ドストエフスキー関係 林芙美子の文学 林芙美子関係

林芙美子の文学(連載28)林芙美子の『浮雲』について(26)


林芙美子の文学(連載28)林芙美子の『浮雲』について(26)
清水正

%E8%8A%99%E7%BE%8E%E5%AD%905.jpg
林芙美子記念館
ここをクリックする  「清水正の本」 「清水正の著作一覧」 
林芙美子の文学(連載28)
林芙美子の『浮雲』について(26)

清水正


林芙美子の文学(連載28)
林芙美子の『浮雲』について(26)
清水正

林芙美子の代表作『浮雲』とドストエフスキーの『悪霊』の関係に肉薄して
いく。

2009年6月2日(火曜)
女の心がどこでどのように飛ぶかをはっきりと認識できる男などめったに
いるものではない。今、富岡はゆき子に接吻しながら、それ以上の情熱が湧
いてこない、その自分の心の状態を冷静に意識しているが、しかし同じ時、
ゆき子がどのような心理にあったかについては詮索しない。林芙美子はゆき
子の心理描写をせずに、野性の白孔雀が森の中を飛んで消えたとだけ書いて
すましている。
この描写は怖い描写である。富岡が接吻以上の行為に出る情熱が薄れた、
まさにその時を狙っていたかのように白孔雀が森の中を飛び、そして姿を消
すのである。白いワンピースを着たゆき子の心の中に住む〈白孔雀〉が、富
岡から離れ、飛び去ったということだ。この象徴的な場面をきちんと押さえ
た上で、今後の二人の関係のごちゃごちゃを見ていかなくてはならない。林
芙美子はどのような書き方で話を進めていくのか。
二人はしばらく、森や部落や、広い農園のあたりを歩いて、昼もかなり
過ぎてから事務所へ戻った。富岡はすぐ部屋へ行ってタオルをかかえて、シ
ャワーを浴びに行ったが、ゆき子は何気なく事務室を覗いた。加野がたった
一人で窓ぎわの広いデスクに凭れて、書きものをしていた。扇風機がとまっ
ているので、部屋の中は蒸し暑かった。加野は、ゆき子を見むきもしないで、
ペンを走らせている。マリーは仕事を済ませて戻ったのか、タイプライター
にカヴァがかけてあった。ゆき子はそのまま事務室を出て、二階へ上り、自
分の部屋に行ったが、自分の部屋の扉が開いたままになっているのが、厭な
気持ちだった。誰かが、自分の部屋をみまわしたような気がして、ゆき子は
じいっと、ベッドや机の上を眺めていた。ベッドへ誰かが腰をかけていたよ
うな、深いくぼみが眼につくと、ゆき子は何となく、不安な気がしてならな
かった。扉の鍵を閉めて、そっと靴のままベッドに寝転んでみたが、少しも
落ちつかない。開いた窓には、青い空だけが見えた。こんなところへ、何を
しに来たのかと呵責に似た気持ちも感じられて、一日一日気忙しく戦争に追
いたてられている、内地の様子が、意味もなく、ゆき子の頭の中に、泡のよ
うに浮いては消えている。この現実には、そうした、追われるような気忙し
さはなかったけれども、石のように重たい淋しさや、孤独が、躯の芯にまで
喰い込んで来た。ゆき子は、ときどき微笑が湧いた。深いちぎりとまではゆ
かないけれども、一人の男の心を得た自信で、豊かな気持ちであった。もう、
遠い伊庭のことなどはどうでもいい。富岡のいっさいが噴きこぼれるような
魅力なのだ。川のように涙を流して愛しきれる気がした。冷酷をよそおって
いて、少しも冷酷でなかった男の崩れかたが、気味がよかったし、皮肉で、
毒舌家で、細君思いの男を素直に自分のものにできたことは、ゆき子にとっ
て無上の嬉しさである。富岡の冷酷ぶりに打ち克った気がした。昨夜、たや
すく、加野の情熱に溺れてゆかなかった強さが、今日の幸福を得たような気
がして、ゆき子はいつの間にか、満足してうとうと眠りに落ちていた。
(20
0 ~201〈十二〉)
妖怪変化の寝苦しい一夜を過ごした朝、冷たいシャワーを浴びて元気を回
復した富岡であったが、ニウの仏像のような表情のない顔に接して気持ちが
屈し、自問自答するために森林の中へと入っていく。どこでその情報を得た
のか、ゆき子が富岡の後を追う。そして、富岡とゆき子が抱擁し接吻に至る
までの息詰まるような描写が続いた。白い小さな孔雀が突然羽ばたいて森の
中へと消えていく、まさにその場面が二人の関係の一つの頂点を示していた。
この白孔雀が飛び立つ、その象徴性に関して、わたしはわたしなりの解釈
をした。しかし、ここに引用した場面を読めば、ゆき子は富岡の内面をすべ
て見透していたわけではなかったことになる。ゆき子は、富岡の強い抱擁に
接して、三年間も不倫の関係を続けてきた伊庭のことなどもうどうでもいい
と思い、「富岡のいっさいが噴きこぼれるような魅力なのだ」と思う。いっ
たいこの高揚した気分はどこから湧き出てくるのだろうか。
林芙美子は、ゆき子の内面を的確に表現している。「冷酷をよそおってい
て、少しも冷酷でなかった男の崩れかたが、気味がよかったし、皮肉で、毒
舌家で、細君思いの男を素直に自分のものにできたことは、ゆき子にとって
無上の嬉しさである」まさにその通りであろう。富岡の〈崩れ方〉、そして
富岡を〈自分のものにできたこと〉が、ゆき子にとって〈無上の嬉しさ〉と
なったのである。独占欲、支配欲が充たされたこと、加野の情熱的な誘惑に
負けなかった自分自身の強さを確認したことなどが相俟って、ゆき子の自尊
心を満足させたと言えようか。
「愛のコリーダ」ではないが、男と女はいくら愛し合っても、そこに憎し
みや妬みや殺意がどうしようもなくわき起こってくる。富岡には内地に妻が
おり、現地妻のようなニウがいる。ゆき子には三年間不倫の関係を続けた伊
庭との過去がある。今のところ、富岡はゆき子の過去を知らず、昨夜のゆき
子と加野の具体的なやりとりを知らない。ゆき子は富岡の妻を知らず、昨夜
富岡がニウと長い接吻を交わしたことを知らない。つまり、二人はお互いの
ことをほとんど何も知らないままに、今日、森の中で接吻を交わす仲になっ
たということである。
ゆき子は〈無上の嬉しさ〉を感じて眠りに落ちていくが、先に指摘したよ
うに、富岡はゆき子に妻の姿を重ねて、一時の慾情にかられはしたが、接吻
以上の行為に出る情熱はなかった。この両者の食い違いは今後ますます広が
っていくのか、それとも徐々に狭まっていくのか。両者の間にかいま見える
溝は微妙で、ゆき子にすらよく見えていない。この〈溝〉を作者の林芙美子
はきちんと見ているが、今のところゆき子の〈錯覚〉に乗じてペンを走らせ
ているといった感じである。
富岡とゆき子が森の中で慾情を押さえながら、黙って歩き続けていた頃、
事務所ではどのようなことが起きていたのか。林芙美子は、酔いつぶれて寝
入っていた加野が、ようやく目覚めて何を思い、どのような行動に走ったの
か、を同時並行的に描写することはしなかった。富岡とゆき子が不在の事務
所で何が起きたのかは、ゆき子の眼差しを通して描かれる。〈現在〉の断片
を通して、〈過去〉を想像し、再構築するしかない。読者の読みの力や感性
が問われる描写場面ということになる。
とりあえず読者が最も興味があるのは加野である。二日酔いから覚めて、
加野がまず気になったのはゆき子の存在であり、富岡の存在であったろう。
しかし、富岡とゆき子が食堂にもおらず、部屋にもいないとなれば、昨夜、
ゆき子に慾情した加野が半狂乱になったとしても不思議ではない。加野はゆ
き子の部屋を開け、隅々まで点検し、しばしベッドに腰掛けて頭を抱え込ん
でいたに相違ない。昨夜、加野がゆき子にしたことを想えば、富岡とゆき子
がどんな関係になったとしても、その事自体を責めるわけにはいかない。
ゆき子が事務室を覗くと、加野は〈たった一人〉で「窓ぎわの広いデスク
に凭れて、書きもの」をしている。加野の孤独が際立つような光景だが、林
芙美子はそれをさらっと描いている。加野が何よりも待っていたのは、ゆき
子の帰りである。ゆき子の気配を感じなかったわけはない。しかし、加野は
依怙地になった。ゆき子に対して無関心を装うことで、自分の内面の混乱を
押さえ込むことにしたのである。
扇風機がとまり、蒸し暑い中でゆき子を無視してペンを走らせている加野
の内部の眼差しが、いかに熱く狂おしくゆき子に注がれていたかは言うまで
もない。ゆき子もまた加野に声をかけることはしなかった。ゆき子と加野は
お互いに声をかけないことで、沈黙の言葉を交わすことになる。
二階へあがって自分の部屋に入ったゆき子は、すでに誰かがこの部屋に入
ったことを直感する。作者はそれ以上の想いを書くことはなかったが、ゆき
子がその〈誰か〉を加野と直感して気味悪く思ったことは疑い得ない。今朝、
食堂で仏像顔していたニウの可能性もなくはないが、ニウが扉を開けっ放し
にして部屋を出ていくようなヘマを仕出かすことはなかろう。ゆき子に対し
て一方的に妄想を膨らませ、慾情を抑制できなかった加野の仕業であったこ
とは明らかで、富岡とゆき子が帰ってくるまでの時間が長すぎたことで、激
情もおさまり、逆に無関心の態度を取るようになったと考えられる。
加野はゆき子の部屋(深く窪んだベッド)に、ゆき子に対する重い想いの
マグマを置いていった。ゆき子の部屋にたちこめた、この加野の負の気は彼
女を不安にさせる。
マイナスの気を精一杯に放つことでしか関係性を持てない気の毒なひとが
いる。こういったひとは、プラスの方向性で発展的な関係を持てないのであ
れば相手を破滅させてやろうという負の衝動に駆られるのである。男と女の
次元での関係性を断念し、そうすることで爽やかな人間的感情の交流をはか
ろうという、スイッチを切り換えて対処することができない。もともと男と
女の関係は、深入りすればするほどきれいごとはいっさい通用しなくなる。
ゆき子は、富岡に惹かれたが、加野を完璧に拒んでいたわけではない。富
岡に皮肉を言われれば泣きもし、怒りもし、その場から逃げ去ることなども
して、相手の気を牽こうとするのが女の無意識的戦略であるが、この戦略に
まんまと引っ掛かってゆき子を追ってきたのが久しぶりに日本の女に会った
加野であった。この稚拙な戦略に加野がひっかかってくることなど百も承知
で、ゆき子はベンチで日本の歌など歌っていたのである。
酔った勢いで加野が迫ってくれば、獣のような光る眼で応ずるのがゆき子
であったことを忘れてはならない。あの時、加野が慾情していたように、ゆ
き子もまた慾情していたのであり、富岡が二人を追って声をかけてこなけれ
ば、二人は〈慾情〉のみで結ばれていた可能性だってあったのである。ゆき
子は、慾情の延長線上に富岡を想い描いたが、加野は中断を余儀なくされた
ゆき子への慾情をそのまま引きずって、一人酒を飲み、悶えた末に睡魔に襲
われたのである。
目覚めてみれば、富岡とゆき子の姿はなく、聞けば森の中へと向かったと
いうのであれば、加野が半狂乱状態になってゆき子の部屋に無断で侵入する
気持ちも分からないではない。未だ、ゆき子に加野の負の気を追い散らかす
力は備わっていない。ゆき子が加野の慾情を注いだことも確かであり、加野
だけに責任を追わせるわけにもいかない。二人の男に誘惑の罠を仕掛けつつ、
本命の男を獲得するといった、こみ入った戦略にゆき子は天性的に長けてい
る。
ゆき子は、加野については想いを中断し、開いた窓から青空を眺める。想
いはラダットの空から日本内地へと一飛び、何をしにこんなところへやって
来たのかと呵責の念に襲われたりもする。林芙美子は、ゆき子が〈石のよう
に重たい淋しさ〉や〈孤独〉を感じた、などとは書かない。それらがゆき子
の「躯の芯にまで喰い込んで来た」と書く。〈芯〉とは膣であり子宮である。
慾情して富岡のもので充たされたいのに、富岡は接吻以上の行為に及ばな
かった。ゆき子の〈淋しさ〉〈孤独〉は、富岡の接吻以上の行為を得られな
かった女の躯の芯が感じる淋しさであり孤独なのである。ゆき子はそのこと
がよく分かっているから、富岡のことを想って「ときどき微笑が湧い」てく
る。
林芙美子は女であるから、ゆき子の女の生理に精通している。女の打算、
戦略、淋しさ、孤独、喜び、そのごまかしようのない女の生理や心理をあま
すところなく描いている。林芙美子が小説家として優れているのは、こうい
った女を、女自身の内的視点を通して描くだけにとどまらず、同時に富岡と
いう男の眼差しに晒しながら描くことができたということにある。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です