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林芙美子の文学(連載17)林芙美子の『浮雲』について⑮

林芙美子の文学(連載17)林芙美子の『浮雲』について⑮
清水正

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林芙美子記念館
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林芙美子の文学(連載17)
林芙美子の『浮雲』について⑮

清水正


林芙美子の文学(連載17)
林芙美子の『浮雲』について⑮
清水正

林芙美子の代表作『浮雲』とドストエフスキーの『悪霊』の関係に肉薄して
いく。

2009年5月21日(木曜)
部屋へ戻って、久しぶりに妻へ手紙を書こうと思った。サイゴンへ旅をし
て、十日あまり、故国へは音信もしていない。しみじみした淋しさの思いは、
妻へだけは言えるような気がした。あらゆるものが乏しい内地にあって、言
うに言えない苦労を、一人で続けているであろう妻の姿が、ほうふつとして
浮んで来る。サイゴンで買った、ミッチェルの口紅や、粉白粉を、近々好便
を選んで内地へ送ってやりたいと、富岡は妻の邦子に、そんなことも書き添
えてやりたかった。
咽喉が乾いたので、標本室を出て、食堂へ行った。加野がまだ食堂で残
りのコアントロウをかたむけていた。
「幸田女史は戻ったようかね?」
「ああ、戻って、自分の部屋へ行った」
(193 ~194 〈十〉)
富岡は妻の邦子を愛している。ニウの姿を見て彼は、内地で辛い思いで彼
の帰りを待っている妻を想う。妻をそれほど想っているなら、なぜニウと肉体
関係を持つのか、などという倫理の次元で責めてもだめなのである。林芙美
子は倫理やきれいごとの高見から男を裁くような視点はない。どうしようもな
い人間のどうしようもなさを描いているだけである。
富岡はサイゴンへ十日を旅をして故国へは音信もしていない。林芙美子は
さりげなく書いているが、富岡がサイゴンで女遊びをして、妻への手紙を書
く気にもならなかったことは明白である。それが、ニウの洗濯物の整理の姿
を見て、妻を急に想いだし〈やりきれない淋しさ〉に襲われたのである。富
岡はサイゴンで買った口紅や粉白粉を送ってやりたいと思う。しかし、見て
の通り、富岡は想っただけで、妻に手紙も書かなかった。妻に手紙を書くこ
とよりも、咽喉の渇きに気がとられてしまう。
食堂に降りて見れば、そこにはゆき子のことを想って眠ることのできない
加野が、酒を飲み続けている。「幸田女史は戻ったようかね?」と富岡は訊
く。なぜそんなことを敢えて訊くのか。作者は描いていないが、富岡の心を
占領しているのは、ニウでもなく、妻の邦子でもなく、幸田ゆき子その人で
あったということである。
富岡は、水を飲み、またゆっくりと二階へ上って行った。部屋には、も
うニウはいなかった。富岡は扉に鍵をかけて、ベッドへ後ざまに寝転んだ。
バネがきしきしとたわむ音を聞きながら、じいっと、天井のくもり硝子の電
燈を見つめていた。心に去来するものは、何もなかった。水のような、淋し
さのみが、しいんと、濡れ手拭のように、額に重くかぶさって来る。横にな
ってしまうと、妻へ手紙を書くことも、ひどく、億くうになって来た。やが
て、富岡は黄ろいパジャマに着替えた。思いをこめて洗濯してある。アイロ
ンのすっきりしている寝巻き……。ニウの情けが哀れであった。
(194 〈
十〉)
富岡はゆき子のことを想っている。加野がゆき子のことを想って眠れない
ように、富岡もまたゆき子のことを想って眠れない。しかし富岡はそのこと
を自分自身に巧みに隠した。隠した富岡の内面に限りなく寄り添って、作者
は富岡のゆき子に対する想いに完璧に触れない。
「富岡は扉に鍵をかけて」ベッドに寝転ぶ。富岡は誰にも邪魔されないよ
うに自分の部屋に鍵を掛ける。いったい夜中に誰が富岡の部屋を訪れるとい
うのだろうか。富岡はニウを拒んで鍵を掛けた。ゆき子のことを想う富岡は、
今夜、ニウを抱くことはできない。富岡は「バネがきしきしとたわむ音」を
聞いている。この音は富岡の内部のきしむ音である。
妻の邦子、現地妻のニウ、そこに新たに幸田ゆき子が現れた。富岡はゆき
子が自分に心惹かれていることを知っている。が、彼は今、判断保留のまま
「じいっと、天井のくもり硝子の電燈をみつめてい」る。「心に去来するも
のは、何もなかった」と作者は書く。富岡は、邦子、ニウ、ゆき子の誰にも
心を奪われていない。富岡は虚無のただ中に身を置いている。その虚無の中
心点にあって「水のような、淋しさ」を「額にかぶさって来る」濡れ手拭の
ように感じている。
富岡は妻を想い、ニウを想い、ゆき子を想うが、彼女たちの誰一人として
自分をこの〈虚無〉から救い出してくれる存在とは思っていない。富岡は妻
に手紙を書くことすら億っくうになってくる。富岡はニウが「思いをこめて
洗濯してある」寝巻に着替え、ニウの〈情け〉を哀れに思う。富岡はまさに
〈ものに感ずる心〉豊かな男なのである。しかし、どうすることもできない
のだ。故国から遠く離れて、妻以外の女といっさい関係しないということは
男の生理が許さない。富岡は自分の行動を倫理や道徳で縛ることはしない。
殺すか殺されるかという過酷な戦争の最中にあって性衝動を縛る倫理が成立
するわけもない。
富岡はニウの情けを哀れと想うが、ニウの気持ちに応えられない自分を責
めることはない。〈アイロンのすっきりしている寝巻き〉にニウの情けをこ
めた林芙美子の思いは、さすが女流作家ならではと思う。女にしか分からな
いような女の思い、それを林芙美子は富岡の眼差しに与えた。富岡は女心を
十分にくみ取れる男として描かれている。


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