2009
07.08

「日本文学特論Ⅱ」(日芸大学院講座)坂本綾乃(連載⑨)

日本文学特論Ⅱ

「日本文学特論Ⅱ」(日芸大学院講座)坂本綾乃(連載⑨)
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ドストエフスキー『罪と罰』
           スヴィドリガイロフとドゥーニャの間に肉体関係はあったか
坂本綾乃


 ドストエフスキー『罪と罰』
           スヴィドリガイロフとドゥーニャの間に肉体関係はあったか

 スヴィドリガイロフにとってドゥーニャは、得ようとして叶わなかった存在だった。
 プリヘーリヤがラスコーリニコフへ宛てた手紙に、突如現れるスヴィドリガイロフという男。読者はスヴィドリガイロフと言う男をまず、手紙を通して知ることになる。
 母が、息子へあてた手紙に書かれるこの男は「色気違い」と呼ばれている。娘のドゥーニャが勤めた家庭教師先の主人であるスヴィドリガイロフとの間に何があったかは、はっきりと書かれていない。ラスコーリニコフはドゥーニャがスヴィドリガイロフの家で酷い仕打ちを受けていることを知って、はっきり説明を聞きたいといった手紙に、「もし私が事の真相をすっかり手紙したら、おまえはおそらく、何もかも放擲して、歩いてでも帰ってくれたことでしょう。なぜといって、おまえの気性はそうなのだし、妹が辱められるのを黙っているわけがないからです」と返事をしていて、またプリヘーリヤ自身が絶望していたようなわけだったとある。
 このことから、ドゥーニャがスヴィドリガイロフからどんな辱めを受けたのかはなんとなく想像がつく。初めて『罪と罰』を読んだ時は、ドゥーニャはスヴィドリガイロフに犯されたのだと思った。もし、自分の娘が男に犯されたと知ったなら、いくら兄弟であるとしても容易に打ち明けることはできないだろう。ましてや自分の息子の気性を考えれば尚更のことで、手紙の冒頭部分を読めばプリヘーリヤの葛藤が見て取れる。
 手紙を読み進めていくと、スヴィドリガイロフの妻であるマルファの異常性が見て取れるが、ドゥーニャがスヴィドリガイロフへ宛てた手紙がきっかけで、事態は好転する。マルファの変わりようにプリヘーリヤもどこか戸惑いを隠せない。「色気違い」呼ばわりは変わらないが、「あの色気違いには、少しきびしすぎる仕打ちのようでした」と書かれている。
 仮に、娘が男に犯されたとしたのならば、その相手に対して「少しきびしすぎる」と言えるのだろうかと思う。実際問題、マルファのおかげで世間から白い目で見られて、教会へも行けなくなったことを差し引いても、言えないだろう。
 プリヘーリヤの手紙を何度も読み返していくうちに、スヴィドリガイロフとドゥーニャの間に肉体関係があったかどうかと言うことがどんどんわからなくなってきた。
 ふと、マルメラードフの告白を思い出すとしっくり来ることがあった。ソーニャが初めて体を売りに行った夜のこと、何も言わないソーニャに対してカチェリーナが取った行動を考えると、ドゥーニャが処女であったかどうか疑わしくなってくるのだ。
 そもそも、ドゥーニャが処女であったかどうかは書かれていないのだ。処女でなかったことを前提に考えていくと、プリヘーリヤの手紙も納得がいく。ドゥーニャが処女であった場合、初めての男がスヴィドリガイロフであり、恋愛関係云々といったものがなかった場合、「少しきびしすぎる仕打ち」とはいくらなんでも書けないだろう。ラスコーリニコフの気性について気にかけていることから見てもやはり、ドゥーニャは処女ではなかったように思う。
 では、スヴィドリガイロフとドゥーニャの間に肉体関係があったかということに関しては、私はなかったように思う。それに近いもの、キスなどはあったかもしれないが、二人の間にはそれ以上の関係はなかった。
 肉体関係があったとしたのならば、ドゥーニャはいくら借金があったとしてもスヴィドリガイロフの下から逃げ出したに違いないだろう。プリヘーリヤの手紙で、親の欲目を抜きにしてもラスコーリニコフと同じように聡明だと書かれているドゥーニャだからこそ、スヴィドリガイロフに犯されたとしたならば、そこにとどまることはない。
 スヴィドリガイロフとドゥーニャの間に肉体関係がなかったからこそ、スヴィドリガイロフはドゥーニャに執着するのだろう。スヴィドリガイロフがいくら求めてもドゥーニャはそれに答えることはない。後にスヴィドリガイロフが十六歳の婚約者を得ることになってもどこか心浮かないのも、ドゥーニャのように拒むわけでもなく受け入れてくれる彼女にどこか物足りなさを感じているのではないだろうか。そう考えると、プリヘーリヤが「色気違い」といったようにスヴィドリガイロフは本当の意味で「色気違い」になる。
 スヴィドリガイロフとラスコーリニコフ、ドゥーニャとソーニャを対比して考えてしまうが、特にドゥーニャとソーニャは全くもって違った存在であることがうかがえる。
 ドゥーニャはソーニャとは全く違った形で処女を喪失しているのだと私は思う。

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