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林芙美子の文学(連載24)林芙美子の『浮雲』について(22)

林芙美子の文学(連載24)林芙美子の『浮雲』について(22)
清水正
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林芙美子の文学(連載24)
林芙美子の『浮雲』について(22)

清水正


林芙美子の文学(連載24)
林芙美子の『浮雲』について(22)
清水正

林芙美子の代表作『浮雲』とドストエフスキーの『悪霊』の関係に肉薄して
いく。

2009年5月31日(日曜)
〈十二〉を読む。
こうして歩いていることも、気粉れのような気がしたが、何しろ、四囲
は稀な巨木の常緑濶葉樹が鬱蒼として繁っている。甘ったるく、ねばっこい
花粉にとりかこまれているような気配が立ちこめていて、二人とも黙って歩
くには息苦しい。飛行機が森林の上を姿もみせずに、唸って飛んで行った。
陵墓附近は原生林が昏く続き、カッチャ松や、ナギが亭々と原生林のなかに
混生している。この原生林を突き抜けると、十二三ヘクタアルのカッチャ松
の、人工播種造林地帯になる。このあたりの民家では、炭焼きのかまども見
られた。
(199 〈十二〉)
「気粉れのような気がした」のは誰なのか、その主体を林芙美子は書いて
いない。もちろん、富岡がそう思ったのだろう。まさに〈気粉れ〉である。
歩む方向を決めているのは富岡である。ゆき子は富岡の歩む方向に反抗する
気は少しもない。「路が二つに岐れた」場所で、もしゆき子に富岡に従う気
持ちがなければ、違った路を行くこともできたし、元来た路を引き返すこと
もできたはずである。ゆき子は富岡が選んだ〈狭い人道〉へと共に踏み込ん
だのである。
「富岡は日本の女と歩くことに、何となく四囲に気を兼ねていた」と作者
は書いていたが、こういった気持ちはゆき子にも存在したであろう。大胆に
なりきれないからこそ二人は、ただ黙って歩き続けているのだ。富岡は〈気
粉れ〉を楽しんでいたかもしれない。気粉れとは、自分の思うがままという
ことで、自分を神的な立場においた者の感情の一種である。ゆき子に仕事の
指示を与えず、このまま黙って歩き続けることも、仕事の指示をして事務所
に帰すことも、いきなり立ち止まってゆき子を強く抱きしめることも、要す
るにゆき子に対してどういう行動をとるかは、上司であり、彼に好意を抱い
ていることを感づいている富岡の思うがままなのである。
今、二人は森の中を歩いている。林芙美子は「何しろ、四囲は稀な巨木の
常緑濶葉樹が鬱蒼として繁っている」と書き、さらに「甘ったるく、ねばっ
こい花粉にとりかこまれているような気配が立ちこめていて、二人とも黙っ
て歩くには息苦しい」とまで書いている。彼ら二人は肉の深奥から立ち上が
ってくる慾情を強く極限にまで押し込めながら、息苦しいような思いで黙っ
て歩いているのだ。
常緑濶葉樹が鬱蒼と繁っている森の中で〈日本人根性〉が脅かされること
はなかろう。〈甘ったるく、ねばっこい花粉〉はゆき子の熟れた躯から発せ
られた色香である。富岡が上司から雄に化身して、受粉衝動に駆られても何
の不思議もないのだ。息苦しくなっているのは富岡とゆき子の二人だけでは
ない。読者もまた、その息苦しさの時空を共有している。
作者は続けて「飛行機が森林の上を姿もみせずに、唸って飛んで行った」
と書く。この言葉は、二人の息苦しさに、とつぜん風穴が開けられたかのよ
うな爽やかさを感じさせる。が、この姿も見せなかった飛行機の飛行音は、
富岡のついに我慢しきれなかった慾情の発射音の隠喩でもあり、また富岡の
慾情の発露を深く願望していたゆき子の耳に聞こえた幻聴とも言える。
林芙美子の書く一句は詩的言語のように、さまざまな象徴的な意味を重層
させている。読者はゆっくりと、すばらしい映画を見るような気持ちで読み
すすんでいかなければならない。読者は〈巨木の常緑濶葉樹〉〈甘ったるく、
ねばっこい花粉〉を眼前に見ながら、森林の上を飛んでいく〈飛行機〉を幻
視する。この時の、ラバソールの靴を履き、ヘルメット帽を被り、薄紅いサ
ングラスをかけた富岡と、白い靴を履き、白いワンピースを着たゆき子の姿
をどのように映像化すべきか。林芙美子の文章は極めて映像的で、もうそれ
だけで名作映画の一シーンを観ているような気持ちになるが、描かれざる富
岡とゆき子の姿を想像すれば、さらに〈映像〉に厚みを与えることができる。
が、林芙美子は二人の姿を捕らえる前に、一拍を置いて、陵墓附近に昏く
続く原生林を俯瞰し、次にカッチャ松やナギが亭々と原生林のなかに混生し
ているのを映し出す。カメラは空高く浮上し、原生林を突き抜けた「十二三
ヘクタアルのカッチャ松の、人工播種造林地帯」を鳥瞰しつつ、民家の「炭
焼きのかまど」もアップで映し取っている。林芙美子監督の見事なカメラワ
ークである。読者は、この極めて鮮明に映し出された鳥瞰図的光景によって、
富岡たち山林事務官の仕事の地理的植物学的領域を俯瞰することができる。
富岡の〈気粉れ〉(人物の内部を映す)、森の中の〈常緑濶葉樹やねばっ
こい花粉〉(森の中の自然を映す・時にアップ)、〈原生林〉〈人工播種造
林地帯〉(俯瞰)、〈炭焼きのかまど〉(アップ)・・林芙美子は短い描写
の中で巧みにカメラを移動させ、読者に重層的な光景(映像〉を見せてくれ
る。こういったカメラワークの駆使があって、はじめて人物が生き生きと描
かれることになる。


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