されんばかりの思想があの部屋の中にはある。一方、私に常日頃つきまとう思考はあるが、大したモノではなく机上の空論に過ぎない。ラスコーリニコフとは対照的に私の部屋は空っぽだ。ないかと思えばすべてものがあり、あるかと見ればすべてのものがない。そういった鏡面性がラスコーリニコフの部屋と私の部屋の間にはあると思う。
他に、アルバイトについて。
ラスコーリニコフは家庭教師のアルバイトをしていたが、本書の話が始まった時点では辞めている。そして母親の年金の一部を仕送りしてもらっている。私も似たようなもので、アルバイトはやったこともなく通帳の預金を少しずつ崩して生活している。こういった所については早く脱却したいものだ。
荒井萌美
ラスコールニコフと私

私は、自分の性格は根暗だと自覚している。そして、物語の主人公ラスコールニコフも決して根が明るいわけではないと思う。もし、根が明るければどんな境遇に陥っても”殺人”という行動には結びつかないのではないかと思う。(少年漫画にありがちなヒーローが悪役を殺す、というのは現実にはないパターンだと思うので目をつぶりたい。)根暗なラスコールニコフは殺人という行動に至ってしまったわけだが、同じ根暗な私でも絶対に誰かを殺す、という行動には移らない。何故か。簡単なことである。私は凡人だと自負しているからだ。凡人である私は、誰かを殺そうなんで大胆な行動には出れない。どんなに憎い人間がいたとしてもそんな度胸は持ち合わせていない。人は何故人を殺してはいけないのか?そんな質問の答えなど知らないが、法に裁かれるのは単純に恐ろしい。ここが、ラスコールニコフと私の第一の違いである。ラスコールニコフは自分が非凡人なのでは、という考えに至ってしまった。こんな考えに達した根暗人間が殺人という行動へ出てしまうというケースは、恐ろしいことに最近の世の中ではありがちなことである。自分には何か使命があるのではないか、自分はこんな小さな人間ではない、お前らとは違うんだ。そんな考えを持っている人間は実に恐ろしい。人間一人一人に使命があるだなんてことが果たしてあるのだろうか。奢りも良いところだ。自分に割り振られた役目なんて、せいぜい小学校での掃除当番だとか、家庭での風呂掃除だとか、そんなもんだろう。しかし、こういう風に少し卑屈に考えてしまう私よりも、もしかしたらラスコールニコフのように自分は特別、と思える人間のほうが幸せなのかもしれない。(幸せとは一体…)この様に”自分は特別だ”と思えてしまったのにも、ちゃんと理由があるはずである。私が気付いたのは、まず母親の言葉だ。ラスコールニコフの母親プリヘーリヤは、息子に過度の期待を持っている。もちろんプリヘーリヤが異常な期待をしてしまうことにだってちゃんと理由はあるのだろうが、この期待を毎日浴びせられていたラスコールニコフ。疎ましいと感じながらも、どこかで洗脳されているのではないだろうか。”そうだ、俺は出来る男だ。”そんな意識が本人も意識していない間に蓄積されていたに違いない。他人の力というのは時に恐ろしいものである。そして次に、自分のプライドである。私は物語を読んで、自然とラスコールニコフは頭の良い人間なんだろうという印象を受けた。それこそ根拠はないが、東大クラスの大学へ通っているのではないかとも思う。それほど頭の良い人間というのは、大学に入るまでにたくさんの人達を見下してきただろうと思う。なんで周りの人間はこんなに馬鹿なのだろうか、と。つまり、自分は特別なのか?という意識が既に出来上がっているのである。しかし問題はこの後であり、ラスコールニコフは完全な引きこもりになってしまったのだ。大学に入るまでは周りが愚かに見えたラスコールニコフも、いざ大学へ入ってみたら皆自分と同じような知識をもっていて、更には自分より明らかに頭の良い人間にも出会っただろうと思う。こんな衝撃を受けて、自分は大した人間ではなかったんだ!と認識してしまったのだ。引きこもりになった原因はこれだけではないと思うが、こういった衝撃も原因の一つだろうと思っている。そして、長い間人と関わらないでいるうちにもう一度壁に当たるのだ。”いや、そんなはずがない。自分は特別な人間であるに違いないんだ”といったものである。これが、彼のプライドである。突きつけられた事実を受け入れられないのである。自尊心が強いがために。こうして、自分はもしかしたら母親の言う通り特別なのかもしれない、出来る人間なのかもしれない。という考えが、そうだ、俺は特別な人間だ、そうに違いない!という恐ろしいものへ成長してしまったのではないでしょうか。自分が特別だ、と思うようになってしまったラスコールニコフはとても繊細なのだと思いました。母親にしろ、大学での出会いにしろ、ラスコールニコフは色んなことに敏感なのです。それが故に、こんなことになってしまったのだろうとおもいます。これが、私とラスコールニコフの違いなのではないかと思いました。
朴 民雨
ラスコーリニコフと似ている私

JR山手線の西日暮里を降りるのも2年にもなり、手慣れている勢いで改札口をスラリと出る。
駅の前にはいつものように美容院の人がチラシを配っている。
先週私の髪を切ってくれた人だ、目が合っても知らないフリをする。
自らも目で挨拶ぐらいしてもいいのではないかと思ってもしない。
一人暮らしになってから、上手になったのは料理と買い物、我慢することくらい。
玄関を入ると古い木の臭いがする。
芳香剤を置いていたが古いアパートの臭いはどうにもならない。
「めちゃくちゃ」自分の部屋をゴミ箱みたいに見た後、ため息をつく。
家のものはたいていただでもらったもの。
洗濯機、冷蔵庫、ベッド、電子レンジは引越しの時実家に帰る人にもらった。
それしかなかった空間は1個1個新しい物が積み重なり、今は私と似ている部屋になっていた。
どんなに小さなものも自分が選んだり、買ったりしたものである。
いつもの友だちはパソコン。
一人の帰り。
一人の食事。
友達がいない生活は時々厳しいくらい寂しくなる。
テレビを見ながら食事したり、暗くなっている部屋を想像しながら家に帰るのは未だになじめない。
そして、何年か経っても慣れるものではないと思う。
彼と驚く程、似ている感じの日々。
ラスコーリニコフとは似ているところが多いとわたしはこの課題をしているうちにもっと気がついた。
本によく出ているようにラスコーリニコフは変な人かもしれない。
でも、周りを見るとラスコーリニコフと似ている人がいる
それでもみんなラスコーリニコフにはならない。
私はラスコーリニコフと似ていると思うが彼の考えには賛成できない。
何でラスコーリニコフは人を殺したか。
何でラスコーリニコフはその後いつも鋭く怒りっぱなしか。
お母さんと会ったときにお母さんは昔はこんな子ではなかったと言ったがそしたら前は普通の子だったか。
似ていた私とでも彼は全く違う道に進む。
この課題は何より難しかったです。
まだ、ラスコーリニコフのことを理解できないからです。
似ていることで初めて、この課題は段々自分にも分かりにくい言葉ばかり使って書いている文になって、何回も書いたり、直したりして月曜日の4時の今にも直しています。
そして、こんなに短い文になりました。
中野沙羅

先日、部屋の状態を知りたがっていたようだから様子を簡単に手紙に記して送ります。今度来る時までに、少しは片づけておきますが、今の状態を正確に記しておきました。
私の部屋は混沌としている。机の上にはいつも当たり前の様に、読みかけの本、ポーチにしまわれない化粧品、筆箱に戻れない消しゴムの数々、それらが積み重なって山を作っている。机の前に置かれた二つの写真立てには、三年前に行ったアメリカの写真が一枚と高校のクラス写真が一枚、百円均一で購入した額にぴったりとその時間を押し留めている。その横には、二つの小さな鉢の中で育つ薄緑と濃緑の仙人掌達。彼らは華を咲かせることなく、私の部屋を砂漠と思い込みながら人生を楽しんでいるみたいだ。KEEPOUTのシールが巻かれたペン立てには玩具の手錠がペンに引っ掛かってぶら下がっている。窓は、受験勉強中に日本史の暗記シートを張りすぎたせいか、所々に黄ばんだセロファンテープがこびり付いている。その上に、半分あきらめかけた企画書が磔になっている。机の横にあった大きな引き出しの中、上の段には沢山の捨てられない思い出を称す物もの。主に、昔付き合ってた人と撮った写真だとか、そんな類のもの。何カ月か前までは下の段には、私自身の過去が沢山、あどけない笑みをたたえて仕舞われていた。しかし受験が終わってからの大掃除で、大きい引��Ⅸ个靴涼罎篭�剖瓩ぞ�屬砲覆辰拭�修両紂∈�和腓④ぐ悊Ⅸ个靴牢銈硫��蕕楼榮阿靴読�阿凌臣翦省��藐�海Δ両貊蠅砲△襦��
もう一つ、机がある。それも窓際に置かれていて、私はパソコン机と呼んでいる。四月までは、この机の上も整理されていたのだが、今となっては谷崎の全集やら勢いで買って後悔している野生時代の五月号やらが積み上げられている。パソコン机には、受験の名残が残っている。国語総覧や頻度順漢字やクラスメイトの寄せ書きが書き込まれた単語帳などがきちんと棚に収まっている。彼らは使うかもしれない、という理由でとってある代物なのだが、五月現在使う機会はまるでなかった。棚の横の小さな引き出しには、おとし玉や使わなくなったシールや細かな雑貨が置いてある。大掃除前までは、グルーミーという爪の長いクマの人形があったのだが、間違えて捨ててしまったのかそれとも母親の手によって捨てられてしまったのか、よく分からないが行方不明になっている(結構お気に入りだったので、若干ないとさびしい気もする)。その横には、VAIOの取扱説明書、日藝のパンフレット、レポート用紙、過去に書いた小説のファイルが引き出しにもたれかかる様にして並んでいる。窓は朝から晩まで半分ほど雨戸で閉め切られている。
床には、友人から借りたギターが一本、居心地悪そうにキャスターにたてかけられている。
大きい引き出しが移動した後の場所に置いてある本棚には、古本や新書や教科書やゼミ雑誌やプリント類が大量に突っ込まれている。最近はカフカを読み耽ることに決めたので、叔父から借りた関連書が増えて来ている。ゼミ雑誌は、月曜日に配られたものや、デザインが格好いいという理由で持って帰ってきたというものが並んでいる。
この部屋には、昔もう一人の人間が衝立の向こうに住んでいた。今は衝立が取り払われていて一つの部屋の全貌を現している。真中半分から向こうは私の陣地ではないので、簡単に記しておく。大量の漫画ケース(軽く1000冊は越える漫画達)、私の机より一回り大きい机(その下にはいかがわしい内容の本が)、小さなソファのようなもの(寝転がるには短く、座るには浅い)、壁にはエアコン(これは共同で使用する)と茶色い淵で白い文字盤の時計が一つかけられている。
今は一人で、使用されるこの部屋である。二世帯のため、ひっきりなしに人が通るのが難点だ。何年も使っているので、もう慣れてしまったからいいのだけれど。
部屋はその人の心の状態を表すというが、確かにそうだと思うのだ。この部屋の混沌とした状態は私自身である。そして、私は今現在も私自身に囲まれて暮らしているのだと思いつつ生活している。この部屋を片付けたら、少しは私も綺麗になれるだろうかと、無駄な期待を日々抱きながら。
どうでしたか、私の部屋はこんな感じです。今度はロージャの部屋の様子も書いて送って下さいね。最近の君は幽霊みたいに顔色が悪いからきっと君の部屋もなにかしらごちゃごちゃとしているのでしょう。(ちなみに手錠は変な趣味じゃなくて、勢いで買っただけです、変に期待しないでくださいね)ではまた大学で会いましょう。
敬具 
中野沙羅

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