寺山修司・関係

五十嵐綾野さんの寺山修司論(連載⑧)

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五十嵐綾野さんの寺山修司論(連載⑧)
 寺山修司と歌謡曲② 『ああ上野駅』 


寺山修司と歌謡曲② 『ああ上野駅』

五十嵐 綾野

 井沢八郎による『ああ上野駅』は昭和39年にリリースされた。集団就職により上野駅に降り立った若者の心情を歌っている。集団就職が行われた時期は、高度経済成長と重なっていた。集団就職者のほとんどが、上野駅で降り、雇い主に引き渡されたという。現在上野駅には歌碑が建てられている。団塊の世代の心の応援歌として現在でも親しまれているようだ。歌詞を読めば大体のことは読み取れる。イメージも浮かんでくる。
 私にとって上野駅は、中学・高校の6年間を通学路として使っていたため、身近である。他にも友人と遊んだり、買物をしたり、わりとよく利用していた。曲が良い悪いではなく、あまりにもレトロな雰囲気なのでそれだけで満足してしまう。自分は生まれてもいない時代の曲であるのに、なんだかよくわからないが、懐かしい気持ちにさせる何かがある。初めて一人旅をした時、終着駅が上野だった。車窓がきれいな自然風景からごちゃごちゃした風景に変わったとき、なんだかほっとしたものである。
 では、なぜ『ああ上野駅』について書こうと思ったのか。寺山修司著『ドキュメンタリー家出』を読んだからだ。これを読んでいたら自然と『ああ上野駅』が頭に浮かんでくる。この本は、寺山と天井桟敷のメンバーにより構成されている。本というよりは雑誌のようである。出版されたのは40年前の、昭和44年である。
内容は寺山による家出論はもちろん、家出人の手記、討論会、家出少年少女への62の質問など盛りだくさんである。一番面白いのは「付録 実用的家出案内」である。この章には、上野駅近辺の地図や食堂、病院、就職というように一通りの情報が集められている。本当に困ってしまった場合の対処方法まで記載されているため、極端に言えばガイドブックとしてこの本だけを持って家出をしてもいいかもしれないと思った人もいるのではないだろうか。
笑ってしまうような内容で、現在では絶対に通用しないだろう。家出後の運勢占いは、つい真剣に見てしまった。子、丑、卯年は家出の可能性が高いという。私は寅年だが、特に書いてなかったので逆に気になった。「そこまでやるのか!」という印象を受ける。その寺山の徹底振りは凄まじい。作ろうとしても作れるものではない。『ドキュメンタリー家出』を読んでいた読者のその後が気になる。
 寺山といえば『家出のすすめ』に目を奪われる。むしろ、『ドキュメンタリー家出』こそ読むべきだと思う。寺山の声より、家出人たちの生の声を知ることができる。少々読みにくい部分もあるが、それがまたリアルである。みんなに共通しているのは、モヤモヤしたものを抱えていること。例えば家族問題。これは、話し合いをすれば解決するというものではない。積もり積もって、ある日爆発して家出というような展開である。家出をして自分の気持ちは落ち着くかもしれないが、根本的なものは変わっていないのでどうしようもない。
 改めて『ドキュメンタリー家出』を読むと、若者を煽り立てているようには見えない。寺山の言っているのは自立としての家出である。登場する家出人のほとんどは東京の学校に行くという理由で上京した「騙し家出」あるいは、家や友からの「逃げ」である。だから、寺山に憧れて家出するという理由がそもそもうすっぺらい。天井桟敷に行けば、なんとかなるという甘えが見える。『東京へ行こうよ』という発禁になった曲もある。家出を推奨するからという理由である。
最近、田舎暮らしを進める動きがある。新聞に田舎には空き家があるから住居には困らず、食べ物は自給自足で賄えるから仕事の無い都会より良い、と書いてあった。タイトルは「田舎にいらっしゃい」というような感じであった。これは恐ろしい勧誘であろう。都会の生活に慣れきった人が土を耕すことができるだろうか?農作物はそんなに急には育たない。このことを歌詞にして曲にしたら、流行歌になるかもしれない。

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