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林芙美子の文学(連載27)林芙美子の『浮雲』について(25)

林芙美子の文学(連載27)林芙美子の『浮雲』について(25)
清水正

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林芙美子の文学(連載27)
林芙美子の『浮雲』について(25)

清水正


林芙美子の文学(連載27)
林芙美子の『浮雲』について(25)
清水正

林芙美子の代表作『浮雲』とドストエフスキーの『悪霊』の関係に肉薄して
いく。

2009年6月1日(月曜)
南方へ来て、清潔に女を愛する感情が、呆けてしまったような気がした。
森林のなかの獅子が、自由に相手を選んでいた境涯から、狭い囚われのおり
の中で、あてがわれた牝をせっかちに追いまわすような、空虚な心が、ゆき
子との接吻のなかに、どうしても邪魔っけで取りのぞきようがないのだ。富
岡は、いつまでも長く、ゆき子を接吻していた。ゆき子は、すっかり上気し
て、富岡の肩に爪をたてて苛れている。少しずつ、心が冷えて来た富岡には、
ゆき子の苛れた心に並行して、これ以上の行為に出る情熱はすでに薄れてい
た。野性の小柄な白孔雀が、ばたばたと森の中を飛んで消えた。
(200 〈十
二〉)
ゆき子の〈激しい息づかい〉〈赧らんだ顔〉などは、彼女が慾情に身を任
せきっていることを如実に表している。一方、富岡の方はゆき子を強く抱き
締めたにもかかわらず、〈麻痺した心の流れ〉をどうすることもできない。
富岡は〈清潔に女を愛する感情〉が呆けてしまっており、ゆき子と長い接吻
を交わしながらも〈空虚な心〉を取り除くことができない。ゆき子は富岡の
肩に爪をたてて苛れているが、富岡は接吻以上の情熱にかられることはない。
男と女の関係の微妙を林芙美子は見事に描いている。ゆき子の慾情は富岡
に対して心も躯も一致している。ところが富岡の方は、躯はいちおう慾情に
従うが、意識がそれに合致していない。長い接吻は、慾情の持続を意味して
はいない。慾情の隙間に空虚な意識が侵入してくる。
描かれた限りで見れば、富岡は内地にいた頃はまだ〈清潔に女を愛する感
情〉があったことになる。妻の邦子に対してもそういった感情に基づいて接
していたのかもしれない。が、ゆき子に長い接吻をしている富岡に罪の意識
はなく、されているゆき子にもない。富岡は自分を〈獅子〉にたとえている
が、獅子は森林の中にあっても、狭い囚われの檻の中にあっても、獅子であ
ることに変わりはない。
獅子が牝と交尾するにあたって、そこに倫理や道徳が介入してくることは
ない。富岡が問題にしているのは、森林の中にあって自由に相手を選べるこ
とと、狭い檻の中に閉じ込められてあてがわれた牝をせっかちに追い求める
ことの違いだけである。善と悪の問題でもなければ、罪と罰の問題でもない。
ラスコーリニコフは二人の女を殺して、罪の意識に襲撃されないことに苦
しんだが、富岡にはそもそも罪の意識が頭にのぼってくることがない。まさ
にニコライ・スタヴローギンの善悪観念の磨滅した〈空虚な心〉の領域を生
きているのである。
最後の「野性の小柄な白孔雀が、ばたばたと森の中を飛んで消えた」とい
う描写は、極めて象徴的である。〈小柄な白孔雀〉とはダラットの原生林に
生息する鳥であろうが、しかし同時にゆき子の隠喩でもある。富岡は〈小柄
な白孔雀〉を罠にかけるまでは成功したが、仕留めるまでには至らなかった。
とうぜん白孔雀は森の中へと逃げ去ることになる。
問題は、この描写はさらに深い意味を孕んでいたということである。ゆき
子は富岡に惹かれており、〈仕事の指示〉がなかったことを口実に、森の中
にまで富岡を追って来たのであるから、富岡がとつぜん立ち止まり強く抱き
締めて接吻した時、もちろん心の底からそれを受け入れた。しかし、どんな
に激しい慾情に駆られ、身を委ねていても相手の情熱が覚めたことを感じ取
れない女はいない。プライドの高い女であればあるほど、それを許すことは
できない。
わたしがここで想起するのは、ニコライ・スタヴローギンとリーザが過ご
した不倫の一夜である。リーザはすべての情熱をニコライに捧げた。しかし
ニコライは、フェージカによって殺される手筈になっていた正妻マリアのこ
とが頭から離れず、リーザにたいしてすべての情熱を傾けることができなか
った。リーザはそれを躯で感じて、絶対にそのことが許せない。百パーセン
トに対しては百パーセントを要求するのがリーザである。一パーセントでも
欠ければ許せないのである。
リーザにとって、妻帯者のニコライと不倫の一夜を過ごすことに〈罪〉の
意識はない。ゆき子をリーザ並みの誇り高い女と見れば、ここでゆき子は富
岡に対して絶対に許すことのできない感情を抱き、そのことを自分でも再発
見できないくらい深い所へと押し込んでしまったと考えることもできる。
そんなこんなを想いながら、もういちどここに引用した最後の場面を読め
ば、〈野性の小柄な白孔雀〉が白いワンピースに身を包んだゆき子の姿と見
事に重なるであろう。林芙美子は、長い接吻をする富岡の心理は言葉で表現
し、ゆき子の内面は象徴的な描写で端的に表現したのである。


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