2009
06.11

対談「チェーホフの現在」清水正・工藤正廣

清水正のチェーホフ論

対談「チェーホフの現在」清水正・工藤正廣
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江古田文学62号「特集 チェーホフの現在」より
対談「チェーホフの現在」清水正・工藤正廣 チェーホフを読め


対談 チェーホフの現在

清水正(文芸批評家・日大芸術学部教授)
工藤正廣(ロシア文学・北海道大学教授)

清水:私は十七歳のときに『地下生活者の手記』を読み、十九歳のときか
ら「白痴」について批評をはじめました。大学一年のときに『ドストエフ
スキー体験』という本を出しまして、それ以降ずっとドストエフスキーを
やってきました。ドストエフスキーは自分の一生を苦しめた問題は神の存
在であると書いています。彼の文学は神がいるか、いないかについて議論
が展開されるわけで、ものすごく熱いわけです。描かれる人物もみんな、
熱いか冷たいかで激しいんですね。チェーホフとドストエフスキーの文学
は違うものだと受け取られてきたので、関連付けて考えられたことはあま
りないようなんですが、チェーホフの『六号室』の中にはドストエフスキ
ー的なものが含まれている、かなりドストエフスキーを読み込んでいると
思います。ただし、それが巧みに消化されているのでわからないようにな
っている。
チェーホフ的とは何かというと、激しくないということです。日常的な
ありふれた中で、人間の狂気とかいろんなものを描き出している。私が読
んで感じたのは、けだるさ。神があってもなくても「どうでもいい」とい
う「フショー・ラヴノー」という言葉に強くひかれました。私は十代後半
からずっとドストエフスキー的な神の問題というのを考えてきましたが、
日本人である私にとって本当に神というものが必要なのか、たいていの日
本人は神があろうがなかろうが、そんなこと関係ないと無視する。神があ
ってもなくてもどうでもいいという、チェーホフ的なものを日本人は持っ
ているわけです。
ドストエフスキーの文学は晴れるときには太陽がギラギラ輝いている、
天候が崩れると大吹雪になってですね、中間がない。ところがチェーホフ
の場合は、曇り空、決して晴れてはいない、青い空が見えるわけでもない、
激しい雨が降り続くわけでもないし、大吹雪になることもない。チェーホ
フの眼差しというのは45度の眼差しで空を見上げているような感じがす
るんですね。曖昧な45度という中間の眼差しで曇り空を眺めている。単
に曇り空を眺めているのかというとそうではなく、曇り空の向こう側は太
陽が輝いている、希望があるんだという眼差しを感じるんです。かといっ
て曇り空が晴れるわけではない。私は大学で学生に冗談で言うんです。君
らと僕は同じだよ、と。敗戦を迎えた後の世代というのは、なんかどんよ
りしてますよね。何が正しいとか、悪いとかはっきり言うわけじゃない。
その感覚は今の若い人も持っている。それが私におけるチェーホフ的な
「フショー・ラヴノー」なんです。絶望的でもなく中途半端などんよりし
た、ドストエフスキー的でない、なまぬるきもの。日本人の感覚で言うと
適当ということですよね。適当なんていうとマイナス価値で言われていま
すけれど、肯定的に捉えると極端でない、良い加減なわけです。今私が感
じている、日本人としての良い加減と重ね合わせながらチェーホフ的なる
ものを感じています。
チェーホフを読むのは熟練した読者でないと難しいと思いますね。宮沢
賢治にも同様のことがいえると思います。当然同時代の人には理解されな
い。死んで五十年経っても分からない。ドストエフスキーも百年経っても
分らないことがたくさんあるんです。百年前に織り込まれた謎が発見され
ないままに読まれている。チェーホフもものすごく分からない。私は〈曖
昧の深淵〉と言っています。
工藤:ドストエフスキーとチェーホフの時代というのは画然とした違いが
あって、ドストエフスキーの時代までは検閲があろうが、かなりのことが
書けたと思うんですが、チェーホフの時代は書かなかったと思います。一
八六〇年代というのは神様がいなくなって、非常に科学的な時代になって
きて、ロシアで一種の科学信仰の時代がやってきた。そのときにチェーホ
フが書くんですが、非常に抑えた形になっていく。だけどよく見ると、ド
ストエフスキーたちがやったことをちゃんと受け継いでいる。『アンナ・
カレーニナ』は今で言うと不倫小説ですよね。それはチェーホフも書いて
いる。ただ、表現の仕方が違うし、神様がいない。そういう時代を生きて
きたわけです。作品の中に隠された自然観は現代に役立つと思います。
清水:ドストエフスキーもそうですが、一九世紀ロシア文学というのは性
描写がありません。かといって書いて無いわけではないんです。私は「罪
と罰」は俳句だと思っています。主人公ラスコーリニコフの七日間くらい
の物語で、全体で十三日という説が有力なんですが、書かれていない領域
がものすごく多いんです。だから俳句と思うんですが、その書かれていな
い部分のひとつがセックスなんですね。我々がいくら読んでいってもマル
メラードフとカチェリーナのセックス場面は直接書かれていませんから、
ぜんぜんわかりません。でもわかるんです。ラスコーフニコフの友人のラ
ズミーヒンと下宿の女将も男と女の関係になっているのがわかります。チ
ェーホフはドストエフスキーよりもっと巧妙であるかもしれません。『退
屈な話』には六十二才の老教授ニコライ・ステパーノヴィッチと妻と娘、
それから養女カーチャが出てきます。親子ほどの差があるニコライとカー
チャの間には肉体関係があります。誰もそんなふうに思って読んでこなか
ったと思いますが、わかります。最後の場面でカーチャがニコライを追っ
てきます。ニコライはもう死ぬと言うんですが、カーチャはそれにたいし
て何も言いません。カーチャにとっては関係ないんです。カーチャが求め
ているのは愛なんですから、その愛が破綻すれば自分も死ぬと覚悟を決め
てきているんです。そいうことがちゃんと読まれないままに『退屈な話』
は読まれてきたんです。読者の読みが熟練していないと読み切れないんで
すね。この点は工藤さんいかがですか?
工藤:ロシアっていうのは何でもあるわけだから、今清水さんが言ったこ
とは当然あって、それが人間の生活ということで、ロシア人は非常にわか
っていて、全部了解しているわけです。チェーホフはどうしていいかわか
らないということが多いんですが、そういう結論の出し方はドストエフス
キーにはないんですね。現代で小説を書く可能性はドストエフスキーより
チェーホフにあると。それはつまり結論がつかないわけです。カーチャの
場合も結論がつかない。死生観といのがかなりアジア的という感じがしま
す。
清水:三十歳代の頃はドストエフスキーのみだったわたしも年をとるにつ
れて、チェーホフ的なるものに心惹かれていくのは、相当堕落したのかな
と思うところもあるし……。つまり人間が生きていくっていうことは、そ
ういうことなのかなとも思うんです。チェーホフは四十四歳で死んでいる
んですが、八十歳の老人が言ってもいいようなこと言っていますね。そう
いところが面白いなあと思っています。
工藤:チェーホフとドストエフスキーの関係というのはドストエフスキー
が亡くなる前ですけど、プーシキンの序幕祭のときにドストエフスキーと
ツルゲーネフが公演をやる、そのときに若いチェーホフは来ているんです。
だから、二人の顔を直接見ているんです。そのときモスクワの若者たちが
そこに殺到してすごいフィーバーだったんです。チェーホフは非常に冷静
で、ドストエフスキーを読んだとさえも言ってない。でも、ドストエフス
キー的なものは確実に作品に入っている。ツルゲーネフ、ドストエフスキ
ーを確実に読んだ世代だったんです。さっき清水さんとお話していて、土
方巽に最後にあったと聞いてびっくりしましたが、その人に会っているか、
会っていないかは、ものすごく大きなことだと思うんです。だから、プー
シキン祭の演説を聞いたというのは生涯チェーホフの心に残った大きな出
来事だったはずです。『死の家の記禄』がドストエフスキーの出発になる
わけですが、シベリアに流されての四年間やその後、収監中に見たことだ
とか、ロシア民衆の色んなことを書いている小説ですが、チェーホフはそ
れを越えないと作家になれないわけです。チェーホフは『サハリン島』、
死の島なんですが、それで先行世代を超えるというか、対抗する形をとっ
たと思います。チェーホフにとってドストエフスキーは超え難い一大山岳
みたいなものだった思うんですよね。
清水:トルストイはドストエフスキーより七年ほど後に生まれてくるんで
すが、大貴族ですよね。ドストエフスキーは成り上がりの貴族ですから、
貴族の生活なんて知らないわけです。シベリア生活を終えペテルブルクに
戻って、ドストエフスキーは『戦争と平和』も『アンナ・カレーニナ』も
高く評価しています。トルストイはドストエフスキーの『死の家の記録』
を最も評価しています。チェーホフも『死の家の記録』を高く評価してい
て、それと『サハリン島』との関連は重要だと思いますね。
『退屈な話』の老教授の名前がニコライ・ステパーノヴィッチなんです
が、ドストエフスキーの読者がニコライ・ステパーノヴィッチといって思
い出すのは、『悪霊』のニコライ・スタヴローギンとその先生であったス
テパン・トロフィーモヴィチです。『悪霊』という小説は日本の代表的な
小説が、だいたいみんな意識している。葛西善蔵、横光利一、椎名麟三が
そうですね。『悪霊』を読んで坂口安吾は『吹雪物語』を書き、埴谷雄高
は『死霊』を書きます。世界的にはアルベール・カミュが脚本化していま
す。チェーホフはドストエフスキーの名前を正面切っては出していません。
『サハリン島』では少しは出てきますが、ニコライ・ステパーノヴィッチ
という名前が『悪霊』を意識して付けられたのだとすれば、私の再構築に
なりますが、大変な問題が出てきます。『悪霊』と関連づけると『サハリ
ン島』には何か妙なものを感じるんですが、そのへんはいかがですか。
工藤:どうしてチェーホフがサハリン島に行ったのか、シベリアとサハリ
ン島のどさまわりをやっていた女優がいるんです。そこからシベリアの情
報、サハリンの情報をたくさ仕入れることになってそれで興味をもち行く
ことになったというのが一説にあります。チェーホフは喀血していて、シ
ベリアを通っている間に喀血が治ったというんですが、本当にサハリンま
で行った理由はドストエフスキーが流されたのと同じように、チェーホフ
は自らを流したんだと思うんです。
そこで出身をたどってみると、四百年五百年続いた豪農の一族で、そこ
からは画家も出ているし、芸術家がたくさん出ている。ロシアの農奴の中
でちゃんと納税義務を果たしていたという記録が残っている家は多くはあ
りません。非常に大事な点だと思うんですが、チェーホフは、ただの農奴
の子ではなく、ロシアの農民を代表する家系の子だったんです。一八六〇
年世代のエリートで、四百年も続いたロシアの塗炭の苦しみを知っている
わけです。いかに不幸に満ち満ちているか。彼はもっとロシアの人々のこ
とを知りたいと思いシベリアからサハリンへ行く。そこの代表的な人々は
みんな追放された人たちですね。そいう人たちに会いたいとチェーホフは
自ら行ったんじゃないかなと、私は思います。妙なものっていうのとは話
が通じなくなっちゃったね(笑)。
チェーホフはシベリアに来て日本の遊郭に草鞋をぬいで、そこに一晩泊
まるんです。そしてサハリンに向かうんですね。その辺りで色んな人々を
見るというのはかけがえのない、チェーホフにとっての『死の家の記録』
というかね。
清水:『サハリン島』で一番不思議だなと思ったのは、チェーホフがサハ
リンにいた三ヶ月ほどの間に細かくひとつひとつの世帯を調査していて、
七千八百くらいの調査書が残っている。なぜ、こんなに細かくここまで調
べる必要があったのかと妙な感じがします。それは、まず軍事的な問題が
あったのではないか、領土の問題、それから調査したのはサハリンだけで
はなかったのではないか。個人的に小説家としてロシアの民衆をもっとよ
く知りたかったというだけではなく政治的な側面があったのではないかと
いう感触があるんです。これは『悪霊』というスパイ用語に満ち溢れた小
説、つまりピョートルは二重スパイであり作中作者のアントン・ゲーは国
家から派遣されたスパイだという話の文脈から『サハリン島』を捉えてみ
ると、深読みになりますけどね、その妙な感じを受けるわけです。そうい
う点はどうですか。
工藤:私は全くないと思っています。シベリアからの手紙は全部残ってい
るし、チェーホフの関心は政治的なことではなかったと思いますね。一八
六〇年代の思想っていうのは、ロシアの貧困をどうやって救うか、それが
一番大事なことだった。それが知識人の仕事だから、怪しいことは何もな
かったと思います。社会的な調査っていうのはやっぱり科学的なもので、
政治的な流れはないと。
清水:曖昧なことなのでまだ保留にしておきたいことなんですがね。『死
の家の記録』との違いでいうと、チェーホフは女囚のことを書いています。
流されてきた女囚たち、あるいは流刑された夫についてきた妻たちが体を
売って生活していたんだという逃れることのできない現実です。チェーホ
フはあまりそこには触れませんが、数行そういった記述があれば、そこか
ら人は自分の体験を通して想像を膨らませていくことができますし、サハ
リンにおける様々な囚人たちや家族たち、人間たちの生態みたいなものを
非常に短く凝縮した言葉で書いています。それがいいなと、思いましたね。
それと、あまりにも学術的だなと。例えば、これが政府機関が金を出し
て作った調査隊だったとしても、これほどのことはできなかったんじゃな
いかと思うくらい、行く前にも相当な資料を集めて、文献も読んでいるし、
三ヶ月行ってきて、五年をかけて書いたというんですよね。サハリン島に
たいするチェーホフの情熱が果たして、小説を書くためだけのものだった
のか、奇妙な感覚になるんです。
工藤:学術的なという意味ではロシアの裁判制度が見直しの時期だったん
ですね、それで誰もやらなかったのを彼が一人でやるというわけだから、
社会的な世論を喚起したいという動機も勿論あっただろうし、チェーホフ
は大冒険家であろうとした若い時期があるわけです。だから極北のサハリ
ンが帝政ロシアの縮図だということぐらいは最初からわかっているわけで
す。その縮図を見ればロシアがわかるという文学者としての何かがあった
んだと思いますね。五年もかけて難渋しながら書くんだけれど、学術的だ
とは言い難い。むしろ長編小説的な感じがしますね。それとドストエフス
キー的な裏読みができるチェーホフではなかったような気がします。それ
からチェーホフは冗談を言ったり、非常に明朗闊達な人だったようです。
冷徹なところもあるんですが美丈夫だった。だから二重スパイ的なことで
はなかったと思いますね。ただチェーホフはサハリンに来て男になります
よね。お土産もたくさん買って帰りますね。
清水:『サハリン島』を離れますが、『イワーノフ』の中でイワーノフが
ユダヤの女と結婚します。ユダヤの女はユダヤ教からロシア正教へ信仰を
変えて、親とも喧嘩別れしてイワーノフについてくる。ところがイワーノ
フは結婚して四年ぐらい経つともうすっかり冷めてしまって、憂鬱症にな
っている。チェーホフ文学の一つの特質性として、今現在の人生、暮らし
というものを時間軸の中で、悲観的に見ている眼差しがある。今がどんな
に幸せでも五年後はどうなっているかわからない。
今、自分は楽しいけれども、その楽しさも、苦しさもやがてはなくなっ
てしまう。やがては人類そのものがなくなってしまうかもしれないという、
未来の或る時点から現在を見る眼差しというのが、チェーホフにはずっと
あって、それが彼の空虚というか、何をやっても空しいということにつな
がっているわけです。
チェーホフは写真を見てもわかりますが、いい男ですね。女性にもかな
りもてたんでしょうね。
工藤:もててもてて困ってたんですよね。どうやって逃げるか、身のこな
しが重要なんですけど。トルストイでさえ惚れ込んで、チェーホフが歩い
ている姿を見てあんな大きい人なのに身のこなしがお嬢さんのようだと。
それから、特別に笑顔が素晴らしかったそうです。都会的なものではなく、
農民的なものだそうですが、その微笑を見たら忘れがたいそうですよ。モ
ナリザみたいな微笑みなのか、そういうものだったらしいですね。身長は
一八五センチ以上で恰幅がよくて、すごい美貌を誇った人だった。周りに
はたくさんの女性がいたんですが、それも異様な、不思議な感じですよね。
チェーホフの女性像というのは色々あると思うんですが、ドストエフスキ
ーの描く激しい女性とは随分違うでしょ?
清水:ドストエフスキー以降に小説を書いているわけですから、同じもの
を書いてもしょうがないのであって、ドストエフスキーを乗り越えようぐ
らいの野望があったと思いますよ。
工藤:ロシアの文学史というのは先行する世代の巨人的な文学者がいて、
それをどうやって乗り越えていくか、という形でつながっていくんですね。
チェーホフは自分の書いたものは七年くらい読まれたら終わりだろうと言
っていたんですが、随分長いこと百年も読まれてきましたね。太宰も消え
ていいようなものが読み続けられている。チェーホフの評価は増々高くな
っていますからね。ドストエフスキーは読まれなくなるのでしょうかね?
清水:増々読まれていくんじゃないでしょうか(笑)。チェーホフの人物
というのは日本人の人間関係と似ていると思います。一定の距離をきちん
と置いた付き合い方で、相手の内部に土足でいきなり踏み込んでいったり、
掻き回したりするということはないですね。かならず一定の距離を置いて、
自分の問題は自分の問題として、殻を破らない。ドストエフスキーの場合
は誰彼かまわず飛び込んでいって、濃密な関係性を結んでいってしまう。
だから相手が発狂してしまうとか、お互いに破滅し合ったり、殺すとか殺
されるとかになっていってしまうんですね。小沼文彦さんが言っていまし
たけれど、もし直にドストエフスキーと付き合いたいかといえば、付き合
いたくないと言っていましたからね。やっぱり小説を読むのはいいけれど
も、ドストエフスキーと会って、コーヒーを飲むとか、酒を飲むとかはし
たくないという感覚はありますよね。チェーホフはいいですね。こんなに
チェーホフがいいとは思わなかったですね。
工藤:私は『死の家の記録』をちらちら眺めてきたんですが、やっぱりこ
れよりチェーホフの『サハリン島』の記述のほうがいいなと思ってるんだ
けれども、津軽の歴史風土の中でチェーホフ型とドストエフスキー型とを
考えてみたら、面白いと思うんだよね。津軽はチェーホフ型が多いんじゃ
ないかなあと。弘前は特にチェーホフ型なんじゃないですかね。
どうしてチェーホフがバランスのとれた人間関係を体得したかっていう
と言語に関係があると思うんです。大学に入るまではタガンローグの田舎
にいるわけですから、完璧な方言を話したらしいですね。かなり訛ってい
るんですよ。その訛った言葉でかなり後まで作品を書いていて、それを推
敲して直していた。だからしゃべればタガンローグの南のアゾフ海の方言
で、津軽弁でしゃべっているのと同じですよね。寺山さんみたいなしゃべ
りかただったんじゃないですかね。それでモスクワに言って作家活動をす
るわけだから、だいぶ馬鹿にされたそうですよ。だから言葉による人間関
係の面ではかなり訓練されたのではないかと思いますね。
それとアジア的な感覚があるというのは、私はチェーホフの中にアジア
の血がどこかに入っていると思うんですが、それが、シベリア行きにもつ
ながっているような気がしますね。自分の体が結核に罹って、絶えず死と
いうものがあるんでしょうね。女性に宛てた手紙の中でも肝心要のところ
でずれていますよね。そのずれがチェーホフの全体のずれなんですよ。そ
のコミュニケーションのずれが素晴らしい世界になっている。ドストエフ
スキーはやっぱりつくっているのではないかと思うんですね。ものすごく
劇的につくっていく。チェーホフも劇的にはつくっていくんだけれども、
最終的には不条理的な不可解なところへいく。人間のコミュニケーション
のずれを絶えず引きずっていく。
清水:ドストエフスキーはかなりつくってはいると思いますが、自分が同
じような体験をしたときにですね、なんでドストエフスキーはこの悲しみ
がわかるのかと、思うわけです。チェーホフ的なグレーゾーンに生きてい
る人には絶対にわからない、極端に走って神を信じるか信じないかで人殺
しをしてしまったり、ソーニャのように一家のために体を売っている女の
魂の叫びとか、祈りを、中間地帯にいる人間が、それは大袈裟だ、つくっ
ていると言ってはいけないのであって、それはやっぱりその立場に追いつ
められた人間、そこでかろうじて生きている人間にとってみたら、ドスト
エフスキーの言葉はものすごい励ましの言葉となるんです。
工藤:チェーホフは生ぬるい、煮え切らないような世界になっているけれ
ども、書いている作品はほとんど経験からつくっているんですね。全部経
験からです。創作ノートが残っていて全部うまくつくっているように見え
るけれど、肝心要のところは私小説なんです。経験を非常に深く考えて表
現している。波風立たないんだけれども、ドストエフスキーと比較しても
そんなに変わらないドラマがある。現代の社会の中でドストエフスキー的
なというのは、あちこちにあるんだろうけれど、今生き延びる文学とうい
うのは、ドストエフスキーではなくて、チェーホフのような中間的なとこ
ろをどうやって生きるか、その後に何が出てくるか、そういうものだと思
うんです。
ドストエフスキーには詩がないんじゃないかと思うんですよね。チェー
ホフは短編だからかもしれないですが、どこをとっても詩が響いている。
清水:私はどっちかを取れと言われればドストエフスキーを取りますね。
詩とは魂の震えが言語として外に表出したものだと思います。『カラマー
ゾフの兄弟』に至るまでに長編を何編も書いていますが、それは散文とう
いう形ではありますが、ドストエフスキーの魂の震えだと思っていますか
ら、私にとっては詩ですね。
工藤:チェーホフの詩は淡々としていて、これほど未来という言葉を使っ
た作家はいないんじゃないでしょうか。未来へという言葉とモスクワへと
いう言葉の意味は全く同じなんです。
清水:未だ来ない幸福とか希望に向かっていくというのがチェーホフには
ありますね。ドストエフスキーの場合はまさに来るべき将来。将来という
のは神の王国への入場ということなんです。チェーホフは神の問題を全面
に出しませんから、人類はやがて科学に基づいた幸福を実現するであろう
という未来です。
工藤:そこは怪しいところで、チェーホフは科学で人が救われるとは思っ
ていない。非常に信仰的な人間だったみたいですね。キリスト教の神とい
うわけではないんですが、人間が一生の間で自然界で感じる宗教的な感覚。
これがチェーホフにもあるんです。これと未来とか希望とかがつながって
いる。だけどすべてが空しいと、崩れていくんですね。
清水:私はチェーホフにおける信仰を頭に置いて読んで、ここが本質の部
分かなと思ったのは、死んでもなくならないんですね、まだ何かがあるん
です。ロシア正教における死後とは違うのかもしれませんが、チェーホフ
もまた死んでもそれきりではないところ何かを感じますね。
工藤:父親からさんざんロシア正教について流し込まれて、それで嫌いに
なったというか、傷があるんだろうと思うんですが、そういう環境にいた
んです。だから結論が暗くなっていても、光明がある。ただ自ら進んで輝
かしいところに入っていけるほどの歓喜はないにしても、ロシアには必要
な作家だと思いますね。
(二〇〇六年五月十三日 青森件弘前市「ひま
わり」にて)


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