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林芙美子の文学(連載18)林芙美子の『浮雲』について⑯

林芙美子の文学(連載18)林芙美子の『浮雲』について⑯
清水正

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林芙美子の文学(連載18)
林芙美子の『浮雲』について⑯

清水正


林芙美子の文学(連載18)
林芙美子の『浮雲』について⑯
清水正

林芙美子の代表作『浮雲』とドストエフスキーの『悪霊』の関係に肉薄して
いく。

2009年5月22日(金曜)
毛布を蹴って、シーツに楽々と横になる。・・食堂の扉がきいっと軋ん
で、ゆっくり二階へ上って来る加野の足音がした。加野の奴、加野の奴と、
ふっと、そんな言葉を胸のなかで富岡はつぶやく。幸田ゆき子のすくすくし
た躯つきが、妻の邦子にどこか似ていた。第一に、言葉のニュゥアンスが通
じたという、妙な発見が、富岡の心に響いた。同じ人種の男女にだけ、通じ
あう、言葉や、生活の、馴々しさが、ここに一人現われた、幸田ゆき子によ
って示されたかたちだった。・・加野は、今夜はなかなか眠れないと、富岡
は、ふっと微笑した。やがて隣の部屋では、乱暴に椅子を引き寄せたり、洋
服箪笥を開けたりしている、加野の苛々した気配が聞えていた。
(194 〈
十〉)
人間の内部にどこまでも降りていって、その思いを徹底して言語化してい
くというのではない。二階へ上ってくる加野の足音や、乱暴に椅子を引き寄
せたり、箪笥を開けたりしているその様子を隣室の自分の部屋で聞いている
富岡を通して、加野や富岡自身の思いを端的に表現する。富岡が〈加野の
奴〉という言葉を胸のうちで呟く、そのことで富岡が加野をどう思っている
かが端的に表される。久しぶりに逢った後輩の加野である。ゆき子の登場が
なければ、二人の仲に溝が生じることはなかったであろう。
幸か不幸か、ゆき子は二人の男の慾情をそそる対象となってしまった。富
岡はゆき子の〈すくすくした躯つき〉に妻の邦子を想いだすと同時に、同じ
人種の男と女に通じるニュアンスを感じた。富岡がゆき子の存在をかなり意
識していたことは明白で、一足先にゆき子と二人きりの時を持った加野にほ
のかな嫉妬を感じていたことも確かである。
富岡も男であるから、加野の苛々した気持ちは手に取るように分かる。加
野が「今夜はなかなか眠れない」ことを思って「ふっと微笑した」のは、富
岡の加野に対する優越感の現れであったろうか。富岡は直観的にゆき子のよ
うな女は加野に向いていないことを分かっていたし、いずれゆき子は自分の
ものになることを予感していた。
〈毒舌〉で女の心を揺さぶり、怒らせる、これもまた口説きの一つのテク
ニックである。怒って、泣いて、その場から姿を消すのも、女の口説かれ方
のひとつである。富岡とゆき子は食堂でそういった男と女の戯れごとを、無
意識のうちに演じて見せたということである。加野は男と女の〈戯れごと〉
の舞台に端役として登場を許されただけであるが、加野本人は自分こそが主
役を演じる男だと勘違いしてしまった哀れな役回りを演じることになる。
富岡は寝つかれなかった。標本室の電燈を消すことを忘れていたような
気がして、富岡はまた、のこのこ起き出して、廊下へ出て行った。階下へ降
りると、ニウが水色の部屋着を着て、標本室の入口に立っていた。
「燈火を、消し忘れたンで、降りて来たンだ」
富岡が、安南語でささやくように言った。
「私も、いま、燈火を消しに来たのです」
ニウはそう言って、自分で、長い部屋着の裾を前でつまむようにして、
背延びをして、壁のスイッチを切った。富岡は重たくぶっつかって来る女の
躯を抱きしめた。ニウが何か言いそうだったので、富岡はあわてて、ニウの
唇に接吻した。長い接吻のあと、小柄な女の躯を壁に立てかけるようにして、
富岡は二階へ上ったが、ニウが、かすかに笑い声をたてたような気がした。
二階の梯子を上りながら、富岡は銅像の団十郎のように、眼をむきながら、
ゆっくりと部屋へ這入った。
(194 ~195 〈十〉)
2009年5 月23日(土曜)
加野も眠れない、富岡も眠れない。富岡が隣室の加野の苛々した様子を手
に取るように分かっていたように、加野もまた富岡の様子をそれなりに分か
っていたはずである。そして女中のニウもまた眠れなかった。富岡の意識は
誰よりもゆき子に向いている。
ニウの選択物を整理する姿から、富岡は妻の邦子を想い、躯つきの似てい
るゆき子を想う。富岡はニウが自分に抱かれたいと想っていることが十分に
分かっていながら、知らんぷりを決め込んで相手にしなかった。しかし、寝
つかれないままに標本室の電燈を消し忘れたことを思い出し、階下に降りて
いくと、標本室の前でニウと出くわす。もはやニウをそのまま放っておくこ
ともできず、ニウを抱きしめて長い接吻を交わす。
その前、ニウは「何か言いそうだった」と書かれているが、いったい何を
言いたかったのだろうか。妊娠、結婚……。いずれにせよ、富岡はニウが彼
にとって面倒な話を巧みに回避しようとする狡さを持っている。別れ際、富
岡はニウが「かすかに笑い声をたてたような気が」するが、この〈笑い声〉
は、ニウの素直な喜びの声なのか、それとも富岡が自分の狡さに疚しさを覚
えて幻聴のように聞こえたのか。
富岡は燈火を消した。
燈火を消すと同時に、隣室の加野が、ドアを開けて、また、ゆっくりし
た足音をたてて、階段を降りて行った。……まさかと、妙な考えを打ち消し
ながら、富岡は耳をそばだてていた。・・しばらくして、深い井戸に、水滴
のしたたるような音階で、食堂のピアノがぽつん、ぽつんと鳴った。長い間
の、山歩きの禁慾生活が、加野をもの狂おしくしているのだと、富岡はきき
耳をたてていた。頭をしずかに枕に沈ませる。さっき、ニウとひそかに接吻
した、自分のいやらしさが、急にむかついて来た。加野も自分も、恋ではな
いものを恋しているのだ。二人とも、内地にいた時の、旺盛なヱスプリを失
ってしまっている。ダラットの高原に移植されて、枯れかけている日本の杉
のようなものになりつつある。自分たちを、富岡は何気なく、南洋ぼけかな
と、咽喉もとでつぶやいてみるのだった。
(195 ~196 〈十〉)
長い間の禁欲生活が加野をもの狂おしくしている、のだと富岡は想う。富
岡も同じである。富岡が愛しているのは友人から奪った妻の邦子であって、
女中のニウではない。ニウは富岡の慾情を満足させるためだけの女である。
否、富岡はもはや誰も愛していないのかもしれない。内地で苦労している邦
子を想い、自分の世話を焼いてくれるニウの情けを想い、妻に肉づきが似て
いるゆき子に慾情しても、それをはたして愛と呼べるだろうか。
今、富岡が最も気になっている女はゆき子であり、邦子でもニウでもない。
富岡は気持ちがその相手に向いていないのに、長い接吻までして相手と自分
の気持ちをごまかす、そのいやらしさにたまらない自己嫌悪を感じるが、し
かしだからと言ってそういった態度を改めようとはしない。富岡は自分も加
野も「恋ではないものを恋している」だと思う。
いったい富岡の考えている〈恋〉とは何なのか。〈恋〉とは一過性の熱中
であり、好きな相手との心身共の合一を激しく願う感情である。〈恋〉はそ
の激しい熱中性ゆえに長続きすることはない。相手がどこかへと逃げきって
しまうならば、残された者はその不条理に悲嘆と憤りを覚えても、ひとり時
の経過に耐えているほかはない。熱中の最中に二人で死ねば、一過性の恋も
永遠性を獲得する。しかし、相手が他に好きな者を拵えて三角関係にでもな
れば、殺傷沙汰に発展する場合も少なくはない。
慾情の勝った恋を恋と言わないのであれば、加野のゆき子に対する苛々し
た想いを恋と呼ぶことはできないだろう。しかし富岡の場合はどうなのだろ
うか。ダラットで安南人の女中と関係を続けていた富岡が、久しぶりに日本
の女と出会って毒舌ぶりを存分に発揮して「言葉のニュゥアンスが通じた」
という妙な発見に心が響いたというのであるから、彼がゆき子に加野以上に
興味と関心を抱いたのは紛れもない事実なのである。
風も吹かない「静かな晩」、燈火を消した部屋で富岡は、階下の食堂で加
野がピアノを弾く音を耳にしている。林芙美子は富岡が耳にするその音を
「深い井戸に、水滴のしたたるような音階で、食堂のピアノがぽつん、ぽつ
んと鳴った」と表現した。その表現の直後に「長い間の、山歩きの禁慾生活
が、加野をもの狂おしくしているのだ」と続くのだが、富岡が加野の弾くピ
アノの音にはてしない、どうしようもない自分自身の孤独の音を聞き取って
いたことも確かである。林芙美子の文章は、書かれた言葉の奥に、膨大な体
積の言葉を潜めている。


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